小学1年から3年生まで、僕は横浜市立富士見台小学校に通っていた。
 
 その頃、僕は授業の最初に先生が話してくれる「道徳の話」が好きだった。
 
 「道徳」が好きだと書くと、まるで優等生のようだけれど、何度かこのブロマガで書いたように、僕は決して良い学童ではなかった。
 
 見た目は照れ屋の優しそうな子どもだったが、心の中は真っ黒だった。
 
 大人を信用していなかったからだ。
 
 真実を知りたくて、子ども扱いされるのが嫌で、自分の人生をきちんと創りたくて、だから早く大人になりたかった。
 
 成績は悪くなかったけれど、授業中は先生の話を聞かずに窓の外ばかり眺めていたし、そもそも学校で教わることには人生に直結する本質を学べるものはないだろうと考えていた。
 
 真実やものごとの本質は学校の外にある、そう信じていた。
 
 そう信じるようになったきっかけは、あまり思い出せないけど。
 
 そんな僕が、「道徳」の授業や、授業の最初に聞く「道徳の話」は大好きだったのだ。
 
 今思うと、他の科目と違って、「道徳」だけは僕にとって「リアル」だったのだ。
 
 
 
 本をたくさん読む子どもだった。
 
 家や図書室で、様々な本をむさぼるように読んでいた。
 
 偉人伝や動物の本、物語や図鑑に描かれていることが僕の好奇心を煽り、胸を踊らせ、心を熱くした。
 
 書かれていることにエネルギーを感じると、僕にとってそれは「リアル」であり、しかもそこにはものごとの「本質」がきちんとあった。
 
 僕は小さな頃から「自分」というのはいったい何なんだろう、と思っていた。
 
 つまり「自意識」というものの正体が知りたかったのだ。
 
 本を読むとその答えに近づく気がした。
 
 もしかすると、あの頃の僕は「自分」をリアルに感じて「自意識」の「本質」を理解したくて、本を読んでいたのかも知れない。
 
 そんな僕だから、普通の授業は退屈でつまらないものだったのだ。
 
 教科書のページの隅に、小さな字で「学習要領」という記載がある。

 先生を始め、その教科書を使う大人に向けて、書いてある課題がどんな目的で、どのように使って何を教えるべきなのかが解説してある。
 
 僕は本文なんかより、その記載を読みながら「ああ、大人たちはこういう内容を子どもたちに教えるために授業をしているのか」などと思っていたのだ。
 
 そんな風に僕は、学校の授業というものを冷めて見ていた、大人を舐めきった最低のガキだったのだ。
 
 
 
 では、なぜ「道徳」は好きで、それが僕にとって「リアル」だったのか。
 
 もしかしたら小学1年から3年生までの、富士見台小学校の担任の先生が特別に良かったのかも知れないのだけど、僕は「道徳」の話を聞くたびに、先生がちゃんと自分の人生を元にしてお話をして下さっている・・・と強く感じ、心を動かされていたのだ。
 
 担任の先生は複数だったから、それはきっと富士見台小学校の方針だったのだろう。
 
 僕は、それぞれの先生が話してくれる「道徳」の話を、本を読むように真剣に聞いていた。

 先生の日常や人生が元になっている話だから、本よりもさらにリアルだった。
 
 おまけに「道徳」の時間だから、人としてあるべき姿、人の持つ可能性、人が人のためにできること・・・など、僕の好きな「美しい心」についての話ばかりだったから、話を聞きながら僕は心を強く動かされていた。
 
 たまに感動して泣くことすらあった。
 
 
 
 そんな僕の小学生としての実態は結構悲惨だった。

 三学期が終わり、その学年の最後になると、僕の教科書はみるも無惨に破れていた。
 
 「道徳」以外の授業は退屈だったから、授業中、ページを器用に折りながら稲妻のような跡を残して遊ぶのが好きで、そのうちにページをビリビリに破いてしまうのだ。
 
 いつも授業が終わると、僕だけ机と椅子が少し移動して離れたところにある。 

 退屈だから身体を捻ったり動かしているうちに、移動してしまうのだ。
 
 今は音楽家になったけれど、小学生の頃は音楽の授業が心底苦手で、音楽だけは通知票の評価がいつも5段階の「1」だった。
 
 そんな風に「ダメな学童」だった理由は、授業という時間が僕にとって1ミリたりとも「リアル」ではなかったからだ。
 
 逆に言えば、ただただ先生が日常の出来事を元に話して下さる「道徳」の授業は、他の授業とは比べものにならない位に「リアル」だったわけだ。
 
 
 
 YOSHIKIが自分の番組で「人のために何かしようとすると強くなれる、人を助けることで自分が救われる」といった内容の話をした。