本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。80年代の段階で、すでに共同幻想からグローバルな市場へと傾く時代の大きな変化を予見していたとも言える戦後最大の思想家・吉本隆明。前回に引き続き同氏の代表作『共同幻想論』を主軸に、その思想と情報化社会との接点を探ります。 (初出:『小説トリッパー』 2018 春号 2018年 3/25 号 )
2 『共同幻想論』を再読する
吉本隆明の代表作である『共同幻想論』が記されたのは一九六八年のことだった。同書の基本的なコンセプトは、第一に国民国家という制度が相対化し得るものであることを証明すること、つまり反国家論の立論だった。同書で吉本は「古事記」と「遠野物語」というふたつの古典のみを参照することで、古代社会における国家の成立のメカニズムを解き明かす。そこで語られるのは人間社会がその規模の拡大にしたがって国家を形成していくことの必然性だ。これが反国家論であることを、二一世紀の今日に理解するためには、六〇年代後半当時の同書が発表された社会背景への理解が必要だろう。
「もし“民主制”になんらかの価値があるとすれば、それは崇めなくてもよいからだ」――吉本隆明のこの言葉は、今日において皮肉なかたちで批判力を発揮している。吉本隆明はここで民主制を共同幻想の肥大を制御し得る制度として消極的に支持を与えている。それは吉本の青春期を支配したかつての総力戦の記憶に起因するものだろう。無謀な戦争に国家を駆り立てた「下からの全体主義」と、それを成立させた共同幻想に対し、戦前の民主制は無力であった。あの決定的な敗戦の記憶から出発する吉本が、それを崇めることで――共同幻想となることで――はじめて成立する戦後民主主義とは、第一に戦後の日本人が手に入れた新しい天皇に過ぎず、そして第二にかつて天皇という空虚な中心を用いて駆動した「下からの全体主義」に抗う術を持たない脆弱な制度に過ぎなかった。
前述したように当時吉本隆明が『共同幻想論』を執筆した動機には、近代天皇制批判としての側面が強い。吉本は戦中・戦後の文学者の転向問題から出発し、やがて六〇年代の学生反乱のイデオローグとして熱狂的な支持を受けることになるが、『共同幻想論』はその間に書かれたものだ。したがって吉本が同書を理論的な根拠とした「自立」の思想は、近代天皇制だけではなくマルクス主義や戦後民主主義といった当時支配的だった「進歩的」なイデオロギーをも射程に収めたものとして展開されていった。
そしてこの「自立」の思想こそ、吉本隆明の思想の最も根底にあるものだ。
しかし、今日においてこの吉本の掲げた国民国家の代表する共同幻想からの「自立」という主題は、やや古びていると言わざるを得ない。なぜならば今日においては国家という共同幻想は長期的には相対化されつつあるからだ。今日において私達の生は二〇世紀的なローカルな国家という共同幻想(物語)よりも、グローバルな市場(ゲーム)により強く規定されるようになりつつある。