ちょっとした対談形式のインタビューがあり、僕がXと出会った頃のエピソードから現在のX JAPANやYOSHIKIの世界的な活動に関する感想まで、様々な質問に答えた。
  
 インタビュアーをして頂いた、旧知の仲であるイベントプロデューサーの西澤さんが洞察力の高い方なので、質問がありきたりではなく、常にその質問の向こう側に何らかの可能性を秘めていることもあって、僕の答えは一つではなく、その答えからまた新たな事実や可能性が生まれ、たとえ質問が30年前のことだったとしても、答えの最後の方には今と未来、そして僕自身の生きかたに繋がる話をしてしまう・・・という、とても豊かなインタビューとなった。

 そして、2時間途切れることなく話し続けて実感したのは、僕自身の人生や生きかたとXやYOSHIKIへの想いは、まるで一筆書きのように繋がりながら一気に表現することができるのだ、ということだった。
 
 形として僕はソニーミュージックの社員ディレクターだったのだけれど、ここまで自分の人生と深く重なると、Xのメンバーと僕は、やはり単なるレコード会社の一担当などではない、桁外れに深い関係だったのだな、と思う。
 
 そしてその関係が仕事上の関係では収まらなかった理由というのは、何より僕の生きかたにあったのだろう。
 
 そう考えると、自分の生きかたとシンクロする、ほぼ同年代の優れたバンドと出会えたという事実が、奇跡のように思えてくる。
 
 
 
 「Xという物語」について書く時、僕はよく「タイムスリップをして」と表現する。
 
 ただ思い出を辿る、というのではなくて、実際にXと共に歩いていた頃の自分が見ていた視点に戻り、五感でその頃の感覚を確認する、という感じなのだけれど、それがリアルにできるのはあの頃の自分と今の自分が何も変わらず、同じ想いと志で繋がっているからなのだろう、と思う。
 
 何が一番大切で、何のためにどのように毎日を生きていくのか、そんな人生の根本が30年前も今も全く変わっていないから、あの頃の自分の叫び吠えるような想いを頼りに、時間だけをスライドさせると、タイムスリップができる・・・そんな感じなのだ。
 
 興味深いのは、そのようにしてタイムスリップをした時、常に新たな発見がある、ということだ。
 
 これまでこのブロマガや拙著「美しい記憶」「すべての始まり」などで書いてきたのは、そのような発見があること自体を楽しみ、その発見を丁寧に書くことで喜びを感じていたのだけれど、今回のインタビューを通して僕はもう一つ別のことについて考えている。
 
 それは、僕がタイムスリップをした際に新たな発見をすることと、メンバーの人間性との関係だ。