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▼サンフランシスコ市の「慰安婦」コメントにたいする橋下氏への怒りは二重規範だ
BY ニコラス・ギャティグ
※元記事(http://www.japantimes.co.jp/)
San Francisco’s huff with Hashimoto over ‘comfort women’ reveals double standards
BY NICOLAS GATTIG
http://goo.gl/lTACbQ
(おくやま訳はじめ)
●去年の春に橋下市長は、第二次大戦で日本軍兵士たちがアジアの女性たちを性的奴隷にしたことを正当化するような言葉を使ったために叩かれた。この橋下叩きには、大阪市の「姉妹都市」であるサンフランシスコ市も加わっている。
●橋下氏自身はその当時の記者会見で「市同士の関係は相変わらず良好ですが、僕とサンフランシスコ市長とのコミュニケーションや信頼はないですね。市長は僕のことを勘違いしていると思います。僕が大阪市長であるかぎりサンフランシスコにはいけませんよ」と述べている。
●ところが「姉妹都市」という家族的な面もあるために、これは単なる一つの「失言」で片付けられるほど簡単な問題ではなくなってきている。なぜならこれには国家同士の質、つまり互いを自らの文化のレンズなどを通してどのように認識して判断するのかという問題や、互いの過去の問題をどのように解決するための手段を見つければよいのかということを含まれてくるからだ。
●姉妹都市の締結は第二次大戦後に流行したものであり、互いの都市の友好と和解、そして貿易などを推進するために行なわれたものであった。
●大阪とサンフランシスコはそういう意味で完璧な組み合わせに見えた。両都市とも情熱的で活発な市民を抱えており、歯に衣着せぬ勝ち気な性格で、食にもうるさいと来ているからだ。
●ところが大阪の最初の姉妹都市の提携先であるサンフランシスコは、リベラルの牙城である。そして「姉妹」がケンカするように、姉妹都市も文化戦争の場になることもあるのだ。
●橋下市長が戦闘員にたいする売春婦の「必要性」があったことについてコメントした時、サンフランシスコ市長のエド・リー(中国系アメリカ人)氏は、橋下氏にたいして、デモが起こって身の安全において懸念があるために公式訪問をするなと告げている。
●その会見の翌週に有楽町の外国人記者クラブで発表したコメントの中で、橋下氏はダメージコントロールに努めており、性奴隷になった犠牲者について明白に言及しつつ、「われわれは第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本兵が「慰安婦」を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙する、決して許されないものであることはいうまでもありません・・・日本は過去の過ちを真摯に反省し、慰安婦の方々には誠実な謝罪とお詫びを行うとともに、未来においてこのような悲劇を二度と繰り返さない決意をしなければなりません」と述べている。
●この声明そのものは非常に誠実なトーンで書かれているが、政府が戦時の売春システムに関与していたことについては触れていない。
●これはサンフランシスコ市の監理委員会はこの発言に激怒し、橋下氏を非難する、拘束力のない決議案を通過させることで対応している。
●この議案は朝鮮系2世のジェーン・キム(Jane Kim)委員の主導で作成され、あえて仰々しい言葉で無念を晴らすようなものであり、橋下市長は「大阪の恥」とされ、「卑劣で不快」な声明で「世界にショックを与えた」、戦争犯罪を拒絶する人間だとされたのだ。
●この決議案では安倍政権が戦時の残虐性を謝罪し、日本の侵略の犠牲になった人々に補償するよう求めている。ところがこの議案では、橋下氏がどのような関係にあるのかは全く説明されていない。
●しかもその法案を書いた著者たちは、意地の悪い姉のように、さらに説教するためには父親に言いつける――つまりオバマ大統領と連邦議会――と警告している。
●この決議案は文化間の信頼と理解に訴えるものであったが、その文言には強烈な立場の優越感や、誰が何を答えるべきかということを自分たちが決めるのだという著者たちの道徳面での優位があらわれていた。
●もちろんここで明白なのは、その「姉」がアメリカであるということだ。
●他者の恥を非難することによってものごとを進展させることはほとんどない。むしろそれは相手を萎縮させ、さらなる拒否に追いやることになり、何も解決しないことになる。橋下氏と彼を避難する人々と同じように、売春婦たちの数やその強制性のレベルについて論じたりすることになるだけだ。
●おそらく厳しい非難にさらされたことで、橋下氏はサンフランシスコの監理委員会に公開文書という形で手紙を送りはじめた。その中にはさらなる自責の念と説明が書かれているのだが、去年からそれにたいする返信はまったくない。
●サンフランシスコのメディア(SFウィークリーは彼を「性奴隷擁護者」、NBCは「慰安市長が反論:そのターゲットはサンフランシスコだ」というタイトルをつけて報道している)を除けば、橋下氏の弁明は完全に無視されている。
●監視委員会のキム氏はこの決議案を主導したにもかかわらず、この記事を書くための取材にたいしてコメントを拒否している。
●橋下氏は最近の記者会見において「僕は失望しましたよ。アメリカの強みはオープンな議論にあるわけですよね。意見の相違があっても彼らは議論ができるわけで、これこそがアメリカのいいところの一つです。僕は日本の過去を弁明しようとしたわけではないんですし、自分の意見を言っただけなんですが、それにたいする返答がないんですよね。これはアメリカらしくないなぁと僕は感じます」と述べている。
●大阪・サンフランシスコ姉妹都市協会の上級ディレクターのミサコ・サック氏によれば、市長たちと違ってこの二都市の関係には全く害は出ていないという。彼女によれば「むしろこの一件によってさらに友好関係を草の根の市民同士のレベルで深めていかなければならないということを再確認することになりました」という。
●ところがこの協会のサイトでは、2013年5月に発表された大阪市長の避難する声明が表示されており、彼の声明のネガティブな効果を収拾するために「前進的な段階」をとることを促す内容が残されている。
●これについて私は橋下氏がそのような動きをすでに行ったのではないかと問い合わせてみたが、協会側はコメントを拒否している。どうもわれわれは「悪役」に悔い改めてほしくないと思うことがあるようだ。
●著名な歴史家のジョン・ダワー氏は、著書『忘却のしかた、記憶のしかた――日本・アメリカ・戦争』(岩波書店, 2013年:http://goo.gl/AVTTox)の中で、橋下氏は称賛されるべきだと記している。
●彼は「ベトナム戦争の時代に育ち、それ以来の政府高官や大衆がアメリカの大虐殺を隠蔽してきたアメリカ人としては、日本における歴史の浄化をわざわざ指摘するのは単に間違っているだけでなく偽善だ」と記している。
●橋下氏は一連の「慰安婦」騒動を通じて、なぜ日本だけが非難を受けなければならないのかを公の場で問い続けている。他の多くの国――これにはアメリカと韓国も含む――も戦時には占領地や基地の近くで女性の人権を侵害しているからだ。ちなみにアメリカの韓国基地での売春についてはこの本(http://goo.gl/ONKJZQ)が詳しい。
●バランスシートをつけるのは危険なビジネスだ。橋下氏によって指摘された、兵士と売春の関係という普遍的な問題について、彼を批判していた側の人間からは一言もコメントが出ていない。
●とくに戦時の男女の関係というのはあまりにもグロテスクで救いようがないほど不道徳で不快なものであるため、それをどのように対処すべきなのか誰も知らないのだ。
●橋下氏はこの難問に取り組んでいるのであり、これは困難を伴うものだ。彼は謙遜的かつ挑戦的な態度で、すべての国が同じ問題に取り組み、日本だけを戦争犯罪を拒否するモデルであるかのように扱うのをやめてほしいと要求しているのだ。
●ジョン・ダワー氏は「“後悔”と言っても、それが本当に過去に対して感じられることはありません。つまり日本の状況でさえも例外的だとは言えないのです」と記している。
●もちろんわれわれは完全な拒否を受け取る必要はないが、それでも相手ができるかぎりの態度で望むのあれば悔やませてあげるべきだ。これはつまり問題についていさぎよく取り組むということであり、われわれの過去の悪行に真摯に向き合うということだ。
●サンフランシスコとアメリカという「姉」が条件を突きつけてくるのもいいのだが、その「姉」は同時に寛大な人物であるべきであろう。
(おくやま訳おわり)
(おくやま訳おわり)
和田です。
上記は奥山さんが訳してくれました。
今回、少々私が解説させていただきます。
読みたい人は続けてどうぞ。
奥山さんはブログにて訳文をのせましたが、
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コメント
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日本ではすでに忘れられている話のような感じですねえ。
このような後追い記事?は、日本の新聞ではあまりないものなのかなあ、と感じた。
米国はオープンな議論ができるところがいい、と橋下氏が指摘したのは、
いい言い方なのかもなあと思った。