今年、生誕50周年を迎えたhideの影響力は凄い。
 
 hideとの出会いがきっかけで音楽を始めた、というアーティストやミュージシャンはとても多いし、hideをリスペクトするクリエイターは、音楽にとどまらず広いジャンルにたくさんいる。
 
 hideの遺した作品は未だに新しいし、音楽だけでなくファッションを含む全方位でオリジナルなアーティスト性を表現したその姿勢は、多くのアーティストを目覚めさせた。

 しかもそのスタイルで最も成功しているのは、おそらく
今でもまだ、hideだ。

 そんなhideが、その生き様や作品から、あらゆる
アーティストやクリエイターに影響を与えるのはとても自然なことだけれど、若いアーティストやクリエイターにとって更に参考になるのは、hideが10年の間に大きく成長していった姿だと、僕は思う。

 
まだインディーズ時代、XのギタリストだったHIDEが、やがてhideという偉大なアーティストとなっていくまでをそばで見ていた僕にとって、hideは『アーティストが成長する可能性』を象徴しているように思えるからだ。
 
 

 僕が最初に出会った頃のHIDEは23才。
 
 自分の考えやイメージを常に強く訴えかけるYOSHIKIと違って、無口なHIDEは、自分のことを話そうとしなかった。
 
 3年間、新人発掘業務に携わり、数多くの才能ある若いアーティストと出会っていた僕は、HIDEの無口さが、強いアーティスト性の表れであることに気づいていた。
 
 そして、Xの強烈な個性に満ちたビジュアル性が、HIDEの才能の賜物であることにも気づいていた。
 
 きっと無口なHIDEの心と頭の中では、常にクリエイティブなイメージが渦巻いているんだろうな、と感じていた。

 
 
 当時僕は理由は分らないけれど、メンバー5人の中でHIDEとだけは、お互いの気持ちをいちいち説明する必要がない、と察知していた。
 
 だから僕はしばらくの間、自分の考えや想いをHIDEに何も説明しなかった。無口だから、それで関係は成立していたのだ。
 
 あとは黙ってHIDEの様子を観察して、何か気づいたり気になったりした時だけ、HIDEに尋ねた。
 
 そんな時、HIDEの答えはいつも、たったひとこと。

 はにかみながら、あるいは顔を傾げながら、または口を尖らせながら、時には
微笑みながら・・・
 
 その外国人の坊やのような様子を見ながら、僕は「ひでちゃんは赤ちゃんなんだな」と自分なりにHIDEの人間性を受けとめていた。
 
 出会った当時の僕は、メンバー5人の個性に合わせて、それぞれ違った接し方をしていたのだけれど、直感で、HIDEにだけは僕から積極的に自分の考えや想いを伝えず、HIDEの方から話してくる時まで待つことにした。

 やがて、その僕の接し方が正解だった、とわかる出来事が起きた。
 
 「すべての始まり」にも詳しく書いたけれど、1988年の夏、音楽合宿が始まってすぐ、HIDEと二人で飲みながら語っていた時の話だ。
 
 ベッドに並んで腰掛けながら穏やかに話していた時、突然HIDEが「津田さん、ROCK、分ってないでしょ!津田さんなんかにはさ、Stab(Stab Me In The Back)はわかんないんだよ!」と言って灰皿を壁に投げたのだけれど、この瞬間、HIDEが初めて心を開いてくれたのがわかった。 

 灰皿を投げた瞬間、HIDEは僕の心に直接ノックをしてくれたのだ。

 それがわかったのは、HIDEが泣いていたからだ。

 この夜、HIDEの方から僕の心にノックをしてくれたから、僕たちは深く分りあえる大切な友だちになることができた。
 
 そしてこの時から僕とHIDEの間には、クリエイティブなこと以外は、もう何も説明する必要がなくなった。 



 それからしばらくして、Sony Musicの社員だった僕がある日会社で仕事をしていると、HIDEから電話がかかってきた。

 電話の向こうでHIDEは泣いていた。

 個人的なことで、とても悲しくなっていて、すぐに会って話を聞いて欲しい、ということだった。

 急いで僕はHIDEが一人暮らしをしている部屋へ向った。

 会社で電話を受けてからもう30分も経っていたけれど、まだHIDEは泣いていた。

 それから僕は、HIDEが悲しんでいる理由とその背景をゆっくり聞いた。

 ときどき質問をしながら、ひたすらHIDEの話を聞いた。
 
 それが唯一、僕にできることだったからだ。

 やがて何時間も話をして、少し落ち着いたHIDEと、外へ飲みに出かけることにした。

 もう冬になりかけていたから外はとても寒かったけれど、少し歩いて入ったお店は暖かく、美味しいお酒を飲んでまた色々な話をしているうちに、いつしか二人は笑っていた。

 涙が止まらないような個人的な悲しみも、たくさん話をしてお酒を飲めばいつしか和らぐ位に、その頃僕たちが抱いていたXというバンドへの、音楽への、そして未来への想いは深く、強いものだった。 

 説明が必要なく会話ができたのも、夢で悩みを乗り越えられたのも、何よりHIDEが純粋にアーティストだったからだった。



 「BLUE BLOOD」レコーディング中のエピソードは、「すべての始まり」に書いてある通りだ。

 自分の信条とバンドの方向性の狭間で葛藤を抱えながら、HIDEがレコーディング中、ギタープレイに自信をなくしてしまったこと。

 その様子を見ていてギターレコーディングを中断、小さめのスタジオとエンジニアを自由に使えるようにして、HIDEのオリジナル曲制作に専念してもらったこと。

 その作品が素晴らしい出来で、メンバーから高い評価を得て、そこからまた自信を取り戻してくれたこと。

 そんな、当時のHIDEらしさが滲み出るような時間の結果が、5年後にはソロアーティストのhideとして結実、大きな花を咲かせた。

 どんなに優れたアーティストでも、当たり前に「初めの頃」はある。

 「初めの頃」には何が必要で、何が大切なのか。

 それがわかっていれば、若いアーティストがいずれ偉大なアーティストになる可能性が、ちゃんと見えてくるものだ。



 分りやすく言えば、当時のHIDEにはそのすべてがあった。



 まずは、オリジナリティだ。
 
 自分ならではの世界観を、自分の中できちんと育て、形にすることがアーティストの必須条件だ。

 そのためにはまず、自分のセンスを信じる気持ち、それから豊かなイマジネーション、さらに世界観を創っていくためのきっかけや刺激が必要だ。

 これらはみな、自分と身の回りのこと、普通に目に入るもので十分で、特別なことは何も必要ない。

 むしろ重要なのは何かを見た瞬間、すぐに反応する力、つまり好奇心と遊び心がポイントだ。

 子どもや赤ちゃんと同じだ。 


 そして、そのイメージをアイデアや作品にするためのエネルギーが必要となる。

 HIDEの場合は自らの劣等感と、音楽、とりわけロックとパンクに向けられる情熱と憧憬がエネルギーだった。

 何でも良いから、とことん好きなこと、打ち込めることがあれば良い。

 エネルギーの源が劣等感であっても構わない。

 憧れや感動を感じる分だけ、自らの大きなエネルギーとなる。


 さらにもうひとつは、自然体であること、つまり素直さだ。

 ある程度の才能があれば、人はどこまでも向っていける。

 だが、その成長を止めてしまうのは、実は自分自身なのだ。

 だから。

 何よりも大切なのは、自分を成長させるための、素直さなのだ。

 「望めば自分はどこまでも行ける」と信じる心。

 そのためには、自分らしい自然なスタンスが大切だ。周りの反応など気にする必要はない。

 素直さは自由につながっているのだ。


 HIDEはこれらの全てを持っていた。

 とても強く、深く。

 そして、それにつながること以外の会話は、あまりしなかった。

 だから、無口だったのだ。



 
 HIDEは、自らがロックスターであるために、自分の肉体への過酷な試練を当たり前に課した。
 
 そして、人から観られる姿への誇りとプライドを、強く、高く持っていた。
 
 また、多くの人たちに夢を見せることが、HIDEにとってはとても大切なことだった。

 だから、HIDEは憧れられる存在であることを大事にした。

 そして同時に、憧れる側である、ファンの気持ちを大事にした。

 そのふたつへの感覚を最大限に発揮することが、HIDEの、Xというバンドでの存在意義でもあった。

 見たこともないようなビジュアルセンスでファンをワクワクさせ、予想不可能なサプライズで観る人の度肝を抜き、自由の意味を伝えて思うままに自分を表現させるよう観客を煽り、魅力ある作品やパフォーマンスで、とてつもなく大きな夢を見せてあげる。

 そして・・・何よりも自分たちのファンを深く愛し、大切にする。



 HIDEは、その役割を100%果たすために、毎日を全力で生きていた。

 全力だから、周りにストイックで厳しい印象を与えていた。

 無口で感情を表さないから、緊張感もあった。

 けれど僕は知っていた。

 HIDEの本質が、赤ちゃんであることを。
  
 とても傷つきやすいけれど
 
 あっという間に育つ赤ちゃんのように
 
 無邪気に、素早く、無限に育ち続ける

 アーティストの中のアーティストであることを。



 
 (つづく)