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「教養」と「リテラシー」を高める月刊誌
“α-Synodos”vol.320(2024/02/15)
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01 シノドス・オープンキャンパス「社会思想史――宗教の視点から」仲正昌樹
仲正昌樹
1963年広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。金沢大学法学類教授。著書に『集中講義!日本の現代思想』『集中講義!アメリカ現代思想』『悪と全体主義』『現代哲学の最前線』(以上、NHK出版)『カール・シュミット入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンティ・オイディプス〉入門講義』『フーコー〈性の歴史〉入門講義』(以上、作品社)など。
「社会思想史」と呼ばれる分野では、権力、暴力、差別、貧困、抑圧、疎外など、その時々の社会が抱える具体的な問題を特定し、どう解決するか考察し、多くの人たちに影響を与えた諸思想の変遷、対立・融合の過程を辿っていきます。過去における、問題解決に向けての試行錯誤を再構成することで、現代の問題解決に活かそうとします。
社会思想史の重要なテーマとして、世俗化が進んだ市民社会における「宗教」の位置付けというものがあります。西欧では、宗教改革以降、政教分離が進み、「信教の自由」が認められるようになりましたが、「宗教」は依然として人々の生活に浸透し、しばしば宗派間の紛争、多数派による少数派の抑圧を引き起こします。しかし、だからといって、国家等の政治権力によって、「宗教」をおとなしくさせるべきでしょうか。それは、「信教の自由」を含む「内心の自由」に反していないでしょうか。
①ヘーゲル左派と宗教
世界史を絶対精神の自己展開の過程として描き出し、中央集権による近代化を強力に推し進めていたプロイセン国家の在り方を正当化した、ドイツの哲学者ヘーゲル(一七七〇-一八三一)が亡くなった後、ヘーゲルの影響を受けた思想家たちは、大きく二つの流れに分かれます。ヘーゲルに倣って、現実の国家の在り方を良しとするヘーゲル右派と、現実の国家はまだ理想的な状態には達していないと見て、国家の在り方を根底から批判するヘーゲル左派です。
ヘーゲル左派の代表的な論客は、国家だけでなく、というより国家以上に「宗教」を問題視した人たちがいます。宗教が人々を偏見に縛り付け、社会の進歩を遅らせているからです。こうした視点からの宗教批判は、一八世紀半ばのヴォルテール(一六九四-一七七八)等を中心とするフランスの啓蒙思想でも盛んになりましたが、ヘーゲルが、歴史はより理性的な方向へと発展していくという法則を掲げたので、「宗教」を歴史の中でどう位置付けるのか、人類の歴史的発展の単なる障害物か、何らかのポジティヴな役割を担っているのか、という関心が知識人の間でクローズアップされることになりました。
プロテスタントの神学者でもあったダーフィト・シュトラウス(一八〇八-七四)は、『イエスの生涯』(一八三五-三六)で、イエスの生涯は、人々の宗教意識の発展を凝縮した形で表現したものであり、彼の生涯に起こったとされる様々な奇蹟は、教えを受け入れやすくするために導入された神話にすぎず、それらは、宗教としてのキリスト教の本質とは関係ない余計なものであると主張しました。彼はそうやってキリスト教を合理化しようとしたわけですが、当然、聖職者たちから危険視され、激しく批判されました。
ルートヴィヒ・フォイエルバッハ(一八〇四-七二)は『キリスト教の本質』(一八四一)で、「神」とは、人間の人間らしさのゆえんである「愛」を、その源泉が人間自身の内ではなく、外にあるかのようにイメージ(=疎外)したものにすぎないと主張しました。人間自身の内なる「愛」に立ち返るべきなのに、「神の愛」の名の下に人々に余計な重荷を負わせて、教会や君主に奉仕させてきたとして、彼はキリスト教を批判します。「愛」を人間自身に取り戻し、自由に発展させるべきだという態度を取りました。
ヘーゲル左派の宗教批判は、マルクス主義の誕生に際しても重要な役割を演じました。神学者でありながら明確に無神論の立場を取るブルーノ・バウアー(一八〇九-八二)は『暴かれたキリスト教』(一八四三)で、神への信仰で人間の思考能力を損なう宗教の有害性を指摘し、キリスト教からの人間の解放を主張しました。
『ユダヤ人問題』(一八四三)では、矛先をユダヤ人・ユダヤ教に転じ、ユダヤ人が市民社会の中で差別され続けている主な原因は、キリスト教徒のほとんどがかなり世俗化し、教会ではなく、国家の支配を受け入れているのに対し、ユダヤ人=ユダヤ教徒だけが自分たちの宗教的慣習に拘り、国家の市民としてのアイデンティティを拒絶していることにあると主張しました。当時のドイツやフランスでは、キリスト教に改宗して、同化して、社会の中で一定の地位を築くユダヤ人が多かった反面、信仰とユダヤ的な慣習を維持している人たちもいました。バウアーは前者の傾向を更に推進すべきだと主張したわけです。
こうしたバウアーの問題提起に対して、自らもユダヤ系であるマルクス(一八一八-八三)は『ユダヤ人問題に寄せて』(一八四三)で、世俗化された国家が宗教と対立しているかのような前提で議論を進めていることを批判します。マルクスに言わせれば、近代国家は、市民の私生活の領域は、基本的に各個人や団体の自治に任せるという態度を取ることによって、宗教や有力な商人などが、弱い個人の生活を思うように支配できる状態を作り出します。国家だけでなく、国家を経済や文化の面から支えている「社会 Gesellschaft」の仕組み全体を変えなければ、人間は真に解放されない。
マルクスはユダヤ人問題の検討を通して、私的財産所有を中心にして、もっと露骨に言えば、富裕層の財産を維持・増殖することを目的として社会全体が組織されている「市民(ブルジョワ)社会」の特徴を意識することになりました。『ユダヤ人問題に寄せて』の結論として、ユダヤ人が自分たちの宗教や、中世以来ユダヤ人に割り当てられた職業としての金融業に固執するのは、「市民社会」の中で一定の役割を与えられ、それに縛られているからだとして、「市民社会」の解体を標榜しました。
ユダヤ人問題をめぐる考察が、マルクスが資本主義の廃絶と共産主義社会の実現を目指すきっかけになったとされています。
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