10年前、拙著「すべての始まり」を上梓した直後にソニーミュージックで打ち合わせをしていたところ、10才ほど年上のプロデューサーに声をかけられた。
「すべての始まり」を読んでもらえたようで、いくつかの感想を聞かせてくれた上で、「普通こういう本は、自分の功績を説明したり自慢したりするものだけど、お前の場合はそれが全くないのが良い、そこはなかなか評価できるよ」とその人は言った。
Xのメンバーと出会って以来、「Xという物語」を常に心に刻み続けた結果、その物語をきちんと書き綴るのが使命だと感じていた僕にとって、自分のことを書く必要がないのは当然のことなのだが、彼のように一般的なプロデューサーにとっては、そのような想いで本を書き上げることが、奇妙で珍しく感じられたのだろう。
その時はその感想に対して嬉しい気持ちを返して終わったのだが、しばらく経ってから思い返してみると、何となく疑問と結論のようなものが生まれた。
まずは「多くのプロデューサーは、その程度の気持ちでプロデュースに携わっていたのだろうか」という疑問。
そして「僕があれだけ必死になってXのプロデュースを手がけたのは、やはり魅力に溢れたメンバーの人間性によるものなんだろうな」という結論。
つまり、他のプロデューサーと違って、あれほど人間的に魅力のあるメンバーと出会えた僕は、相当な幸せ者だった・・・ということになる。
そして、もし自分がXと出会うことがなかったら、やはり他のプロデューサーのようになっていたのだろうか、と考えてみる。
きっとそうはなっていないだろうな、と思う。
なぜなら、「本に自分のことを書く必要がない」と当たり前に思うのは、僕の生きかたによるものだからだ。
前回、「僕自身の人生や生きかたとXやYOSHIKIへの想いを、一筆書きのように繋げて一気に表現することができる」と書いたけれど、僕はこれまでずっと、自分の人生を次のように考えてきた。
自分らしさを一番大切にして、そこから生まれるものを元に、たった一つで良いから何かを成し遂げる人生でありたい・・・。
100年に満たない人生を通して成し遂げることが、僕にはいくつもあるとは思えなかったからだ。
だから、音楽人生を歩んでいくことを決めた中学生の僕は、ちょうど自分が人生を救われたような、圧倒的でとてつもなく素晴らしい音楽だけを送り出して、ビジネス的な偏りや歪さを感じる日本の音楽シーンを変えていきたい、と心に刻みつけた。
以来、僕はただそれだけを続けて来た。
僕の人生は、その目的を全うするためにあるのだ。
それが僕の生きかただ。
そしてXと出会って始まったプロデュースは、その目的そのものだった。
ただ・・・。
そんな僕なりのオリジナルなプロデュースを実現できたのは、メンバーの人間性がもたらしたものだったのだ。
だから、「Xという物語」は、魅力に溢れたメンバーの人間性が生み出す物語なのだ。
メンバー全員に共通する人間性の魅力は、今や世界的活動を展開するバンドという夢のような結果をもたらしてくれたのだけれど、そのような世界的な活動を牽引するリーダーYOSHIKIの姿勢には、その人間性が全てにおいて表れている。
コメント
コメントを書くX JAPAN、津田さんの音楽に対する気持ち、人々に対する気持ち、それがファンだけでなく
世界中の人々に対する優しさに感服です。
X JAPAN、津田さんのファンで良かったです。
そして、日本全国にYOSHIKIさんの思いが届いて欲しいと切に思います!!!