文章を売ることのジレンマ
文章を書き、それを売る人にはジレンマがあります。
多くの人に読んでほしいということと、それに対価をつける、つまり文章にお金をつけるということの間に、明確なトレードオフの関係が成り立つことです。
例えば私はこの「ニコニコチャンネル」で「チャンネル会員」を募集しており、チャンネル会員だけが読める有料の記事を書いています。
それは一見すると「お金になるから」という理由に捉えられかねません。
ですけれども、現在チャンネル会員数は非常に熱心なありがたい読者さんのみでございまして、決してこれで何万円も儲かっているというわけではございません。
まあ学生さんとかだったら、月1万円とか入ってくるならば、嬉しいバイトになるかと思いますが、私はもう48歳のオッサンなんで、その程度の金額のために有料にしてしまうのにはためらいが生じます。それだったら皆さんに読んでいただくことの方が重要なのではないかというふうにも思ったりするわけです。
note記事との対比
実際に私はnoteの方でも記事を書いておりまして、こちらは主に仕事術とかそういったものがメインで、本当に仕事ができるようになる記事を出したり、医師の監修をつけ、論文などで学んだ本格的なダイエットの記事です。1つのノート記事で1万円近くお金をいただいたりする場合もあります。非常に調子が良い時は、月150万円とか売れることもありました。私はその気になれば、保有している知識を一定の知的操作によって新しいnote記事にすることが可能で、それはそれなりに売れるでしょう。
ですので、このニコニコチャンネルで有料記事を書くということについて、一体どのような意味があるのか少し整理しづらい部分があります。
1点は、とつげき東北の作成した文章や動画だったら、そのために月々のお金を支払ってくれるチャンネル会員様になる熱心な読者さんが居てくれるということの確認という意味があります。
もう1点は、私が数千円の値段をつけて売るほどではないにせよ、緻密な論理を組んで言語化していること一つ一つ伝えたいことという意味があります。例えばそれは今日あったちょっとした知人との交流の中で組んだロジックなど、それを読んだからといって即座に誰しもお金が儲かるとか美容に良いとかではない何らかの文章が、どの程度人に求められているかを確認する営みという意味が考えられます。
文章とお金、クリエイターの狂気
少し話を変えます。
私はnoteと同様の形式の、あるアプリケーションを、友人のシステム企業に500万円払って開発したことがあります(見事にポシャりました)。開発に関しては、友人にほぼ任せっきりで、基本的な仕様をお伝えしただけでした。その結果どういうものになったか。
ある文章を誰かが書いて、販売部数を決定します。販売した文章に、購入者がリプライ(文章を書き足す)した文章を、購入者が再販可能です。それを繰り返して、あわよくば非常に優れたリプライの連なりとなった価値の高い文章を、最終的な購入者が保有することになります。ただし、その文章を読めるのは最後に購入した1人だけなのです。
これには非常に致命的な欠陥があります。クリエーターと言うとカッコつけていますが、要するに「文章を書く人」は、「文章を読んで欲しい」という欲求が一番強いのです。100人でも200人でも、とにかくたくさん読んでほしいという強い衝動みたいなものが存在します。ところがこのシステムですと、1冊1冊の、もしかしたら洗練された文章を、1人だけにしか見せることができない仕組みになってしまっていました。
このシステムを、私の文章書きの友人に伝えると、「ええ、それは誰が使いたいの?」と愕然としてしまいました。システムを開発してくれた友人は「文章を書く人」ではなかったので、どうしても「ユーザーがどうやってお金に変えるインセンティブを持つか」という視点だけを持っていて、「どれだけ多くの人に読んでもらいたいか」という文章書きなら誰しも持つ欲望に関する観点が欠落していたというわけです。
これは失敗して当然でした。
文章と大衆性
文章を書くということはなかなか難しい側面があります。お金を目指すなら、要するにどちらかというと大衆向けの本といいますか、誰しもが読んでそれなりに「なるほど」となったり、ちょっと気分がよくなったりと、単純に言えばレベルの低い実用書めいたものに漸近していきます。
私はそんな文章を書くということは嫌いです。
例えば私が2004年に出版した『科学する麻雀』(とつげき東北、講談社現代新書)では、私が1人で何年もかけて研究をし、その結果を当初最初わずか777円で売るというような体験をしました。これでは労力に見合うような対価にはなりません。初めに1万5千部から販売し、発売2日後には増刷がかかり、あれよあれよと売れて今24刷までいきました。書籍としては稀有な大成功です。しかし、だからといってそれが私にとって大きなお金になっているかというと、そうではありません。印税は10%(これでも出版業界では最高水準)で、一冊売れたら77円が私に入ってくるのです。77円買ってくれたいただいた人には非常にありがたい気持ちしかないわけですが、何年もかけて研究して大学院を中退してまで(当時は「麻雀研究」が修士論文の題材として認められなかった)必死にずっと研究を続け、ようやく世に出せた本が、僥倖にも伊坂幸太郎先生の『砂漠』や、多数の学術論文にも引用されるなど、非常に評価の高い本になったとはいえ、こと「お金」という観点から見ると、おそらく時給50円にも満たないでしょう。
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