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「教養」と「リテラシー」を高める月刊誌 “α-Synodos”vol.321(2024/03/15)
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「教養」と「リテラシー」を高める月刊誌 “α-Synodos”vol.321(2024/03/15)

2024-03-15 17:37
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    「教養」と「リテラシー」を高める月刊誌
    “α-Synodos”vol.321(2024/03/15)
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    01 シノドス・オープンキャンパス「21世紀の宗教性と時代精神──宗教社会学の視点から」小池靖

    小池靖
    1970年生まれ。国際基督教大学から東京大学大学院に学ぶ。博士(社会学)。立教大学社会学部現代文化学科教授。著書に『セラピー文化の社会学』(勁草書房)、『心理療法が宗教になるとき:セラピーとスピリチュアリティをめぐる社会学』(立教大学出版会)など。

    宗教社会学とは
     
    宗教は常に社会的論争のマトとなってきました。本稿では、宗教社会学ならびに少しそれを越えた知見も紹介しながら、現代日本社会における「宗教的なるもの」を概観してみたいと思います。
     
    宗教社会学、のみならず社会科学全般にとって、最重要研究となった最初のものがマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(原著1904)であることは言うまでもありません。西ヨーロッパにおいてのみ近代化が先行した背景を探ってゆくと、キリスト教、それもプロテスタントの禁欲的な労働倫理が、意図せざる結果として、近代資本主義の成立をあと押しした、という内容です。ウェーバーは、緊密に組織された、コミットメントの強いセクト的な集団が社会変動に影響を与えること、さらには、神との絶対的な断絶を説く宗教伝統のほうが、社会の合理化をもたらしやすいということに関心を寄せていました。しかし、社会の合理化は、それ自身の勢いを持って進んでゆき、社会はやがて宗教倫理を必要としなくなる、つまり近代世界は「世俗化」(非宗教化)してゆく、とも主張しました。
      
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