PATAのバンド、Ra:INのステージを観に行ってきた。
 
 まだまだ感染は収まらないけれど、イベントやライブが積極的に展開され始めている中、ライブハウスでロックサウンドを浴びることを決めて、それならやはり、このところヘドバン上でインタビューが同載されているPATAちゃんのライブを観たいな、と思ったわけだ。
 
 前回、Ra:INのステージを観たのは10年以上前、確か渋谷のライブハウスだった。
 
 その時の印象で結構トラディショナルなロックサウンドだと思っていたのだけれど、今回はずっとオリジナリティに富んだ新しいサウンドになっていた。
 
 さらに今回のライブで一番驚いたのは、PATAのギターの音だ。

 空間系のエフェクトが一切ない、とてもドライな音でありながら、恐ろしく音が伸びる。

 何と言うか、例えば世界的なジャズピアニストがピアノを好きでたまらないように見えるのと同じで、ギターが好きでたまらない人によるプレイ・・・そんな世界標準のギターの凄みのようなものがそこにはあった。
 
 しなやかにうねりながら、時々叫びも入るそのギターフレーズを、ハードだけど結構幻想的でもあるバンドのサウンドが巧みに支えていて、そのバランスが素晴らしかった。
 
 曲の終わりがアンセム的な高揚感で終わることが多いことから、それぞれの作品が非常に強いポジティブなエネルギーを持っていることがわかる。
 
 聴いていて心と身体が空へ引っ張られるような気持ち良さは、そのエネルギーの賜物なのだろうと思った。
 
 一緒にステージを観た水晶(僕の音楽ユニットメンバー)も、その高揚感と音の良さ、そしてオリジナリティに深く感動していて、観に行って本当に良かったと思った。
 
 
 
 では、観たステージが過去の記憶と繋がるかというと、そのようなことはない。
 
 今現在のPATAが、圧倒的なギタープレイとオリジナルサウンドで観る人達を喜ばせていることは素晴らしいし、Ra:INというバンドそのものが20年にわたって活動を続けていることも素晴らしくて、それは僕の30年前の記憶とはまた別のところにある。
 
 つまりPATAというギタリストはPATAそのものであり、XのPATAはやはりそれもまたXというバンドの大切なPATAだ。
 
 僕もXのPATAを見たいと思って今回のステージを観に足を向けたわけではない。
 
 ウェンブリー・アリーナ公演という世界のステージで華麗なギタープレイを見せてくれたPATAが、今どんな音楽をやっているのかを自分の目と耳できちんと感じてみたいと思ったからだ。
 
 僕がそう思うのは、僕自身が音楽家で音楽の持つ本質をある程度わかっているだからだ。
 
 音楽には、今の自分が驚くほどそのまま表れる。
 
 もちろんピュアに音楽と向き合っている場合に限るけれど。
 
 だから、その人が演奏する様子を観れば、今のその人がわかる。
 
 その人の過去を知っていれば、その頃からの積み重ねもわかるから、ある意味人生そのものを感じることもできる。
 
 だから今回、僕はRa:INのステージを観ることで、今のPATAを感じることができると思ったのだ。
 
 そうして、ステージを観た僕は