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本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回はこれまでの講義のまとめとして、音楽・映像産業の現在を取り上げます。情報環境の変化は、人々のコンテンツ消費にどのような変化をもたらしたのでしょうか。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月22日の講義を再構成したものです)

〈情報〉から〈体験〉〈コミュニケーション〉へ

 この講義ではこれまで、マンガやアニメ、アイドルを中心に取り上げてきましたが、ここからは最後のまとめとして「二次元から三次元へ」という話をしてみたいと思います。ひとつの鍵になるのは、これまで中心的には取り上げてこなかった「音楽」というジャンルの現在の姿です。

 今の音楽市場では、CDの売上がどんどん下がっています。これは音楽だけでなく、DVDや本もそうなのですが、人間はもう情報をパッケージしたソフトというものと手を切ろうとしています。テキストや音声や映像はすべてネットワーク上でクラウド化されて、スマホなどの端末からいつでもアクセスできる状態になっている。そうなると人間が物理的なパッケージに記録した情報を所有することに意味がなくなっていくわけで、当然レコードも売れなくなっていく。

 この変化は当然のことですが、これからの音楽産業を考える上では、「人々が音楽に求めるものが変わってきている」という認識を持つことも大事です。90年代後半をピークにCDの売上は右肩下がりなのですが、逆にゼロ年代以降に増えているものがあります。それは、音楽フェスの動員数です。

 人間って希少なものに価値を感じるんですね。僕が中学生〜高校生だった90年代までは、好きな音楽をいつでも好きなときに聴けるとか、好きな映画をいつでも観れるっていうのはすごく贅沢なことだったんです。CDはアルバムだと3000円以上するし、ビデオソフトは当時VHSという規格で高いものだと1万円以上しました。CDもビデオも高くて買えないからレンタルソフト屋がこれだけ普及したんですね。パッケージを買っていつでも好きなときに観れるようにするなんて、すごく贅沢なことだった。

 でも、今やテキストも音声も映像も、どこでも無料で鑑賞できる一番手軽なものになっていますよね。「蛇口をひねれば水が出てくる」というのとほとんど似たような価値しかない。砂漠のど真ん中のミネラルウォーターって無限の価値があるけれど、東京のど真ん中ではミネラルウォーターって100円ぐらいじゃないですか。音声や映像って昔は本当に「砂漠の中のミネラルウォーター」で、数千円払うのが当たり前だった。でも、今は蛇口をひねれば出てくるものでしかない。

 今はそれよりも生の〈体験〉のほうに希少価値を感じるようになっている。「あの日、彼氏と一緒にフジロック行ったな」「友達と一緒にアイドルの握手会に行って、◯◯ちゃんといい話ができたな」とか、そういう自分だけの〈体験〉を求めるようになっていて、それにしかお金の価値につかなくなっているわけです。

 〈体験〉のなかでも一番強いのは「人とのコミュニケーション」です。その点、アイドルって自分の憧れの存在と直接コミュニケーションできるし、「推す」ことによってその人の人生に貢献できる。アイドルってコミュニケーションとやりがいが結びついたものを売っているわけですが、「推す」という体験を盛り上げるために、ある種の蝶番として音楽が使われている。この形式は非常に強力で、だからアイドルがレコード市場の大部分を占めるようになったんです。

 その次に〈コミュニケーション〉の力が強いジャンルが、アニソンやボーカロイドです。こちらも単に音声データそのもの売るのではなく、キャラクターをコミュニケーションの対象にしてCDを売っているわけです。


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