9章 ゆうきのだいいっぽ

 

 あたりが、しんと静まりかえった。

 僕らは二人とも微動だにせず、ただ、その場に立ち尽くしていた。

 風が草木を揺らし、僕らの頬を撫でる。

 日差しがさっきより、まぶしく感じられた。

 言った。

 僕は、言ってしまった。

 終わった、のか?

 何が?

 頭の中はひどく乱れているようでもあり、落ち着いているようでもあった。

 僕たちはおそらく、長い間、同じ思いを抱えていた。

 だけど、きっとどこかで。不器用に、すれ違ってしまっていただけなんだと思う。

 

「なによ……なんなのよ……ふざけんじゃないわよ……

 うつむきながらマオが言う。怒っているような、悔しがっているような、複雑な顔で。

「さっきの言葉……どういうつもりなの?」

「あなた、言葉の意味わかってて言ってるんでしょうね?」

 こちらを鋭く見据えて言葉を紡ぐマオを見て、僕は目線をそらしそうになった。今までの僕なら間違いなくそらしていただろう。すみません申し訳ございませんって何度も何度も頭の中で唱え続けていたはずだ。でも。今は。まっすぐにマオのことを見ていられた。

 言葉の意味は。わかっている。

 僕は、こくりと頷いた。

「本当に? 本当にわかってるの?」

 何度聞かれても同じことだ。僕は同じように頷く。今度はさっきより、少しだけ力強く。

「だとしたら、あなたはバカよ!」

「計り知れないバカで、アホで、マヌケなトンチンカンよ!」

 マオはその後も思いつくかぎりの罵詈雑言をまき散らしたあと、息を切らせて、言った。

「ほんと、しょうがないわね……

「そんなダメなあなたをほっといたら他の人たちにも迷惑だから、私がついてってあげる!」

 え? ついてくるって、魔王討伐に? ほ、本当に?

「でも、勘違いしないでよね!」

「私はあなたのことなんかこれっぽっちも好きじゃないし、なんとも思ってないんだから!」

 そこまで言って、ぷいっと横を向いたマオを見て、僕は思う。

 さっきまで感じていたおそろしい気配は、もう、感じない。

 終わった。これで全部、終わったんだ。

 僕は大きな木の下で、天を仰ぎながら深く息を吸った。何度も、何度も。

 穏やかで、やさしい風を感じる。

 壊れた心の奥の扉を癒すようなやさしい風が、肺の奥まで染み渡る。

 今までの過酷な日々や、胸が苦しくなるような思い出が、頭の中によみがえる。

 つらい記憶のひとつひとつが、少しずつ。

 まるで、氷が溶け出すように。

 ゆっくりと、消えていく……

 

 ゆうしゃは トラウマを のりこえた!

 

「あの、さ……。さっきあなたが言ってくれたから、私も、言うんだけど……

 マオが顔を伏せたまま、ちらちら目線を動かしながら、僕に言う。

「昔からあなたのこと、ずっと気になってた」

 一度は落ち着いた心拍数がまた一気に上昇する。

 今までに感じたことがない空気。熱を持つ体。

 体温が上がったのはきっと、日差しのせいではないはずだ。

 そんな僕の状態を知ってか知らずか、マオは穏やかに、言葉を続けた。

「あなたは勇者だけど、ケンカは嫌いで、いつもいじめられてたでしょ」

 は、ははははは、はい。いじめられて、いました。

「でも……あなた、いつも言ってた。魔王が蘇ったら僕が倒すんだって」

 僕はその言葉を、たったひとりにしか言っていない。

 父さんの事を思い出させてしまったらつらいはずだと思い、母さんにすら言わなかった。

「私は無理だと思ったよ。だってあなたは優しいから。戦うことなんてできない」

「誰かを傷つけるなんて、できない人だもん」

 十年前と変わらない、戸惑った表情でマオが言う。

 その顔は。木の下で手当をしてくれたあの時と同じ。やさしさに満ちあふれていた。

……昔から、悪口とか、ひどいことばっかり言っちゃったね」

「そうしたら自信なくして諦めるかもって思ったけど、あなたは諦めなかったね」

 ああ。そうか。

 マオは、僕のことを心配して。

 いじめられてばかりの僕のことを、心から、気にかけてくれていて。

 きっとあのまま魔王討伐に言ったら、僕が、死んじゃうと思ったんだろうな。

 だから。こんな。ひどいことばかりを言って。諦めさせようとしたんだ。

 だからって、ドブネズミはないよ。ひどいなあ。本当に、ひどいよ。

 ドブネズミをきっかけに腐った死体を経てゴミとなり、フランケンシュタインを経て、恥ずかしながら帰って参りました。脇汗が止まらない上に耳垢が湿っているのでデオドラントは必須だし、ひどく弱くて、脆くて、ガラスのメンタルで。ニセモノの方がホンモノっぽいし、いいところなんて何もないし、頭の中には空気を読まない刑事がいるし。そんな僕ですが。やればできる。本当に、できたよ。

 そして、マオが言葉を続ける。

「ダサくてキモくてネクラとか、マッチ棒みたいに細い腕とか、言ったけど」

「魔王になんて勝てるわけないって、言ったけど」

「ちがうの。本当は。ちがうの」

 今にも涙がこぼれ落ちそうな顔をして。十年前と同じ笑顔で、マオが、言った。

「あなたはぜんぜん、よわくなんて、なかったよ」

 その言葉を聞いて、僕は胸の底からあふれる何かを。止めることができなかった。

 鼻の奥がつんとした。マオに気づかれないように横を向き、うまくごまかそうとする。

 目頭が熱い。まずい。かっこ悪い。こんな時まで僕はかっこ悪い。嫌だ。嫌だああ!

 首を振っても足首をグネグネ回してもこみ上げる熱いものが止まらないので、なんとかして止めようと体中の至る所を動かした結果、僕は最終的に獅子舞みたいな動きをしていた。さすがにこみ上げる熱いものはごまかせただろうが、まったく別の問題が発生した。「あなたは全然弱くなんてなかったよ」からの獅子舞である。全然意味がわからないのだ。ダメだ人間そう簡単には変わらないな。あんまり変わってないことを身をもって知った。

 辞めればいいのに辞めるに辞められず、祭りのピークであるかの如く獅子舞を続ける僕の後ろから、ぱち、ぱち、ぱちと手を叩きながら誰かが近づいてくる。

「おめでとう、よくがんばったわね、ふたりとも」

 ドレアさんだった。僕らを包み込むような、あたたかな笑顔をしていた。

「あー、もう足がパンパンよ。誰よこんな高い建物作ったの」

 それをあなたが言いますか。パンチしていいですかね。

「まあ、それはいいとして。マオちゃんはずっと、あなたのこと気にかけてくれてたのよ」

 ドレアさんがそう言うと、マオは顔を真っ赤にして、またうつむいてしまった。

「マオちゃん、小さい頃、ご両親のお仕事の都合で遠い街に引っ越したでしょう?」

 え?

「それからずっと、あたしにだけ電話をくれてね。あなたの様子を聞いてたのよ」

「あなたがいじめられてないかとか。ずっと、ずっと。毎日のように」

 そう……だったんだ。

「今日はわざわざ、遠い街から来てくれたの。私は止めたんだけど、どうしてもって」

「でもマオちゃん、結局予定より少し遅れちゃったのよね。逆にあなたは早めに来ちゃうし、どうしようかと思ったわ」

 それを聞いて僕は、初めて酒場に足を踏み入れた時のことを思い出した。あの時、ドレアさんが電話をしていたのは。そうか。マオだったんだ。でも気づいてたんだったら早く電話やめてくれたらよかったのに。明らかに余計な話してましたよね。「恐怖! 終わらないガールズトークの巻」が始まってましたよ。ないですけどそんなサブタイトルの話は。

「でも、マオちゃんが遅れちゃうのはしょうがないじゃない? 外にはモンスターもいるし。ここまで無事だったのが不思議なくらいよ」

 それは確かに。よく来られましたよね一人で。モンスターとかどうしたのか。会わなかったのか。会ったけど倒してきたのか。だとしたら僕よりマオの方が強いんじゃないか。一理ある。あっちゃ困るが実際問題強いかもしれない。女は強し。そんな一言で片付けていいのかわからないが、現にマオは一人でここに現れたし、それ以上追求してもしかたがないのだ。

「まあ、マオちゃんには気をつけて来てもらうとして、こっちは時間稼ぎのために溶岩のフロアを五階分くらい余計に増築すればいいかと思って」

 だからなかなか終わらなかったんですかあのフロア! そんな理由で増築したんですか!

 なんだかものすごい暴露話を聞いている気がしたが、まあ、今となってはいい思い出だ。

「それよりも。あなた!」

 急にドレアさんが語調を強めて僕に近寄ってきて、耳元でこそこそとしゃべり出す。

「さっきからマオちゃん、ずっとあのまんまじゃない」

 見ると、マオは先ほどとまったく同じ姿勢で、うつむいたまま黙り込んでいた。

「ダメよ男の子なんだから! ちゃんとエスコートしないと」

 いや、まあ、わかりますよ、わかりますけど、ほったらかしになっちゃったのは急に現れたドレアさんがものすごい勢いで暴露話を始めたからなんですが。半分はあなたのせいなんですが。もう半分は僕が獅子舞を踊っていたせいなんですがどうもすみませんでした。

「こんなところで立ち話もなんだし、下においで」

 下。え? あの、下っていうと?

「せっかく作ったフロアなんだから。使わないともったいないでしょ。あなたとマオちゃんが、あのフロアの一番最初のお客様ね」

 そこまで聞いて、ドレアさんの言う「下」が、酒場の一階ではないことがわかった。

「男らしく、自分の言葉でちゃんと誘うのよ」

「そうだぜ! ちゃんと誘うんだぜ!」

 聞き慣れたもう一つの声が突然足もとから聞こえて、僕はビクっと体をのけぞらせる。

「恥ずかしいヤツめ! 全部見てたぞ! 何しろオレサマはオマエの師匠だからな!」

 ヨコリンが僕とマオのまわりをグルグル回りながら、ちょっかいをかけてくる。

 それに気づいたドレアさんが、ヨコリンを羽交い締めにして、笑顔で言う。

「ヨコリン、ちょっとあなたは黙ってて」

 ドレアさんに抱えられたヨコリンが手足をばたつかせながら言う。

「オマエらの話を聞いて、オレサマ、ビックリしたぜ!」

「そのオンナ、オマエの知り合いだったんだな!」

「最初に下の階から見た時は、おそろしい気配を漂わせてたから、殺し屋かと思ってたぜ!」

 ドレアさんが「なんてこと言うの」と言ってヨコリンをはたいた。かつての魔王を封印した勇者パーティの一員であるドレアさんの平手打ちを食らい、「ふぉぐば」という変な叫び声を残して、ヨコリンは白目をむいて気絶した。

 ヨコリンはどうやら、マオのことを知らなかったらしい。

 ドレアさんはヨコリンに「勇者が一人前になるまで外に出さないで」とは頼んだが、マオのことは話していなかったのか。確かにそこまで話す必要はないかもしれないが、ううむ、酒場ダンジョンといいヨコリンの扱いといい、ドレアさんの手のひらの上で転がされているような気がする。ドレアさんの思惑通り、僕はまんまと成長させられた。

 まあ、成長したのは。いいことなんですけどね。

「じゃあ、待ってるからね」

 ドレアさんは鼻歌を歌いながら、ヨコリンを抱えて楽しそうに去っていった。どこに行ったのかは見当がつく。でも、ちょっと、ちょっと待って下さい! ええええ、そんな、僕にはそれはハードルが。ハードルが高すぎます!

 

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