竹田恒泰
    ブロマガ「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」   ▼第五号 
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                       平成24年12月4日                         
お題「教育勅語はなぜ世界で認められたか?」
                                その5
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明治の二大ベストセラー作家といえば、福沢諭吉と中村正直です。

福沢諭吉は現在でも有名ですが、
中村正直も当時は超一流の知識人です。
スマイルズの翻訳で『西国立志編』を出版し、
100万部売れたほどで、当時の日本の3,000万人強という
人口から考えれば恐ろしいほどの売れ行きでした。

前回は、井上毅が、その中村正直にも教育勅語を任せられないと
判断したところまでやりました。

続いてどうなったかというと、
井上毅は一人で書くとなるとやはり少し荷が重いと考えます。
しかも、文語調で書かねばならないということで、
元田永孚(もとだ・ながさね)に協力を求めたのです。

元田は儒教学者であり、漢学者であり、
中国の古典にも非常に精通しています。
そういう事情もあって、井上毅は元田永孚と一緒に取り組む
ことになたのです。

この時、井上毅は47歳。元田永孚は73歳です。
歳の差はかなりありましたが、この二人が一緒になって
教育勅語を起草することになりました。

様々な宗教を信じている人が誰でも一様に、
「これは天皇陛下の本心が語られてたものだ」
と感じるものでなければいけない。

明治天皇の「命令」ではなくて、
あくまでも、天皇個人のお考えが表現されたものでなくてはならず、
またて、宗派や思想に関係なく、日本人全員が自然と共鳴するものであって、
「こういうことだったら実践していきたいな」
と自然に思えるものでなくてはならない・・・
と、二人は、細心の注意を払って進めました。