自分は、

 100年残る音楽に、なぜこだわるのか。

 100年残る音楽を、なぜ追い求めるのか。

 YOSHIKIが100年残る音楽を生むことを、なぜ喜び、誇りに思うのか。
 
  年の初めに、自分が大切にしている想いを、改めて見つめてみた。

 やがて、心に柔らかい光が射した。

 そして、音楽を仕事にしていることの幸せを深く感じた。

 今回からしばらく「大切なこと」と「大切にしまってある記憶」を交互に織り交ぜながら、綴っていきたいと思う。
 

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 僕にとって昨年、最大の出来事は、横浜アリーナとMSG公演で『X JAPANとYOSHIKIの輝く未来』が確実に見えたことだ。
 
 メンバーの生き様と運命共同体が「生きた映画」となっていたことや、YOSHIKIのパフォーマンスが「過去最高」であったこと、そして「YOSHIKI自身がXになっていた」という発見など、あのライブは圧倒的な魅力と新たな輝きで溢れていた。

 しかし改めて考えると、それらを生んだ源はすべて、時代も国境も超える力を持った『オリジナル作品の音楽性』とそれを生んだ『YOSHIKIの音楽への想い』にあったことに気づく。
 
 そんな意味からも、世界の音楽の中心で堂々と披露されたオリジナル作品が、25年前と全く変わらないアレンジとパフォーマンスだったという事実はとても重要だ。
 
  X JAPANの音楽が25年以上変わらないのは、変わる必要がないからだ。
 
 変わる必要がない位、研ぎ澄まされて送り出された作品だからだ。

 なにより、その作品が誰の真似でもなく、オリジナリティの塊だったからだ。

 きっと真のオリジナル作品というのは、古くならないものなのだろう。
 
 そして、その古くならない、研ぎすまされた作品が、25年の間に世界中へ広がり続けたということは、すでにX JAPANの作品が100年残る音楽になりつつある、ということの証明でもある。
 
 僕がこのことを誇りに思うのは、このようなことを実現できるアーティストが、ごく限られた存在だからだ。

 本当は僕は、X JAPAN、ひいてはYOSHIKIのようなアーティストが、日本にもっと多くいるべきだと思っている。

 そもそも2
0才の僕が音楽業界に入ったのは、そういったアーティストが増えて欲しい、という想いからだったのだ。

 でもYOSHIKIのように、
強い音楽への想いから高い志を貫けるアーティストは、なかなかいなかった。

 その理由を考えるより、YOSHIKIが他のアーティストよりも突出しているところを考えた方が早い。