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〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回からは高田馬場編が始まります。学生街と盛り場が奇妙に入り混じった街を歩きながら、90年代雑誌文化の片隅で存在感を放った「エロ本」文化圏を振り返っていきます。

第5回「高田馬場・その1」

 いつの間にか、冬になっていた。
 フリーランスの生活は昼夜逆転になりがちで、用事以外で朝から外出するのは辛い。
 今日は巣鴨から山手線に乗り、高田馬場へ行く。
 いくつも会社を転々としていた中でも、もっとも長く通っていた街だ。
 かつての職場──白夜書房がある街で、辞めた後に入った別の会社もまた高田馬場だったからだが、15年ほど前、完全にフリーランスとなってからは、ほとんど訪れていない。

 東京都内──中央線沿線に住んでいるのに、巣鴨から向かったのは、カプセルホテルやビジネスホテルに泊まることが、気分転換を兼ねた趣味だからだ。
 とはいえ、会社勤めをしていた頃、巣鴨に泊まったことはない。
 会社勤めをしていた頃は、「グリーンプラザ新宿」という西武新宿駅横の巨大カプセルホテルによく泊まっていたが、建物の老朽化なのか、昨年のクリスマスに閉店してしまった。
 新宿でも池袋でも良かったのだが、考えてみると、大半の安宿は制覇していたから、わざわざ巣鴨のカプセルホテルに泊まっていた。
 3000円以下でコトブキシーティングのSPACE Dカプセルベッドに泊まれることには驚いたが、ごく一部のマニアにしか面白くない話なので、省略する。

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 JR高田馬場駅の発車メロディは、いつの間にか『鉄腕アトム』のテーマになっていたが、早稲田口の風景自体はそれほど変わっていないように思えた。
 たぶん、高架橋周辺の煤けた暗さが昔のままだったからだ。
 覆い隠すように手塚治虫の漫画のキャラクターたちを壁画にしているのだが、低くて暗いガード下のどんよりした空気は変わらない。
 かつては、徹夜明けの早朝に通ると、土建屋のトラックが日雇い労働者を運んでいく光景もよく見かけた。
 高田馬場から小滝橋通りの坂を登り、新大久保へ向かう中間地点の西戸山に日雇い労働者向けの職業安定所があり、その周辺がドヤ街になっていたからだ。
 山谷や釜ヶ崎ほど有名ではなかったが、敗戦直後から昭和の終わり頃まで、戸山ヶ原──百人町のドヤ街は、それなりの規模だったらしい。
 戦前、このあたりには帝国陸軍の施設が立ち並んでいたのだが、戦時中の空襲で焼け野原になり、跡地はまるごと巨大な貧民窟と化した。
 やがて、新大久保側は1950年に建設されたロッテ新宿工場を中心にコリアンタウン化していくのだが、高田馬場側には戸山ハイツなどの都営住宅が建設され、急速にスラムクリアランスされていった。
 両者の中間地点である西戸山の一角だけが、ドヤ街として取り残されていたのだが、それも平成に入ると、徐々に縮小されていく。
 早朝のトラックはその時代の名残りだった。もっとも、高田馬場側に残っていたのはそれくらいなのだが、駅前のガード下はいつもどんよりとしていた。
 だからこそ、手塚治虫キャラクターの壁画で明るくしようと思ったのだろうが、小学生時代の夏休みをまるまる使って講談社の手塚治虫漫画全集を全巻読破していた筆者は、シュマリが祭り好きの陽気なおっさんであるかのように描かれていることに毎朝、苦笑いを浮かべていた。
 それ以前に、完全に手塚ダークサイドの住人である、奇子や結城美知夫といったキャラクターは描かれていない。
 スラムクリアランスと「死者の聖化」という利害の一致から描かれた壁画も、結局、どんよりとした空気を払拭することはできず、中途半端に風景の一部となっている。

 なお、西戸山の職業安定所──ハローワークはその役目を終えたのか、労働基準監督署になり、ロッテ新宿工場も2013年に閉鎖された。チューインガムの生産ラインはマリーンズの二軍本拠地でもある浦和工場へ集約されたらしい。
 大型タワーマンションも次々と建てられ、往時の風景はすっかり消えたと思っていたが、昨年秋、西戸山公園で寄せ場のショバ代を脅し取ろうとした極東会系の暴力団員が逮捕されていた。
 ということは、早朝のトラックも残っているのだろうか。


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