深く深く… 何か作品を生んだり創ったりする時に大切なのは、自分の『内なる声』だ。

『内なる声』に耳を傾けて、その震えのような、衝動のような・・・たとえそれが僅かな息しかしていなくても、ちゃんと『生きている』もの、それを感じて、作品へ繋げていく。

『内なる声』がちゃんと聞こえたら、作品の基本はできている。

あとはイメージ通りに仕上げていけば、エネルギーのこもった力強い作品になる。




また一方で、まだ作品が影も形もない状態のときに『こんなものが欲しい』と、欲しいものへの強い願いがある場合は、そこから作品を生んだり創ったりすることもある。

そんなときは、すでに世の中にある作品がイメージを刺激してくれる。

例えば「あの作品のあの感じが、自分だったらあのイメージと溶け合って、あんな感じの作品になる気がする・・・ああ、そんな作品を味わいたいなあ・・・」

といった風に。

そしてこの場合も、その根底にあるのは『内なる声』だから、仕上がった作品は、やはりエネルギーのこもった力強い作品になる。



僕の場合だと、Tsuda Pianoのようなピアノ曲は前者になる。インストルメンタルの曲はたいていそうだから、僕のアルバム『Gradation』 などは全曲こちらの生みかたになる。

一方、アーティストのプロデュース音源やCMなど、何らかのビジョンに基づいて作品を生み出す場合や、自分が大好きな作品に触発されて作品を生み出す場合などは、後者になる。
特に僕の場合、リズムトラックは何かしら触発されて創るため、強いリズムの作品はこちらの生み出しかたになることが多い。


ただ、前者後者どちらにしても、重要なのは『内なる声』を聞くことから始まる。
その結果、生きた作品、つまり『命のある作品』となって、多くの人の心を動かし、震わせるからだ。


仮にこのような『内なる声』に耳を傾けることなく、作為的に、あるいはごく計画的に作られた作品、結果として命がないような作品はどうなるか、というと、商品として一時的に売れることはあっても、やがて忘れ去られ、消えていく。




いつも書いているように、X JAPANの作品は『命のある作品』であり、しかもその『命』がとりわけ強くて、結果100年以上残る特別な作品ばかりなのだけれど、川崎クラブチッタで行なわれたhideのイベントを鑑賞して、思ったことがある。

YOSHIKIの作品が先ほどの2つでいうと前者の生みかた、hideの作品が後者の生みかたで生み出されているのでは、と思ったのだ。

いわば、作風の違いだ。


前者の場合、作品が生まれるきっかけは作者自身の中にある。

『内なる声』は、ひたすら自分自身に問いかける。

心を動かしてやまない、そのエネルギーのもとを、自分の中に求め、訊く。

その結果を、ひたすら作品にしていく。

まさにYOSHIKIの生みかたはこちらだ。




後者の場合、作品が生まれるきっかけは作者自身の外にある。

まず自分が惹かれ、心動かされるものをしっかり見つめる。

次に、自分がそれらになぜ、どのように心を動かされたのかを見つめ、そのエネルギーのもとを、自分の中に求め、訊く。

そして、惹かれたものからインスパイアされながらも、自分の中から全く新しい作品を生み出す。

まさにhideの生みかたはこちらだ。





ただ、どちらも他のアーティストと比べて突出しているのは、オリジナリティの強さだ。

何かに似ていることがなく、作品の魅力はYOSHIKIの、そしてhideのオリジナリティに満ちている。

では、そのオリジナリティはどこから生まれたのか。

それはやはり、『内なる声』だ。

そう。

『内なる声』に耳を傾けることで、エネルギーのこもった力強い『命のある作品』が生まれ、それがオリジナリティに溢れる作品として結実するのだ。





先週、5月2日のイベントで、hideのライブ映像を観て感嘆したのは、その新しさだった。

楽曲、ビジュアル、ステージパフォーマンス・・・

20年も前の映像なのに、どれもが未だに新しくて、しかも今のところ、hideの生み出したイメージが誰かに模倣されていることもなさそうだ。

この「どこも古くなっていない」感は一体どこから来ているのか・・・。

映像を見つめながら、僕は考えていた。

そして観終わった後、自分の中で辿り着いた結論は、やはり『hideのオリジナリティ』だった。

当時のhideが、何らかの作品に刺激(=ヒント)を感じて生み出したもの。

その刺激(=ヒント)の分だけ、作品のバリエーションやイメージはとても豊かだけれど、刺激(=ヒント)はあくまで刺激(=ヒント)であり、生み出した作品は圧倒的に『hideのオリジナル』だった。

だから、20年経っても全く色褪せない。

『hideのオリジナル』だから、他の人には真似のしようがない。




ちょうど前回のブロマガで、X JAPANの作品が30年経っても全く古くない、という話をして、多くの作品を手がけるYOSHIKIの圧倒的なオリジナリティについて書いた。

そして今回は、hideの圧倒的なオリジナリティ・・・。

YOSHIKIとhideという、他のアーティストには到底真似のできない、100年以上残る作品を生むことのできる特別な才能を持った2人が共に未来を創っていた、Xというバンド。

何というバンドだろう、と改めて僕は思った。

そして、Xというバンドの凄さが圧倒的な作品達にきちんと刻まれていることに、強い喜びを感じた。

音楽作品だからこそ、世界中に伝わる。何年も時代を超えて伝わっていける。





今、世界中を飛び回るYOSHIKIの中にhideがいる、ということの重要性は、こういったことからもわかる。

だから、X JAPANのステージが5人ではなく7人であるという事実は、単なる美談ではなく、音楽に命を賭ける才能の深さそのものを表しているのだと、僕は思うのだ。