日本には古来より「おもてなし」の精神が根付いているといわれる。しかし、日常生活において誰かと接したとき、真に相手の心を感じられることはそう多くはない。客としてホテルやレストランを利用する際はもとより、クライアントや企業からのメールをマニュアルライクだと感じることもしばしばだ。
そうした世情をよくないものだと批判し、理想論を並べたてるのは簡単である。しかし、実際に人の心を動かし、世の中を変えることは困難極まりない。第一に、「おもてなし」の心を持つことがいかに尊いことであるかを伝えるためには、本人がそれを実践できていないといけない。無論、うわべの作法によってではなく、「心の底から湧き出る想いによって」である。
そう考えたとき、おもてなしの「真の伝道者」にふさわしい人物として真っ先に思い浮かぶのが、藤岡弘、さんだ。
幼いころより探究している武士道の精神に則り、人を想い、自然を尊び、生かされていることへの感謝を忘れないことの大切さを説き続けているばかりか、近年では、おもてなしの心を反映させた「珈琲道」でもそれを表現する藤岡さんに、インタビューを試みた。
一杯のお茶や珈琲によって、もてなし手とお客の心が繋がる
――藤岡さんは客人をおもてなしする際、ご自身で淹れた珈琲を茶道の茶器で点ててお出しすることもあるそうですね。
そうなんです。私は、珈琲は香りで楽しみたいのでドリップで淹れているんですけど、客人をもてなす際には、淹れた後に茶器で撹拌することもあります。そうすると、抹茶同様にふわっと泡立ち、まろやかな味わいになるんです。
日本人は日本人的な珈琲のいただき方、点て方に堂々と挑戦してよろしいんじゃないかと思って、茶道の作法を取り入れてみたのがきっかけですね。茶道では、心を込めておいしく点てることで、お客がもてなし手の気持ちまで味わうという、「お茶を点てた人とお客との心の一体感」を大切にしてるんですよ。
日本人って、人を労わったり想いやったり、相手に感謝したりといったことをとても大切にしてるし、もてなしの文化を大事にしてきた民族でもありますよね。それと、自然に対しても畏敬の念が強いのも特長です。「八百万の神」って言葉がある通り、大自然すべてに神が宿っていると考える民族ですから、自然と対話して、問答して、神とともに喜んできたし、日本の芸術ってすべて神とともに楽しむためにあるんです。能にしても歌舞伎にしても雅楽にしてもそうだし、お祭りなんかもそう。神への感謝をもって一晩中みんなで喜んで五穀豊穣を祈るというかね。
祈るという行為の中には、相手を想い、自然に感謝し、万物に感謝して、生かされし我が命に感謝するという無言の問答があるわけなんですね。茶道においてお茶を点てるのもそういう儀式なんです。長い歴史の中で、日本人はそういった心を育んできた民族ですし、そういうことに対して日本人のDNAは抵抗がないと思うんですよ。
日本人は、古来より万物に感謝する心を持ってきた
日本には、武道、茶道、華道、弓道と「道」のつくものが五万とありますよね。仏道だってそうです。そのすべての「道」において、日本人は「気」の交換をおこなっているわけです。「心眼」という言葉の通り、目にみえないことを「心の目」で見ることを大切にしてきました。
だから、相手への想いを持ってお茶を点て、珈琲を点てることは日本人にとって当たり前。私はそういう風に捉えているから、思いやりを持って珈琲を点てて相手をもてなします。形から入るのではなく、心から「ありがとう」と言いながら、珈琲に「おいしくなってください」と言い、自然に感謝して語りかけていく。日本民族はすべてにおいて、歴史的にもそうやって生きてきました。森の神、木の神、山の神、海の神...万物に宿った神にお伺いをたてながら、自然と対話して、命をいただいてきたんです。
そういう気持ちで珈琲を点てると、相手は「日本人の心」をいただくことができますよね。人の心をいただくということは、出された珈琲がいつも以上においしく感じられるということですし、その場が和むということ。緊張が解けて、安心していただけるということです。
相手から差し出されたものを、不安感を持たないでいただけるっていうのは実はすごいことなんです。例えば、私は仕事やボランティアで渡航することが多いんですけど、空港なんかで知らない人にいきなり缶コーヒー渡されたら「どうもありがとう」とは言うけど絶対飲まないですから。飲んだフリはしますけど。だってもし睡眠薬が入ってて、飲んだ途端にことっと眠ってしまって、目が覚めたら身ぐるみ剥がされて裸で放り出されてたらどうします? 海外ではそんなのしょっちゅうあることですよ。
――海外でのボランティア活動にも尽力していらっしゃいますが、現地で危険な目に遭われることもありますか?
世界っていうのは常に緊迫した状況にありますよ。バッグをそばに置いといて安心して食事できるのなんて日本くらいのもんです。日本ってすばらしいなと思いますね。私はこれまでに100カ国近い国々を旅してきましたけど、海外にいるときは常に持ち物は自分の身から離さず肩に掛けて歩いてます。例えば街中で争いが起きてたら、日本人だと「何があったんだろう?」って興味津々で近付きがちですが、そんなことしたら巻き込まれる可能性が高いですから。市内のマーケットでドンパチが始まったと思ったら警官が犯人を射殺して...なんて光景を見てきて、「海外に出ると、意識を緩めると自分の身に何が起こるか分からない」ということを認識するようになったんです。
それによって、人生観や価値観、自分なりの心構えがガラッと変わりました。自分の中に、「常に危機感を持っていないといけない」という回路ができたんです。
実は、「危機感を持つ」ためにも珈琲は役立つんですよ。珈琲のカフェインが意識を覚醒させてくれますから。日本にいると珈琲って安息感を得るための飲み物というイメージがありますけど、海外だと、戦闘モードへのスイッチを入れるために飲むことも多いんです。難民キャンプなんかに行くと、兵士たちが緊迫した状況の中で任務を全うするために珈琲を飲みながら24時間体制で戦っているんですが、そういう環境下において、意識をオンにするための珈琲って、とても大切な飲み物なんです。
そして同時に、海外では珈琲は、その国を訪れる人をもてなすためのコミュニケーションツールとしても重宝されています。国によって淹れ方ももてなし方も全然違うし、国ごとの豆や、季節・気候によっても味が変わってきます。だけど、珈琲を介して相手との絆を深めるという点においては共通しています。それが、私が珈琲に惹かれてきた最大の理由です。
インターネットが発展した時代だからこそ、相手と対面してのコミュニケーションが大切
こういう想いって、テレビで話したり何かに書いて説明したりしても100%は伝わらないんです。でもこうやって(インタビュアーと)対面して話すと、スクリーンや紙面を通したときより何倍も深く理解して納得してもらえると思うんです。このコミュニケーションこそ、これからの時代に最も必要なことですよね。インターネットやスマホでの情報交換もできるけど、それでは真実性が希薄。真実というのは心の形ですから、それがないものを無暗に信用することはよくない。インターネットって便利なツールではあるけど、情報を得るための「材料」として扱うべきです。相手と対面して話すことはコミュニケーションの基本であり、最も大切なことです。
日本人はこのことの大切さを昔から知ってる民族です。だから侍道には、「腹を割って話そう」っていう切腹が存在するんです。あれは自殺ではなく、「我が心を分かってもらえぬなら、この腹を切り、中が真っ白であることを見せよう」っていうものです。命をかけて相手に真実を伝えているんです。自分の欲望をまっとうするのではなく、「敗れたる者を慈しみ、おごれる者を挫き、平和の道を立つること」という武士道の精神を持って、相手を思いやるということですね。
そういう日本人の心の機微って桜に例えられたりしますけど、ひらひらと落ちる花びら一つに涙してしまう日本人ってすごいと思いませんか? 桜の儚さとやさしさを愛しさに涙し、「私たちにこんなにたくさんの愛をくれて、散っていきながらも私たちの心を癒してくれてありがとう」っていうね。
自然界にあるものは、それこそ自己犠牲の精神で我々に無償の愛を与え続けてくれるなって思うんです。桜だってそっぽ向いて咲くことなく、「どうぞご覧になってください」って下向いて咲いてますし、豚さんだって鶏さんだって、「おい、お前、俺を食べたんだから金寄こせ」なんていってこないでしょう? それに感謝しなかったらおかしいですよね。そういった一つひとつのことへの感謝の気持ちを社会に還元するためにも、これからもおもてなしの心を大切に、「珈琲道」を究めていきたいですね。
俳優・武道家。1965年、松竹映画にてデビュー。1971年、「仮面ライダー」で一躍ヒーローに。映画「日本沈没」「野獣死すべし」「大空のサムライ」他、テレビ「勝海舟」「特捜最前線」「藤岡弘、探検シリーズ」他、主演多数。アクションシーンにおいてはスタントを使わず自らこなすアクション俳優として映画界を牽引してきた。ハリウッド映画の主役も務め、日本人初でスクリーン・アクターズ・ギルド(全米映画俳優協会)のメンバーとなる。武道家としても知られ、世界各国で真剣による武道演武を行ってきた。また、国内はもとより世界数十ヶ国の紛争地域、難民キャンプにて支援活動を精力的に行っている。芸能活動50 周年を迎えた現在も精力的に活動中。
藤岡弘、の最新情報は、
藤岡弘、オフィシャルサイト「侍道〈SAMURAI-DO〉」で。
「藤岡、珈琲」・藤岡弘、グッズのご注文は、「サムライ弘、ショップ」で。