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おくやま です。
さて、先日の生放送(http://live.nicovideo.jp/gate/lv244148252)
でも紹介したNYタイムズ紙の記事ですが、
その内容が極めて示唆に富むものであったので、あらためてここで紹介します。
内容は「なぜ人間は相手が一人だけだと感情移入することができるのに、
複数の人間の場合には関心が薄れるのか」という
根本的な心理学の問題について切り込んだもので、
大変興味深いテーマについての最近の知見を元にしたものの要約です。
人間が何かに共感を覚えるためには、
その対象の「個人の顔」が見えないといけないということになります。
そうなると、たとえば選挙キャンペーンなども
個人との戦いとして描く方が国民や民衆の関心を呼びやすくなりますし、
CMなどでも複数の人間よりは誰か特定の人間を使ったほうがいい、
ということにもなります。
また、逆にいえばその問題からみんなの関心をそらさせたい場合には
「顔の見えない集団」として描けばいいということにもなり、
立派にプロパガンダとして使えることにもなります。
もちろんこのような知見は
純粋に心理学的な問題から導き出されたもの
としてとらえることもできますが、
そのロジックがわかれば逆に活用することもできるわけですね。
色々と類推や連想ができるという意味で、
実に味わい深い研究です。
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■哀れみの算術
by スコット・スロヴィック&ポール・スロヴィック
http://www.nytimes.com/2015/12/06/opinion/the-arithmetic-of-compassion.html
●われわれは「一人の死は悲劇だが、
百万人の死は単なる統計上の数字でしかない」
という言葉に共感できるかもしれない。
他人の苦しみや悲しみに対する同情というのは、
犠牲者の数が増えたとたんに減少するものだ。
●1950年代に精神科医のロバート・ジェイ・リフトンは
、広島と長崎の原爆投下で生き残った人々について調査して、
彼らが精神的トラウマを耐えぬくために身につけた精神状態を
「精神的無関心」(psychic numbing)となづけている。
●リフトン氏の研究を受け継いだ心理学者たちは
、この「精神的無関心」が他の状況、
つまり難民危機の情報や動植物の絶滅、
それに気候変動にまで応用できると考えて研究を行っている。
●このような情報というのは、それが抽象的になればなるほど、
人間を鈍感にさせていくようだ。
われわれは犠牲となる側の数が増えれば増えるほど、
その対象に対して同情や共感をおぼえなくなるからだ。
詩人のズビグニェフ・ハーバードはこの現象を「哀れみの算術」と名付けている。
●では人間の心の中で犠牲者への同情が無関心へと移り始める数というのは、
具体的にどのくらいの数値なのだろうか?研究の結果として判明したのは、
その数はそれほど大きくないということだ。
●たとえば最近トルコの浜辺に打ち上げられた、
シリアの子供の死体の写真の例を思い出してもらいたい。
この子が浜にうつ伏せになって打ち上げれていた写真は
世界の注目を集めることになり、アメリカを含む、
はるか遠くの国々の難民政策を即座に変える結果を生み出したほどだ。
●ところが翌日のエーゲ海では、
シリアの子供が14人も溺れて死んでいたことは知られていないし、
われわれもそこまで関心を持っていない。しかも14人という数は、
われわれを無関心にさせるだけの数よりもはるかに多いのだ。
●本稿の著者の一人は、去年発表された共同研究論文の中で、
このような現象を「同情の減退」(compassion fade)と呼び、
これはある事件の被害者の数が、
なんと二人になっても起こると結論づけている。
●この研究の中の実験で、被験者たちは実際・仮定の両方の状況で、
恵まれない子供たちのプロフィール付きの写真を見せて
寄付金を与えようと感じたかどうかを聞かれている。
●その時に結果として出てきたのは、寄付対象が一人の場合と比べて、
二人以上の複数の集団になると、被験者たちの「寄付をしよう」という意欲や
実際に寄付される金額そのものものが大きく減少するということだ。
●「精神的無関心」に加えて、「似非無効性」(pseudo inefficacy)
という心理学的な作用も働いている。
これも同じく本稿の著者の一人が参加した、
今年発表された寄付金に関する研究で判明したものだ。
●この研究では、人間というのは恵まれないたった
一人の個人のためであったら送金をするが、二人目の恵まれない人間がいて、
しかもそれを助けられないことが判明すると、
そもそも最初の一人にも送金しようという気が起こらなくなるというものだ。
なぜならその送金にはそもそも効果がないと感じられてしまうからだ。
●同様に、自分の行う寄付や献金があまり効果を発揮せず、
まるで自分の貢献が「大海の一滴」であるように感じられた場合には、
その救済プロジェクトの規模や狙いが大きくても、その動機は薄れてしまう。
●ここからわかるのは、われわれはどうも
たった一人の人間を助けるようにしかつくられていない、
ということだ。
●さらにいえば、「助けられない他人がいる」と感じると、
われわれはそもそも寄付する気さえ怒らなくなるのだ。
●他にも「目立ち効果」(prominence effect)
という心理学的な現象がある。
これはなぜ豊富な手段を持つ人々(や政府)が、
民族虐殺をはじめとする大規模な虐待を阻止するために
介入することができないのかを説明するものだ。
●「目立った」行動や目標というのは、
つまりわれわれの公式な社会価値の基準に合致しないかもしれないが、
それでも簡単に正当化しやすいものである。
たとえばそれは、国家安全保障を守るための決断であったり、
短期的にわれわれの気持ちや
利便性への要求を和らげてくれるものであって、
それらは容易に正当化しやすい。
●このような選択肢は、人間の集団全体や
環境のような規模の大きな全体的な
(種や生息地、地球の機甲全体)危機についての選択に
打ち勝ってしまうものだ。なぜならそのような規模は
あまりにも大きすぎるために縁遠く、
極めて抽象的なものとしか感じられなくなってしまうからだ。
●ではわれわれには他に選択肢はないのだろうか?
無意識に行われている「精神的無関心」「似非無効性」
「目立ち効果」のような、心の動きを変えることはできないのだろうか?
●心理学者のロバート・オルンスタインと
生物学者のポール・エーリッヒは、数十年前に
『新しい世界、新しい思考』(New World New Mind)という著書の中で、
人間の頭脳は実質的にまだ洞穴に住んでいる時の状態と変わらないのに
「核兵器による消滅」のような現代的な問題に直面していて、
そもそも根本的にそのような問題に適応しきれていないと論じていた。
●彼らはそれを受けて、人間が現代世界の情報プロセスの仕方において
「意識的な発展」、つまり意図的に
われわれの認識の癖を修正すべきだと説いたのである。
●われわれは「精神的無関心」「似非無効性」「目立ち効果」が、
自分たちが目指す価値観とは
正反対の行動を促すことにもっと注意しなければならない。
そしてもしこれができるようになれば、
われわれは複雑で混乱した世界の情報に対する
反応を改善させることができるからだ。
●気候変動や大規模テロ攻撃、
そして難民危機のような大災害の問題というのは、
われわれの「哀れみの算術」を生み出す思考について
折り合いをつけることができない限り、
それに対する解決法は見えてこないのだ。
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( おくやま )