古川健介『TOKYO INTERNET』第4回
なぜTwitterは日本における
最強の投稿サービスなのかを考察してみる
【毎月第2水曜配信】 
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.12.14 vol.753

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今朝のメルマガは古川健介さんの連載『TOKYO INTERNET』の第4回をお届けします。
今やTwitterは日本でのみユーザー数が伸びているSNSとなっていますが、その理由を「日本における投稿サービスのアーキテクチャの変遷」から考えます。


▼プロフィール
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古川健介(ふるかわ・けんすけ)
1981年6月2日生まれ。2000年に学生コミュニティであるミルクカフェを立ち上げ、月間1000万pvの大手サイトに成長させる。2004年、レンタル掲示板を運営する株式会社メディアクリップの代表取締役社長に就任。翌年、株式会社ライブドアにしたらばJBBSを事業譲渡後、同社にてCGM事業の立ち上げを担当。2006年、株式会社リクルートに入社、事業開発室にて新規事業立ち上げを担当。2009年6月リクルートを退職し、Howtoサイト「nanapi」を運営する株式会社nanapi代表取締役に就任。

『TOKYO INTERNET』これまでの連載はこちらのリンクから。

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(イラスト:たかくらかずき)

今日のTOKYO INTERNETでは、日本における投稿サービスのアーキテクチャの変遷について話したいと思います。

2ちゃんねるのような匿名掲示板からmixiのようなSNS、そしてTwitterにいたるまでの歴史と、その背景にはユーザーが何を求めていたのか、また運営者は何をさせようとアーキテクチャを設計したのか、という点を整理していきます。

結論としては「Twitterは日本における最強の投稿サービスとなった」ということです。


■なぜ人はインターネットに投稿するのか

まず、インターネットに投稿をする、ということの意味を考えてみたいと思います。インターネットに投稿する、というのは変な言い方ですが、ここでは「ネットサービスなどを使ってネット上に自分の書いたものをおいておく」という意味です。

なぜ人はネットに投稿するのか、というのは極端にいえば誰かにコミュニケーションをするためです。一切の反応もなくていいから文章をおいておく、というのもゼロではないのでしょうが、大なり小なり誰かとのコミュニケーションを求めているといってよいでしょう。

そして、そのコミュニケーションの目的も2つあります。僕の整理ではそれぞれの目的のコミュニケーションについて、「情報共有型」と「感情共感型」と呼んでいたりいます。

情報共有型コミュニケーションとは、「コミュニケーションの目的が情報である」ことであり、感情共感型コミュニケーションとは、猿が毛づくろいをするように「コミュニケーションの目的が、お互いに敵意がないことを確認するための馴れ合い」です。

簡単にいうと、コミュニケーションの目的は、仕事でのやり取りのような、情報の交換が目的のものか、ただコミュニケーションして楽しむおしゃべりのようなものか、という区分けです。

■インターネットへの投稿の歴史

そんな前提を踏まえて、まず、日本のインターネットにおける投稿への歴史を遡ってみたいと思います。と言っても、詳しく書くと本一冊くらいになってしまうので、簡単に……。

※ちなみに「インターネットにおける」と大きく括っていますが、これは「世界における」といっているような世界の大きさのことを一般化して書いているので、あくまで僕が見てきて僕が感じたインターネットの歴史だということをご了承ください。

まず、日本のインターネット投稿の歴史は、パソコン通信でのコミュニケーションがスタートにあります。ここでは言葉遣いなどが荒かったとしても、ある程度の知識層による投稿が多くありました。ここでやり取りされていたのは、どちらかというと情報共有型、つまり情報のやり取りがメインでした。そして、そこからNiftyフォーラムにたどり着きます。

ここまでは、ハンドルネーム性、つまりインターネット上のためのニックネームを名乗り、それで発言するのが普通でした。現実の自分と結びつくことはそんなになく、だからといってアイデンティティがないわけではない、という状態です。
しかし、日本のインターネットが特異だったのは、その先、1996年ごろに、「あやしいわーるど」といったような、アングラサイトと呼ばれる匿名の掲示板が流行したことです。あやしいワールドは、最新のものが一番上に来る単独の掲示板ですが、参加者が多いため、すぐに過去の投稿が流れていってしまいます。そのことから、名前がほとんど重視されません。

今にたとえると、タイムラインが一つの、名前もアカウント名もいらないTwitterのようなものです。
ここでの投稿は、情報共有型も感情共感型も存在していましたが、パソコンなどに詳しい人が多かったためか、どちらかというと社会派なネタや、アニメ、漫画などのエンタメネタが多くありました。そして投稿者は「あやしいわーるど」的なキャラクターや投稿雰囲気を常にまとっているのが普通でした。

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たとえば、顔文字でいうと「(;´Д`)」や「ヽ(´ー`)ノ」を使ったりします。逆にいうと、許される顔文字はこれらを中心とした数種類くらいしかありません。

余談ですが、未だにあやしいわーるどを引き継ぐ掲示板はいくつかありますが、2ちゃんねるなどから発生した顔文字を使うと「壺くせえ(壺=2ちゃんねるの蔑称)」と叩かれたりすることがあるくらいです。ヽ(´ー`)ノはよくて、( ´∀`)が駄目っていう感じです。

しかし、あやしいわーるどでは、議論がしづらいというのがあります。すぐに流れていってしまうからです。それを解決するために、スレッドフロート型掲示板を発明した「あめぞう」という掲示板が出現しました。

あめぞうは、いってしまえば、2ちゃんねるの前身のようなものです。このスレッドフロート式掲示板は、あやしいわーるどにはないアーキテクチャ上のメリットがありました。

それは、スレッドごとに議題が決まっており投稿ができることです。さらに投稿があったスレッドは一番上に移動する、という形態だったため、これであれば「議論を複数、平行に行う」「人気のあるスレッドにすぐにたどりつく」ことができました。

これにより、98年〜99年はあめぞうの時代となります。

そして、このあとに、「あめぞうウイルス」によって荒れてしまったあめぞうの避難先として出現した「2ちゃんねる」が99年にでき、今にいたるまで匿名掲示板の中心にいるようになりました。

このように、黎明期の日本のインターネット投稿は、少しアンダーグラウンドな香りのする匿名掲示板が中心にあったといってよいでしょう。(※1)


■匿名掲示板の中心はあくまで情報

さて、ここまであやしいわーるどから2ちゃんねるまで、匿名掲示板が日本のユーザー投稿の中心だという話をしました。

これらのコミュニティサービスの特徴としては、あくまで情報共有型、つまり情報のやり取りを目的としたコミュニケーションが主にあったということです。

あやしいわーるどから2ちゃんねるまで、基本的にこの時代のコミュニティは、情報の交換や議論をより効率的にするための進化をしていったといっていいでしょう。匿名性などについても創設者のひろゆき氏は以下のように発言しています。
ひろゆき氏: 人間に興味があるんじゃなくて,どちらかというと知識に興味があるんですよね。「この話をしたい」とか「こういう情報を知りたい」とか,目的は人間じゃなくてあくまで情報なんです。情報のやりとりをする場として「2ちゃんねる」を作っているので。「いま発言しているこの人が,本業としては何をしているか」なんていう,「この人に関する情報」には興味がない。だから,それを削ぎ落とした形になってるんですよ。

4Gamer: そういった意味で,「2ちゃんねる」は,純粋な情報交換ができる場として価値があると。

ひろゆき氏: そしてその場合,肩書きは邪魔になります,例えば僕が言っちゃうと,もう正しいんだと思い込んじゃう人って,やっぱりいるんですよね。「私は大学教授です」って書いちゃえば,「大学教授が書いているんだから正しいだろ」って信じてしまう人がいるけれども,それと情報の信頼性は本来違うはずです。
 匿名でいながら説得力のある人って,結局情報ソースを持っていたりとか,合理的に結論を導いていたりとか,誰が見ても納得できる理由を持っているわけです。情報としてはそっちのほうが信頼性が高くなるんじゃないのかなと思っているんですけど。


あくまで、匿名性は、情報の交換をより効率的にするためのものだという考えのことがわかります。
ひろゆき氏:ええ。僕は赤の他人とチャットしても,面白いとは思わないですからね。

ともいっており、感情共感型のコミュニケーションはサービスポリシーとしては、あまり興味がないといっていいでしょう。


■SNSの出現

そんな感じで、99年からの投稿サイトの中心は2ちゃんねるでした。しかし、2004年にソーシャル・ネットワーキング・サービス、通称SNSが出現します。

まず、日本におけるSNSの歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。

日本でSNSというものが本格的に普及しはじめたのは、mixiとGREEという2つの国産SNSがスタートしたことがきっかけです。双方とも、2004年の2月にリリースされました。同じ時期にリリースされたのは、アメリカで急速に話題になっていた、Friendsterの存在があります。「海外でソーシャル・ネットワーキングというものが流行っている」というところから作られました。

mixiとGREEの違いは、ざっくりいうと「友だちと交流することに重きをおいたmixi」と「実世界の人間関係を重視したGREE」という感じです。

mixiは、日記を書いたり、知らない人ともやりとりできるコミュニティ機能だったり、コミュニケーションをすることに重きが置かれたサービスでした。一方でGREEは、今でいうFacebookに近いイメージでリアルでの人間関係を可視化することが重視されていました。ビジネス寄りの雰囲気が漂っていたといってもよいでしょう。

そんな2つのサービスでしたが、SNSとしてはmixiに軍配が上がります。SNSとしての知名度が上がり、ユーザー数も一気に数百万人、数千万人を増えていきました。一方で、ユーザー数に差をつけられたGREEはKDDIと資本提携をし、EZ GREEをスタートするなどモバイルに舵を切っていきます。さらにその後、DeNA社のモバゲーに近いモバイルゲームに注力することで、爆発的に伸びました。モバイルゲーム化あたりから、いわゆるSNSとしての役割は小さくなっていきます。

話は脱線しますが、mixiもGREEも東京から生まれたサービスであり、企業ですが、それぞれ独自の文化を築いたり、海外よりも先んじた事業を展開したりなど、ゼロ年代〜10年代を代表するネット企業の一つとなっています。どちらも、Yahoo!JAPANや楽天のようなビジネス中心でコングロマリット化していきがちな会社とは違い、独自のプロダクトを作り、それによって規模を拡大していった数少ない会社のうちの一つといえます。


■mixiの勝因である日記機能

さて、そんな感じで国産SNS戦争に勝ったmixiですが、その理由の一つとして、日記機能があります。

日記機能はその名の通り、友達に向けて日記を書く機能です。

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2004年リリース当時のmixi(出典:ソーシャルネット「mixi」、儲からなくても続ける理由 より)

これがGREEとの勝敗を分けました。

他の国の当時のSNS、たとえばFacebookやMySpaceではなかった、「日記を書いて発表する」ことを中心にしたことで、今までインターネットで投稿などしたことがなさそうな層まで、使い始めたのです。

そんなmixi日記は、今までインターネットで文章を書いたことがないような層が、友達しか見ていないという安心感のもと、文章を発表するような場になったという点で、非常に画期的でした。今では想像できないですが、mixi以前のインターネットでは、友達とだけやり取りをする場というのは、かなり限定的だったのです。それこそメールやICQ、MSN メッセンジャーなどのメッセンジャーなどでしたが、そもそもインターネットをフル活用している人が少なかったので、一般的ではありませんでした。あえていうなら、i-modeを中心としたモバイルのメールでしょう。

こういった性質は、2ちゃんねるなどの匿名掲示板とは真逆で、親しい友だちとやり取りをするためだけの日記により、まさに感情共感型のコミュニケーションを行う場ができたということです。これはSNSの出現とインターネットの普及のタイミングがうまく一致したことで、多くの人がインターネットを使いこなすようになったからといえるでしょう。mixiは数千万を超えるユーザーがいる一大サービスになりました。

これは、情報の交換をしたいような層(言い換えると、インターネットを初期から使いこなす知識層)よりも、大多数が、友達との感情共感型コミュニケーション、つまり雑談やどうでもいいことの話をしたかったということの表れではないかと思います。

あえて断言すると、日本のインターネットユーザーは「感情共感型コミュニケーションを求めている人が大半」といっていいと思います。

ちなみに当時、大学4年生だった筆者は、バリバリのインターネットユーザーでして、「匿名でないところで日本人が投稿なんてするはずない」「アメリカみたいな個人がフィーチャーされる国であれば書くかもしれないが、名前を出して自分の意見を書く人なんているはずがない」と思い込んでいました。あくまで、全体の中の1%程度がインターネットに投稿し、99%は閲覧だけであるのが平均的なサービスだろうと思っていたのです。

それが、mixiユーザーの大多数が日記を投稿するようになり、文章を発表するようになりました。インターネットに何かを投稿するのは一部のマニアのためのもの、というところから、誰でも投稿するツールになったのは、このあたりからだと記憶しています。今までももちろん、Yahoo!ニュースを見たり、Amazonや楽天で買い物をしたりすることは普通の人でも行っていましたが、投稿するというところに対してはハードルが高かったのです。それがmixi日記(と当時のブログブーム)が壊したといっても過言ではないでしょう。


■日記がポエム化していく

そんな感じで、mixiを通じて、多くの人が日記を投稿するようになりましたが、そこでおもしろい現象が出現してきます。

それは、mixi日記がポエム化していったということです。

ポエムとは何でしょうか。元々の英語の意味では、Poemは詩の単数形ですが、日本だと詩とポエムは若干区別されており、
・・・文学的でありリズムがあるもの
ポエム・・・感傷的な文をただ書いただけのもの

というイメージの違いがあります。

mixi日記には(詩が投稿されたわけではなく)ポエムが投稿されていくようになりました。もしかしたら読者の方の中にmixi日記を書いていた方がいたら「あぁ〜」と思うかもしれません。

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出典

mixi側もそれを理解しており、「mixi日記を「リライト」しよう!」というキャンペーンを2016年12月に行ったりしています。

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このキャンペーンは「mixi日記って黒歴史だよね」という前提の元に作られています。これがTwitterの昔の投稿だったらここまでの話題にはならなかったのではないでしょうか。

では、mixi日記がポエム化した、その理由は何でしょうか? 僕は、mixi日記でポエムが投稿されるようになった理由としては、友達全員に公開されるアーキテクチャにより、「出来事をぼかす」必要があったせいだと思っています。

どういうことでしょうか。たとえば「今日、大学で嫌なことがあった。友達のAに傷つく言葉を言われた。なんとかこの気持ちを慰めたいが、日記に直接書くと角が立つ。だからぼかして書こう……」という内容の日記を書こうと思います。しかし、友だちの中には、A本人がいたり、共通の知人がいるかもしれなく、そのまま事実を書いては角が立ってしまします。

しかし書きたい気持ちは止まらない。そんな時に書く日記は以下のようになります。
自分が気にしているか気にしていないかに関わらず、人から自分の何かを指摘されるのはとても嫌な気持ちになる。たとえそれが仲のいい友達からだったとしてもだ。しかも、タチが悪いのが、その指摘が正しいことである。正しいと、より傷ついてしまう。

自分は自分であり、他の誰でもないのだから、ありのままの自分を受け入れるしかないけど、今日だけはこのまま落ち込みたい。

今、僕がノリで適当に書いた日記ですが、こういう形で、形や表現をぼかして愚痴を書こうとすると、ポエムぽくなるんですよね。

たとえば、エッセイストの小田嶋隆氏は『ポエムに万歳!』という著書の中で、
「書き手がなにかをごまかそうとするとき、文体はポエムに近似する」

と述べています。

特定せずにごまかしつつ書きたい、という気持ちと、日本における「察し」の文化の強さが混じり合い、ポエム化していったのではないか、と考えています。

結論としては、最初は感情共感的に友達と雑談や他愛のない話をして、コミュニケーションそのものを楽しんでいたけれども、多くの人が参入することで、人間関係的にも複雑な形になっていったため、ごまかす必要が出てきてポエム化していったのではないか……と考えています。

そもそも日本人は詩や歌が好きという説もあります。高階秀爾の『日本人にとって美しさとは何か』という本の中に「日本人は誰でも歌を詠む、というのが海外の人にとっては珍しい」といった趣旨のことが書いてあります。

この本によると、古今和歌集の最初のところに
「花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける」

現代語に訳すと、「花に鳴くうぐいすとか、水に住んでいるカエルとかの声を聞くと、日本人なら誰でもつい歌を詠んじゃいますよねぇ……」ということをいっています(※2)。

今でも日本の新聞には、詩の投稿欄があったり、サラリーマン川柳があったりするのは特徴的です。だからというわけではないのですが、日本におけるインターネット投稿において、感情を表現するときには、詩やポエムがやりやすいのかもしれません。


■そして今はTwitter

ここで整理しておきます。日本のインターネット投稿は、

匿名掲示板による情報共有型
SNSの出現により感情共感型に移行

という流れで来たのではないかという仮説です。

そして、今はどのような状況なのでしょうか?まず、ネットの中心はどこかというと、mixiからTwitterにうつりかわっていきました。2004年からしばらくはmixiの天下が続き、2009年くらいからTwtiterが台頭してきます。そして、ニールセンの調査では2010年の時点でmixiのユーザー数を抜いています。

その後、Facebookなども急激にユーザー数を伸ばしますが、2016年現在、日本における中心はどこかというと、Twitterといってよいと思っています。

そんなTwitterですが、世界ではMAU(月間アクティブユーザー数)が横ばいで、買収のオファーやCOOの退職、買収の噂など、とにかく苦戦が報じられています。完全に落ち目のサービスとして取り上げられることが増えてしまっています。しかし日本に関してのみいえば、かなり好調といえる状態なのです。
Twitter Japanは11月2日、日本の月間アクティブユーザー数(MAU)が9月に4000万人を超えたと発表した。昨年12月時点から500万人増えた。

日本のユーザーは9カ月で約13%増と堅調に伸びているが、米Twitterが10月27日に発表した全世界のMAUは前期比ほぼ横ばいと伸び悩んでおり、経営面でも赤字が続いている。


なぜTwitterがここまで日本で好調なのでしょうか。


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