今回はエッセイらしく、普段着のノリで書いていきますね。

ちょうどTOSHIくんの誕生日だから、つれづれ最近想ったことを綴りつつ、せっかくだから世界の美声、TOSHIくんの魅力についても書いちゃったりしようかな〜と思っていたら残念ながら日が変わってしまってアレだけど、昨日はTOSHIくんの誕生日だった。

TOSHIの誕生日が体育の日、というのも(もともと体育の教師になりたかったTOSHIくんらしくて)あまりにピッタリでなかなかだけれど、不思議なもので、みんなに愛される存在ってそういうものだったりする。

そういうもの、っていうのはつまり、いかにもそれらしくて、まるで最初から狙ってたかのように見える、でもよく考えてみると、それはあくまで偶然だったり、決して意図したものではなっかったりする、みたいな。
または、それを見るとあまりにみんなの心にピッタリくるから、昔からその存在が当たり前にあったような気がするけれど、よく考えてみると実は「ゼロから生まれた新しいもの」だったりする、っていう、いわゆる『コロンブスの卵』状態のこととかね。

例えば、『ART OF LIFE』っていう作品の存在とコンセプトとか、『恋人はサンタクロース』っていう作品の存在とコンセプトとか。

あるいは『ヒッチコック』の映画や『ディズニー作品』のすべて、それから『ウォークマン』とか『iPhone』の存在とかね。

でね、最近2ちゃんねるのまとめサイトを眺めていて、あるスレッドが目に留まったの。


それは、

「Appleのロゴのリンゴが欠けてる理由をガチっぽく説明出来た奴が優勝 wwwwwwwwww」〜リンゴが欠けてる理由を教えてください

っていうスレなんだけど。この問いかけに対して、

「ジョブズが齧ったリンゴを手に取ってこれでいいだろって言ったから」

とか

「リンゴ=知恵の果だから聖書では知恵の実を食べたことは人間の罪だが、リンゴをかじったマークにすることで人間の知性を肯定的にとらえてるだけ」

とか、

「ニュートンはりんごが落ちた光景を見て偉大な発見をした。アップルはそこから更に一歩進んだ先進的な製品を生み出すという意味でりんごをひとかじりしたマークにしている」

とか。あるいは

「ジョブズは若い頃から自分が発達障害を抱えていることを無意識の内に理解していて人間として欠陥していることを理解していた。会社の商標マークを考案する際に「自分」→「欠陥人間」という形式を「りんご」→「欠ける」という象徴的な形で表したのではないか」

なんていうジョブスの人間性に触れるコメントも登場したり、

「リンゴが欠けている→不完全不完全な物をずっとロゴマークとしておく事によって『まだ完全ではない』『まだまだ未知の部分を探求し続ける』等の指標となるから」

あるいはこのコメントの着眼点をよりリアルに転化・要約したかのような

「欠けた部分を埋めるのはユーザーだから」

という秀逸なコメントもあったりして、興味深く読んでいたんだけどね。



そしたら突然、

『X』っていうバンド名、改めて考えると凄いよな・・・

って、思ってしまったんだよね。