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極意はリラックス。肩の力を抜けば、人生はいろんな可能性に満ちてゆく【久住昌之INTERVIEW】
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極意はリラックス。肩の力を抜けば、人生はいろんな可能性に満ちてゆく【久住昌之INTERVIEW】

2015-02-01 15:00
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    新しい年を迎えてひと月が経過したが、日常の雑務に追われ、早くも年のはじまりに立てた抱負を見失っているという人はいないだろうか?

    キャリアアップにしろ恋愛成就にしろ、昨年まで思う結果を出せずにきた人は、これまでとは異なる新しい考え方を身につけてみるのも一手かもしれない。

    というわけで今回の短期連載では、ユニークな試みや、独自の感性が光る作品で注目を集める賢人たちに話を伺ってみたい。

    第1回目に登場していただくのは、ドラマ化によって新たなファン獲得にも成功した『孤独のグルメ』原作者・久住昌之氏。同番組では、自身もメンバーに名を連ねるバンド『The Screen Tones』が楽曲を担当した他、同じく原作担当の『花のズボラ飯』がドラマ化された際には、主人公・花のアルバイト先である書店員の店長として出演したことも。

    さらに、エッセイスト、切り絵作家などさまざまな顔を持つ彼の、予測不可能な活動の展開を可能にしているエスプリに迫った。

    「自分ができないことを人にやらせる」子どもだった

    ――デザインから作曲まで幅広く手掛けていらっしゃいますが、子どものころから、音楽やアートへの関心が高かったのですか?

    昔から絵を描くのは好きでしたね。こないだふと思い出したんですけど、小学校2年生くらいの頃、ノートに漫画を描いてたことがありました。「どひゃー君」っていう漫画で、主人公のどひゃー君は、片方の目が驚いて大きくなったまま元に戻んないの(笑)

    ――小2にしてはシュールですね。

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    ね(笑) 当時のノートはもう捨てちゃったけど、今でも簡単に描けますよ。片方の目が点で、もう片方がおっきな丸で。それより小さい頃は、自分で描くんじゃなくて"描かせて"ましたね。この頃から"描かせる"クセがあったみたいなんですよ。

    どういうことかっていうと、幼稚園のときに怪獣映画に興奮したことで自分の中での怪獣ブームが起きて、ゴジラのプラモデルを買ってもらったところ、その箱にゴジラの写真が載ってて、すごくかっこいいって思うんだけど、子どもだからそんなの描けないじゃない? で、「おかあさん、これ、朝までに描いといて」って(笑)

    そんなこと言われてもおふくろは絵なんて描いたことないから「えーっ!?」ってなって、裁縫のチャコペーパーを使って写し取って、幼稚園の12色クレヨンで夜なべして描いたらしいんですよね。翌朝起きた僕は、それを見てすごく気に入ったようで「これ壁に貼って」っ(笑)

    今考えるとその頃から、「できないことを人にやらせる」っていう性分だったんでしょうね。なんせ、(※1)デビュー作も泉君との共作だし。

    ※1 美学校の同期・泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として、漫画雑誌『ガロ』でデビュー。原作=久住、作画=泉が担当した。

    お手製弁当の魅力は、何が出てくるか分からないこと

    ――子どもの頃から、食べることも好きだったんですか?

    全然。お菓子もそんなに食べなかったし、今でも食は細いし。そもそも食べ物のことを描くようになるなんて思ってなかったですね。でも、中学高校の頃から弁当は好きだったんですよ。母親が忙しい日は手抜きだったりするんだけど、それでもやっぱり弁当がいいの。前の晩のさつまいもの天ぷら2枚と白米だけ、なんて超地味な見た目にもがっかりな弁当とかもあるんだけど、「明日は忙しくて作れないから堪忍して」って言われても「いやテキトーでいいから作ってよ」って(笑)

    ――やっぱり手作りの愛情が感じられるんでしょうか?

    ううん。そんなこと全然考えてなくて、ただ、「この2枚のいも天とご飯をどうおいしく食べるか」を考えるのが好きだったんだよね。まず、1枚のいも天に醤油を多めにかけて、その面をご飯に押し付けておいて、もう1枚をおかずにご飯を食べるんですけど、そのうち"醤油いも天"を押し付けておいた部分のご飯に醤油と油がしみてきて、なにか天丼的なものになっていく(笑)

    そういうセコい「工夫食い」をするのが好きでした。僕の漫画ってそういうことしか描いてないんですよ。味がどうのこうのではなく、ただ、そんな風に作戦立てて食ってる自分が滑稽だなって思うんです。口に出したら恥ずかしいような話だけど、その恥ずかしさを丁寧に劇画にしたのが僕の漫画です。

    だから、弁当が好きだっていう話に戻ると、昼飯を自分で買うのはつまんないんだよね。何が出てくるか分かんないのが面白いんだから。「そうきたか!」って感じで受け入れる面白さがあるじゃないですか。仕事に対するスタンスひとつとってもそれは同じこと。下調べせずに出向いていって「さあ今日はどう楽しめるかな」って。

    ――それって久住さんの生き方そのものなんでしょうね。

    泉君との最初の共作『かっこいいスキヤキ』(青林堂のちに扶桑社文庫)が誕生したときもそうでしたね。最初、彼が描いた漫画を見たとき、「こんな古臭いタッチで受けるわけないじゃん!」って一度は思ったんだけど、よくよく考えてみると「待てよ! 最初から古臭いならこれ以上古くなることはないんだし、むしろあの古臭さを生かせばいいんじゃないか」と。

    それで一緒にやることになるわけだけど、弟と(※2)Q.B.B.をはじめたのも、勤めてた美術印刷工房が潰れて食うのに困った弟に「イラストの仕事紹介してよ」って言われたのがきっかけ。弟が持参したたくさんのイラストを見て、「こんだけ描けるんなら漫画描いてみない?」って。最初は弟も恐る恐る描いてたんだけど、そのうち僕が兄弟の馬鹿話作りはじめたら、だんだんノッてきて。弟と僕は共通の幼少期を過ごしてるわけだから、笑いのツボが一緒なんだよ。2人してストーリーに「あったあった!」絵を見ては「そうそうこれこれ!」って、笑いながら描いてたら漫画賞をもらっちゃってね。

    (※2)Q.B.B. 実弟の久住卓也と組んだコンビ。原作=兄、作画=弟が担当した。

    身を持って感じれば、生き生きとした作品が生まれる

    ――創作の源を教えてください。

    自分が感じたことですね。理屈で面白いかどうかじゃなくて、実感したこと。特に、恥ずかしいとか痛いとか、コンプレックスとか自分の弱い部分だとか。例えば、自分は小食だから、大食いのヤツ見ると「こいつ、食うな~~~!」って感じで、見てるだけで面白いんだよね。自分にはできないことだから。

    食べ物に関して言えば、「この店おいしかった」ってことよりも、「すごくおいしそうな店に入ったら、出されたラーメンがまずいのなんので頭きたのよ!」ってほうがみんな笑うでしょ? それはやっぱり自分が失敗した経験だからなわけで。失敗したほうがみんな笑うんですよ。忘れたいような経験をいかに面白おかしく原作にするか、それを一生懸命考えます。

    それに、傍目にはただ弁当食ってるだけでも、実は食べてる人は「今日の肉、ちっちぇえな」なんて考えてたりするじゃない(笑)。そういう、心の中の小さな波乱を白日の下に晒すのって楽しいし。

    だからいつも、新しい実感がほしいんです。といっても大げさなことじゃなくて、ちっちゃいことで十分。例えば、僕「ニッポン線路つたい歩き」っていう、全国の線路を伝って歩くコラムを連載してるんですけど、その取材でも大小様々な「実感」を得ることができてるんですよ。取材前にはいつも何も調べないから、何があるか分からないし、何もないかもしれないと思って歩いてるくらい。でもね、不思議と必ず面白いことに出会うんですよ。

    ――例えば、どんな出会いがありましたか?

    こないだ、愛知県の知多半島を走ってる「武豊線」の線路に沿って10kmくらい歩いたんですけど、日本最古の跨線橋(こせんきょう/鉄道線路をまたぐ橋)に出会えたんです。現地に行く前に(編集者から)「古い跨線橋がある」ってことくらいは聞いてたんだけど、下調べもしていなければ地図も見ていないから、どこにそれがあるのか分からないどころか、その話自体忘れちゃってるっていうね(笑)

    そもそも「跨線橋」って言葉自体、初めて聴く言葉だし、正直あんまり興味もなかったんだよね(笑)

    ところが、跨線橋らしきものが遠くに見えてくると、「あれ、そういえば...」ってなって、徐々にその細部が見えてきて、絶対これだっていう確信が芽生えてくると同時に「これは確かに......実に、いいっ!」っていう想いが沸き上がってきたんです。その瞬間まで、跨線橋に興味も関心もないし、50数年間、気にもとめたことなかったのに(笑)

    でも、もはや神社仏閣なんかよりはるかにいい! あまりに感動して、「今日はもういい、ここからあとの歩きは流しだ~」ってなったくらい。しかも面白いことに、その後また違う跨線橋が現れると「この跨線橋は地味だな」とか、既ににわか跨線橋マニアになってる自分を発見して、自分の中の「跨線橋の扉」が開かれたなって(笑)

    その体験をしてから東京に戻ると、子供の頃から「陸橋」って呼んでた三鷹の橋も跨線橋なんだって気付いて、「あれもかなりいい跨線橋だな」って。いつも何気なく見ていた景色がこれまでと違ったものに見えてくるんです。すぐにではないけど、将来、自分の作品の中で、跨線橋を重要な背景にできるような気さえします。でも、誰かに現地まで連れて行かれて「これが日本最古の跨線橋ですよ」って説明されても、ここまで心動かされなかったと思うんです。自分自身の足と目でゆっくり感動していったからこそ、ずっと心に留まっているんじゃないかなって。

    結果を出すためにまず注力すべきはコンディションの調整

    ――体感による吸収を深めるためのコツはありますか?

    極意はリラックスですね。生きてるといろんなものが飛んでくるけど、緊張したり焦ったりしてると、それに気付きにくいから。テニスのサーブ待ってる人って、いつもすごく動いてるでしょ? あれって、どんな球がきてもすぐに動けるよう、身体が固くならないにしてるんだと思うんだよね。すごく分かるんです。肩の力を抜かないと、自分本来の力が発揮できないから。目的にまっしぐらなのもいいけど、散歩を楽しむ気持ちでリラックスして歩けばいろんなものが見えてくるし、小さな面白いものを見落とすこともなくなるもんですよ。

    僕は99年に、取材でニューオーリンズを起点とするジャズロードを訪れたことがあるんですけど、途中、立ち寄ったクラークスデールっていうブルースの聖地で、ライブハウスを営む店主のじいさんに「(歴史的背景も土壌も異なる日本で育った)僕にもブルースはできますか? 何を歌えばいいでしょうか?」って質問したことがあるんです。そしたらそのじいさん、「そんなのは何の問題もない。お前は結婚してるか? 女はいるか? そいつのことを歌え。それがブルースだ」って。そこに喜びも悲しみも嘘も本音も必ず入るからと。目からウロコでした。自分がブルースに対して、リラックスした態度で臨んでなかったんだって痛感した出来事です。

    それとね、以前、プロレスラーの藤原喜明さんにプロレスの極意を尋ねたことがあるんだけど、藤原さんの答えは「コンディション」でした。「人間っていうのは、1年という長いスパンでみても3分程度の短い時間でみてもコンディションが変わってくるものなんだ。自分が一番いいコンディションのときに、相手のコンディションが悪ければ絶対勝てる。だから相手がどう立ち向かってきても対応できるよう、時間があればストレッチして身体の柔軟性をあげることが大切なんだ」って。その言葉って今でも忘れられないんだけど、リラックスすることと通じる部分がありますよね。

    ――久住さんがコンディションを保つために心がけていることはありますか?

    ちゃんと寝ることですね。若いときってある程度無茶しても大丈夫だけど、今は寝ないとダメ。"睡眠教"の敬虔な信徒ですよ。「寝ればなんでも治る!」っていう(笑) 年齢を重ねると、無理すると風邪も治りにくいしね。それでも、何年かに1回くらいはこじらせちゃうこともあるけど。あとは、家から仕事場までの約3kmをなるべく歩くようにしてますね。30分くらいかかるんだけど、1年のうち100日で300kmも歩けるってすごいことですよ。リラックスして何も考えずに歩くと気持ちいいし、十分眠って、目的なく散歩しないと、僕は面白いことを思いつかないんです。

    kusumi_003_1.JPG【久住昌之Profile】'58年、東京都三鷹市生まれ。漫画家、漫画家原作者、エッセイスト、装丁デザイナー、ミュージシャンと多彩な顔を持つアーティスト。1981年、泉晴紀(作画)とのコンビ「泉昌之」名義で『ガロ』(青林堂)にてデビュー。実弟・久住卓也と組んだ漫画家ユニット「Q.B.B.」による『中学生日記』では、第45回文藝春秋漫画賞を受賞。原作を担当した『孤独のグルメ』『花のズボラ飯』はドラマ化の快挙も遂げた。また、バンド活動も活発に行っており、『孤独のグルメ』の劇中曲を手掛けるThe Screen Tones他、楳図かずおの"まことちゃん"バンドにも参加している。

    RSSブログ情報:http://www.tabroid.jp/news/2015/02/kusumi.html
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