Xがまだインディーズシーンからメジャーリリースを果たすまでの間、バンドとしてのビジョンやスタイルを構築しながら全力で前へ進んでいた頃。
創作と練習、打ち合わせにライブと、メンバーが毎日のように顔を合わせながら、未来を創っていた頃。
あの頃、HIDEがXというバンドに果たしていた役割について想いを馳せてみる。
そんな時、YOSHIKIの話に応えるHIDEを、僕はこんな風に見ていた。
何よりまず、HIDEはYOSHIKIのことを深く理解していた。
YOSHIKIの問いかけや相談、提案そのものの前に、その話をするYOSHIKIの気持ちや、その話をする意味合いなどをきちんと理解しつつ、話を聞いた。
もちろん、YOSHIKIの性格や人間性もだ。
そうすることで、話の結論に豊かな可能性が膨らむ。
問いかけの源を理解することで、問いかけに対する単なる答えだけでなく、問いかけを超えた、新たな答えが生まれることがあるからだ。
これは僕から見れば、アーティストプロデュースそのものだった。
つまりバンドのメンバーとしてYOSHIKIの話を聞く前に、ある意味HIDEはYOSHIKIのプロデューサーとしての側面を持っていたわけだ。
次に、話の内容を確認しながら、HIDEが独自に持っているファクターが、YOSHIKIへの答えにプラスさせていく。
つまり「ファンから見た理想的なバンド像」と「HIDE自身がイメージするかっこいいロックバンドのあり方」だ。
これらを重ねあわせて、YOSHIKIの問いかけに答える。
ここでYOSHIKIの持つセンスにHIDEのセンスが加わり、かつ相乗効果で新たな魅力も生まれ、バンドとしての魅力が何倍にも膨らむ。
つまり、YOSHIKIのエネルギーとセンスが、HIDEのビジョンを経て、Xという圧倒的な個性と魅力に溢れたバンドに結実していたわけだ。
僕の知る限り、当時かなりの割合で、Xの本質や土台がこんな過程で創られていたように思う。
HIDEがいることで、YOSHIKIは安心してエネルギー全開で、前へ進むことができた。
そして、HIDEのセンスやバンドのビジョンは、ファンに対する思いやりと楽しませ方、そしてファッションなど音楽以外のカルチャーの要素をバンドに取り入れる才能で、Xというバンドの魅力を急激に増幅させていたのだ。
そんな中、HIDEは一体何を考えていたのだろう。
HIDEがこのような役割を果たしていたのは、Xというバンドに、HIDEにとってのバンドの理想を見ていたからだと思う。
だから客観的にXというバンドを観ることができた。
だからXのギタリストとしてのあり方にこだわり続けた。
そして、だからこそ、どのバンドにも見ることのできない、圧倒的なカリスマ性と突出した個性を持つリーダー、YOSHIKIに、深い愛情と尊敬を持っていたのではないだろうか。
その頃から6年後。
Xの頃とは違い、単なる業界関係者の一人としてライブに招待された僕は、せむし男から突然変身するhideに子どものように驚き、はしゃぎ、その直後、歌い始めたhideの姿を観て、驚愕した。
僕の知っているhideとは別人だったからだ。
hideが、完璧なフロントマンだったからだ。
僕の知っているX時代のHIDEは、突出したリーダーのYOSHIKIや天性のボーカリストTOSHIといったメンバーの素晴らしさを、プロデューサー的な視点から客観的に見つつ、ギタリストという役割を果たすHIDEであって、そのHIDEならフロントマンであるTOSHIと肩を並べるようなパフォーマンスはできるわけがなかった。
その必要もなかった。
でも今、目の前で圧倒的なパフォーマンスを展開しているのは、紛れもなくあのHIDEだった。
そもそも、歌声が僕の知っているHIDEではなかった。
圧倒的なボーカリストであるTOSHIと共に、カラオケで歌声を披露する時のHIDEは、あくまでもギタリストがプライベートで歌う程度のボーカルだったはずだ。
しかし、hideというアーティストが歌っているその声量やボーカリストとしての姿勢は、完全にロックスターのものだった。
そのことに驚き、興奮した僕は、その何の気負いもない、いや、むしろ「かっこつけること」を全面否定するような、自然体の極みといった様子の身体の動きに歓喜した。
なぜなら、XのメンバーとしてのHIDEより、さらにかっこよかったからだ。
そして、そのかっこよさの源が100%、Xの存在そのものだったからだ。
変身というか進化というか、全く見たことのないhideという姿に感動して、僕はライブ後すぐに楽屋に向かい、HIDEと再会した。
そして、hideと話した僕は、その精神に圧倒された。
変身し、進化したソロ・アーティストとしてのhideの凄さを、僕は素直に言葉にしたのだが、HIDEは嬉しそうに喜びながら、一言、僕に伝えたのだ。
自分はあくまでもXのギタリスト、HIDEだと。
その誇りと自信で、これ位のことは出来るから、と。
僕とHIDEの関係だから、お互いに子どものように顔をほころばせ、多少の会話をするだけで十分だった。
楽屋を出て歩きながら、僕は溢れてくる感動を抑えきれなくなっていった。
そして嬉しそうな、優しいHIDEの笑顔を思い出しながら、その感動の理由を考えた。
HIDEはYOSHIKIの、そしてXというバンドのプロデューサーのような存在だった。
だから、自身がソロ・アーティストとして活動するにあたり、その視点をフル活用したに違いない。
つまり「ファンから見た理想的なバンド像」と「HIDE自身がイメージするかっこいいロックバンドのあり方」を、さらに自分なりに完璧な状態にして実践し、YOSHIKIやTOSHIといった圧倒的な存在についても、可能な限り吸収して自分なりに表現する。
現に、歌声の存在感は、TOSHIへのリスペクトに満ちているように、僕は感じた。
「ファンから見た理想的なバンド像」と「HIDE自身がイメージするかっこいいロックバンドのあり方」に至っては、HIDEらしく、Xではできなかったことも加えて網羅し、もはや全てを表現しているかのごとく、炸裂しっぱなしだった。
では、YOSHIKIという存在についてはどうだろう?
ここで僕は思考が停止した。
ないのだ。
YOSHIKI的な要素が、皆無なのだ。
なぜなんだろう。
そして再び、たった今感動した「自分はあくまでXのギタリストだ」という発言に戻った。
YOSHIKIの存在と、Xというバンドに対する、誇りと自信・・・。
ああ、ひでちゃん、それほど、Xを想っているんだ・・・。
それなら理解できる。
僕は、謎が解けていくことに喜びを感じ始めた。
Xというバンドに注ぎ込むとてつもない愛情や情熱、才能が溢れて止まらず、ソロ活動という形で花開いた。
そしてその結果が、とてつもなく素晴らしかった。
僕も含めて、多くの人が感動や興奮を抑えきれずに、hideへの想いを強くしていく。
そんな中、HIDE本人は、シンプルに、「自分はあくまでXのギタリストが本分だ」と言い切る・・・。
そうか、HIDE自身は、何も変わっていないんだ。
子どものように無邪気で、ロックスターという夢をたくさんの人に見せてあげたくて、YOSHIKIのことが大好きで、メンバーが大好きで、Xが大好きで、その一員であることに誇りを持っていて、やりたいことがたくさんあって、伝えたいことがたくさんあって、ファンのことが大好きで、ファンを喜ばせたくてしょうがなくて・・・。
そんな、無邪気な気持ちとバンドに向ける大きな夢があれば、これくらいのことは簡単にできて・・・。
HIDEにしてみれば当たり前のことをしたまでで。・・・ということは。
HIDE本人以外の人が驚くとすれば、それはそのまま、Xというバンドの凄さになるわけで、それはそのままHIDEの、YOSHIKIに対する誇りと愛情になるわけで・・・。
ひょっとして、HIDEは、Xというバンドのメンバーでありながら、Xのファンでもあったのだろうか。
YOSHIKIの理解者である、ということは、YOSHIKIの思い描く世界観の最大の理解者でもあったのだから。
実際、僕はHIDEからYOSHIKIに対するライバル意識を感じた瞬間は、一度もなかった。
TOSHIくんのことをいつも想い、PATAちゃんの良き友人で、TAIJIの大事な仲間で、HEATHをメンバーとして招いた中心であり・・・。
Xの土台を創り、Xを俯瞰で観つつプロデュースし、Xのファンを優しく包みながら、誰よりもXを誇りに想い、Xのギタリストであることに自信を持って・・・。
そして、HIDE自身が、その理想型であるバンド、Xのファンだったのではないだろうか。
HIDEは、Xを誇りにしていた。
HIDEは、Xというバンドの存在と使命に厳格だった。
HIDEは、ファンに優しかった。
HIDEは、人が好きだった。
HIDEは、嘘が嫌いだった。
HIDEは、hideというアーティストを、楽しそうに軽やかにやっていた。
HIDEは、最後までXのギタリストだった。
HIDEは・・・。