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記事 8件
  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第二回 チームラボと「秩序なきピース」(前編)(2)【金曜日配信】

    2017-11-17 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。「文化砂漠」シリコンバレーがとうとうアートギャラリーを得たーーチームラボのアートがシリコンバレーで評価されたことは、ニューヨークやロンドンのマスメディアから皮肉と驚愕を持って受け止められました。なぜ時代の最先端を走るシリコンバレーがチームラボのアートを求めたのか、その理由を解き明かします。(初出:『小説トリッパー』 秋号 2017年 9/30 号)
    1 チームラボはシリコンバレーのアイデンティティとなり得るか
    「Silicon Valley’s Wealthy Finally Buy Art(When Not for Sale)」(シリコンバレーが初めてアートを買った)――二〇一六年二月十日〈ウォール・ストリート・ジャーナル〉の紙面を驚愕に満ちた見出しが飾った。文化的なものに対しての感度をもたないはずのシリコンバレーの起業家たちが、そのアイデンティティとしてのアートを発見したことを、同紙は「事件」として扱ったのだ。(1)
     その四日前に同様の「事件」を報じた〈ガーディアン〉紙に至っては「The ‘cultural desert’ of Silicon Valley finally gets its first serious art gallery」とシリコンバレーを「文化砂漠」と評した上でそこに暮らす人々がアートを受け入れたことへの驚きを表明している。(2)
     そして彼らが「はじめて」受け入れ、そのアイデンティティを記述し得るものと位置づけたアート――それは、猪子寿之を中心としたアーティスト集団〈チームラボ〉のデジタルアート群だった。
     二〇一六年二月六日から七月一日にかけて、チームラボはシリコンバレーにて、新作を含む全二十作品からなる大規模個展「Living Digital Space and Future Parks」を開催した。同展はチームラボが提携するニューヨークの老舗アートギャラリーPaceが同地に開設した〈Pace Art + Technology〉のオープニングエキシビジョンであり、これはPaceが事実上チームラボ展のためにシリコンバレーに土地と箱を用意したことを意味する。実際Paceにとっても、この開設は大きな賭けだったと思われる。シリコンバレーには元来ギャラリーが少なく、その文化も根付いていなかった。実際、計画発表時にPaceには「シリコンバレーでギャラリービジネスは成功しない」という批判が多く寄せられたという。しかし、Paceは「チームラボと共にシリコンバレーに行くんだ」と述べ、計画を強行した。
     そしてオープンと同時に同展はシリコンバレーの人々に、驚きと歓喜をもって迎えられた。Googleの経営陣をはじめとするシリコンバレーの起業家たちが次々と足を運び、故スティーブ・ジョブズ夫人やNetscapeの創業者として知られるマーク・アンドリーセンからも絶賛を集めた(アンドリーセンは自宅のエントランスにチームラボの作品を飾っているという)。その結果が、ニューヨークのマスメディアの皮肉と驚愕に満ちた反応だったというわけだ。
     前述の〈ウォール・ストリート・ジャーナル〉紙はこの現象――彼らにとっては理解不能な現象――の発生原因を、同展の展示方法に求めている。デジタルアートという形式上、同展の入場はギャラリーの展示としては異例の、チケット制を採用していた。それは購入を前提としない鑑賞を観客に促したが、逆に起業家たちの入場を誘い作品の購入につながったのだ、と同紙は分析している。
     しかし、ほんとうにそうなのだろうか。
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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第二回 チームラボと「秩序なきピース」(前編)(1)【金曜日配信】

    2017-11-10 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。仕事を終えたシンガポールの深夜、携帯電話に届いたメッセージは、チームラボ・猪子寿之さんからのものでした。今回は、ホテルの部屋で猪子さんと明け方まで語り合った、多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギーの敗北を突破する可能性について述べていきます。 (初出:『小説トリッパー』 秋号 2017年 9/30 号)
    0 シンガポールの夜
     二〇一七年三月十二日の夜遅く、私は出張先の台湾からシンガポールに入った。前の夜に学会の打ち上げで話し込んだせいか、その日も少し疲れていた。本当は街中に食事に出ようと思ったのだけれど、その元気はなくホテルに隣接したショッピングモールのフードコートで軽く済ませて、どっとベッドになだれ込んだ。仕事の準備は明日にしてもう寝てしまおう、と思ったとき携帯電話にメッセージが届いた。「いま、仕事終わった」――私をこのシンガポールに誘った男、チームラボ代表の猪子寿之からだった。
     チームラボについてここで改めて簡単に紹介しよう。チームラボは猪子寿之が率いる「ウルトラテクノロジスト集団」であり、近年はデジタルアート作品を多数発表し、内外の注目を集めている。国内では若者や若い家族連れに人気のエンターテインメント的なアート作品のイメージが強いが、海外からはむしろアートの概念を更新し得る新勢力として大きな注目を集めており、この二年だけでもシリコンバレーのパロアルト展を皮切りに、ロンドン、北京、そしてここシンガポールと世界の主要都市での大規模展を開催している。  そしてこのときマリーナ・ベイ・サンズにあるチームラボの常設展はリニューアルオープンを控え、前々から同展に誘われていた私は同行、というか現地で合流することにしたのだ。  メールを受け取った私はこれは会う流れなのかな、と思いながらとりあえず「お疲れさま」と返した。すぐに「今何しているの」と尋ねられた。「ホテルの部屋で、だらだらしているよ」と返すと「(自分もシンガポールに)いるよ」と返ってきた。そもそもそういう予定なのだから猪子がシンガポールにいるのは当たり前のことであり、彼が私に伝えたい意思は別のところにあるのは明白だった。しかし猪子はなぜか自分からは誘ってこなかった。理由はよくわからないが、おそらく私から誘って欲しいと思っているのだろう。シンガポールの夜二十四時過ぎ、中年男性がふたりこれから会う/会わないをさぐりさぐり、ショートメッセージをひたすら往復するという状況が十分ほど続いた。  メッセージがさらに数往復したあと、さすがにこの状況は自分が能動的に動いて打開したほうがいいのでは、と考えた私は、「もう寝る感じ?」と送ってみた。彼は私より半日早く現地入りしてこの時間まで仕事をしていたという事情を考慮して、この表現を選んだ。するとすぐに既読がついて、猪子からこう返ってきた。「なんでも、よいよー」と。本当に、面倒くさい男だなと思った。
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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(6)【金曜日配信】

    2017-10-13 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。「他人の物語」から、「自分の物語」へと文化の中心が変容する中、虚構であるがゆえにウサギのジュディの演説は「境界を再生産」することを運命付けられていた。話題はいよいよ、本連載のテーマである「中間のもの」へと移っていきます。 (初出:『小説トリッパー』2017夏号)
    6 中間のものについて
     情報技術の発展は、劇映画を終着点とする「他人の物語」から、自分自身の体験そのものを提供する「自分の物語」に文化の中心を移動させている。その結果、レコード産業は衰退する一方でフェスの動員は伸びる。「他人の物語」を代表する二〇世紀的な劇映画は、現役世代の共通体験の記憶をリブートする産業として最適化しながら徐々にその批判力を失っていく段階に入っている。その一方でイベント参加、観光、ライフスタイル、スポーツといった「自分の物語」たちが世界的な支持を広めていく。  こうした背景のもとで、ディズニーは二〇一六年〈ズートピア〉を送り出した。あらゆる事物と出来事が作家の意図なくして存在し得ないという一点において、アニメーションとは究極の虚構だ。ハリウッドの興行収入ランキングがアニメと特撮に占拠されて久しいが、これは純粋な虚構であるこれらの劇映画だけが、まだ現実に代替されていないから――YouTubeで五秒検索すれば出会える刺激的な現実に対抗し得るからだ。だからこそあの夏、ディズニーはウサギのジュディに、危機に瀕していた「境界のない世界」の理想を語らせることで、現実にはまだ完全には実現されていない多文化主義の理想郷と、その実現のための強い意志を描くことで現実に抗おうとした。しかし、〈ズートピア〉という虚構はトランプという現実の前に敗北したのだ。  それは比喩的に述べれば、虚構をもって現実に対峙するという思想そのものの敗北だった。そして「他人の物語」に感情移入させることで、人々の理性と能動性を養うという二〇世紀的なアプローチの敗北だった。ドナルド・トランプがアメリカ大統領に当選したあの日、私の友人たち――グローバルな情報産業のプレイヤーたる世界市民(としての自意識をもつ人)たち――がFacebookに饒舌に投稿した「境界のない世界」の擁護としてのトランプ批判の「語り口」が、逆に境界を再生産していたように、〈ズートピア〉におけるウサギのジュディの演説は、それがアニメーションという虚構であり、劇映画という旧世紀の制度を用いたアプローチであり、「他人の物語」である時点で、すでに敗北を、境界を再生産することを運命づけられていたのではないか。
     虚構=他人の物語への感情移入によって人々を動機付け、統合していた時代はいま、終わりを告げつつある。現実=自分の物語(を獲得し得るゲーム)こそが人々を動機付け、動員する時代がすでに訪れているのだ。〈ズートピア〉で説かれたウサギのジュディが虚構の理想郷の素晴らしさを語る言葉よりも、〈Ingress〉〈ポケモンGO〉が人々の好奇心と快楽に働きかけて現実を、日々の生活空間を再発見するように促すことのほうが、世界を「境界のない」状態に近づけていくことだろう。  ここでつまりGoogleは、ナイアンティックは、ハンケは日常世界(私的な領域)の中に、非日常世界(公的な領域)を侵入させようとしている、と言える。小林秀雄的に言えば「政治と文学」の境界を融解させている。「政治と文学」とは、かつてこの国の「戦後」と呼ばれた時代にマルクス主義からの文学の自立をめぐる論争で使用された言葉だが、やがてそこから転じて公的なものと私的なものとの関係を意味する言葉として使用されるようになったものだ。近代社会とは、世界と個人、公と私が、政治と文学(文化)として表現される社会だということもできるだろう。
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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(5)【金曜日配信】

    2017-09-22 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。東日本大震災の爪痕生々しい石巻で行われた〈Ingress〉のイベントを通じてジョン・ハンケとGoogleの思想を論じた前回に引き続き、世界を席巻した〈ポケモンGO〉を通じて世界と個人、公と私を接続する想像力がどのように更新されたのかを見ていきます。(初出:『小説トリッパー』2017夏号)
     同じように遠くウクライナでは紛争地域である国境線を越えて、エンライテンドとレジスタンスが協力し、紛争地域のマップ上に「STOP WAR」という文字形を陣地で表現し、反戦をアピールしたケースが報じられている。
     こうした「社会活用」がリリース直後から展開されていたことは、〈Ingress〉の、そしてハンケが代表するGoogleのアプローチの、高いポテンシャルを証明している。〈Ingress〉の成果は控え目に言っても、私たちが世界の情報化(データベース化)と適切なゲーミフィケーションによって、あくまで自分の物語として公共の価値にコミットすることができる可能性を示しているのだ。
     二〇世紀とは世界と個人、公と私を接続するために物語を用いた時代だった。より正確には世界と個人とを接続することは、この時代においては他人の物語に感情移入させ、自分の物語だと錯覚させることと同義だった。たとえばこの錯覚によって、「個人」は「国民」化されていった。
     しかし今日において、その技術的な限界は取り払われている。人々はごく自然に自分の物語を享受することでいつの間にか世界に接続されてしまう。そしてその自動的な接続によって一定の確率で、公共の価値にコミットする人々が出現する。あとはその発生確率を上昇させるためにゲーミフィケーションの精度を上げるだけだ。それがGoogleの、ハンケの、〈Ingress〉の「思想」なのだ。そしてその思想的な実験は相応の成果を収めた、と言って良いだろう。〈Ingress〉はこのとき大きな物語ではなく、大きなゲームで世界と個人が接続され得る可能性を示したのだ。国民国家という物語(歴史)に規定された共同体よりも、市場というゲームのルールにしたがって駆動するシステムが、接続されるべき世界として重要度が増す今世紀において、この世界と個人の非物語的(ゲーム的)接続方法のもつポテンシャルは計り知れない。
     問題があるとすれば、それは〈Ingress〉の実験的な性格それ自体のもつ限界だ。〈Ingress〉のプレイのためには、一定の余暇を相応の経済的な余裕を持って過ごすことのできる環境と、そして、それぞれの土地の自然と歴史を観賞し得る知性と教養をプレイヤーに要求する。要するに〈Ingress〉とは、先進国の都市部のアーリーアダプターを対象にした実験的なゲームであり、その目的もこの時期のGoogleの進めていた現実そのものの検索サービスのテストと、そのためのデータ収集であったことも明白だ。ハンケも前述のインタビューなどで、〈Ingress〉がGoogle Maps上の自然物、人工物情報の強化にあったこと、将来的にここで収集されたデータベースが他社にも開放されたゲーム制作プラットフォームに活かされる計画であることを述べている。実験的な性格の強い〈Ingress〉は、境界なき世界を前提としながらも、その先進性ゆえに、ユーザーの高い能動性とスペックを要求するがゆえに、むしろ境界を再生産するというカリフォルニアン・イデオロギーのジレンマをものの見事に内包していたのだ。そしてハンケもまた、この〈Ingress〉の抱え込んだジレンマに敏感であり、より大衆性の高いゲームの制作をナイアンティックのミッションとして設定することになった。
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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(4)【金曜日配信】

    2017-09-15 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。Ingressとジョン・ハンケのメッセージを通じて、もはや文字列の検索に留まらず、実現実とそこに存在するあらゆる事物を検索するに至ったGoogleの思想を解説します。 (初出:『小説トリッパー』2017夏号)
    5 ジョン・ハンケと「大きなゲーム」
      こうした変化の象徴として、米Googleのことを考えてみよう。Googleがウェブサイトの検索を提供する企業だったのは過去の話だ。かつてGoogleは、本来無秩序なインターネットを検索可能にし、擬似的な秩序をもたらした。たくさんのサイトからリンクされているサイトは重要なサイトである、そして重要なサイトからリンクされているサイトは重要なサイトである――こうした判断基準を人工知能に与えたGoogleは無秩序に発生するウェブサイトを、重要なものとそうでないものとに峻別したのだ。
     こうしてインターネットには擬似的な中心と周辺が形成され、人々はまるでそこをマスメディアのように秩序付けられたものとして読むことができた。それはいわば、ボトムアップの、参加型のマスメディアの誕生だった。政治からの独立が保証されるがゆえに逆説的に国家の保護を受け、第四の権力として特権的に情報を発信する――そしてそれゆえに硬直しやすい――マスメディアに対して、誰もが自由に情報を発信し得るインターネットが、Googleの人工知能に拠る「神の審判」によって重要なものとそうでないものが峻別され、フェアな競争を行う。私たちはあの頃、この新しい世界に希望を観ていた。ブロゴスフィアが担う新しいジャーナリズムが電子公共圏の礎になる――もちろん、短期的にはそこに数え切れないほどの困難が発生することは予測されていたが、同時に長期的にはこの新しいジャーナリズムと電子公共圏への移行自体は既定路線だと考えられていた。人々はボトムアップの、参加型のマスメディアを手に入れ、それが社会変革の礎になると期待した、だからこそ私たちは「動員の革命」を信じたのだ。そして、裏切られた。誰もが情報を発信できる世界が何をもたらしたか、もはや説明する必要はないだろう。
     しかし、現在のGoogleはすでに異なるアプローチを行っている。もはやGoogleはモニターの中のウェブサイトの文字列を検索する会社ではない。現在のGoogleはGoogle Mapsが代表するように実空間とそこに存在するあらゆる事物を検索する会社だ。そう、もはや情報技術の支配する範囲はモニターの中にとどまらない。そもそも私たちがいまインターネットと呼んでいるものはIoH(インターネット・オブ・ヒューマン――ヒトのインターネット)と呼ばれるもので、人間が意識的に投稿したモニターのなかの文字列のつながりにすぎない。そしてこれは情報技術におけるインターなネットワークのほんの入口にすぎない。本来のインターネットはIoT(インターネット・オブ・シングス――モノのインターネット)と呼ばれる。それはモニターの中の平面を媒介として人間と人間を結びつける従来のインターネットとは大きく異なるものだ。その支配力はモニターの外側に及び、人間と人間が接続されるだけではなく、人間と事物、事物と事物が接続されることになる。モニターの外側の事物がつながり、検索可能になる。Googleの変節はこの変化を背景にしている。もはやインターネットは人間のものでもなければ、モニターの中のものでもないのだ。
     では、このような現実優位の時代に対して、Googleはどのように対応しているのか。

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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(3)【金曜日配信】

    2017-09-08 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。今回は、20世紀に文化の中心だった虚構が力を失い、一気に現実へと傾いていく21世紀の現状を整理しながら、「中間のもの」を扱えるインターネット本来の可能性について論じていきます。 (初出:『小説トリッパー』2017夏号)
    4 ほんとうのインターネットの話をしよう
     しかし、インターネットとは本来もっと異なるもののはずだった。たとえば前述の「PLANETS」vol.8では以下のような議論が展開されている。

     映像の二〇世紀と呼ばれた前世紀は、まさにこの魔法の装置によって社会が決定的に拡大した時代だった。
     実のところ厳密にはピントすら合っていない人間の目を、意識を通して認識されたものとして誰かと共有することは、本来は不可能なことだ。しかし人類はこの解離した、三次元の空間を二次元の平面に統合するという術を編み出した。三次元の、解離したものを、二次元に統合して共有可能にすること。パースペクティブという論理を用いて造られた虚構を媒介にすることによって、文脈の共有を支援することに私たちは成功したのだ。そして一九世紀と二〇世紀の変わり目に登場した映像という装置は、その平面の完成形だった。現実を平面に整理し、解離した人間の認識を統合した画像が連続し、擬似体験を形成する。このとき人類ははじめて整理され、統合された他人の経験(カメラの視点)を共有することが可能になったのだ。
     こうして成立した映像が放送技術と結託することで、二〇世紀の国民国家は広く複雑化した社会の維持が可能になった。しかし問題は映像、あるいは当時の技術が極端なふたつの人間観しか得られていなかったことだ。
     たとえば映画とは極めて能動的な観客を想定したメディアだ。劇場へ足を運び、演目を選び、木戸銭を払い、物語を受け止める態勢を整え暗闇の中に静止している。対してテレビは、極めて受動的な視聴者を想定したメディアだ。生活空間内における流しっぱなしを想定し、散漫な意識の中で一瞬だけ注意を引くことに注力する。
     この「映像の世紀」における観客/視聴者の対比は、現在の民主主義の制度が想定する人間像に一致する。それは能動的で理性的で意識の高い市民と、受動的で感情的で意識の低い大衆だ。これは同時に上院/下院、参議院/衆議院の峻別でもあり、そしてそのまま映画/テレビが前提とする人間像に相応している。
     そう、要するに前世紀までの人類は、極端に意識の高い市民と低い大衆、ふたつの人間像を想定し、それぞれに対応したシステムを並走させ、両者でバランスをとるという発想を根底に社会を形成していたのだ。
     しかし、インターネットは本来この中間のものだった。正確には人間の絶えず変化する能動性に対応し得るメディアだった。人間は市民ほど能動的でも、大衆ほど受動的でもない。これまで(二〇世紀まで)は単にそれが技術的に対応できずに極端な人間像をふたつ想定し、それを並走させていただけにすぎないのではないか。
     しかしこれからは違う。いや、そうではないやり方を考えなければいけない。インターネットは、そしてその背景をなす情報技術は、本来は中間のものにアプローチできるものなのだから(2)。


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  • 宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(2)【金曜日配信】

    2017-09-01 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。今回は震災以降の日本の動向を振り返りながら、新しい民主主義への希望の挫折とインターネットの直面した壁について論じます。(初出:『小説トリッパー』2017夏号)
    3 昼の世界/夜の世界
     境界のない世界とそのアレルギー反応の連鎖は、かたちをかえてこの国でも進行している。
     たとえば二〇一二年の末、私は主宰する雑誌(「PLANETS」 vol.8)の巻頭言で「昼の世界/夜の世界」という概念に言及した。これは元々は同誌に参加した社会学者(濱野智史)の造語だ。この国における情報革命は、九〇年代にアニメやゲーム、ポルノグラフィといったサブカルチャー、つまり文化領域から発展していった。西海岸におけるギークたちがそうであったように、この国ではオタクたちがインターネットという新しい武器の大衆化を担ったのだ。
     その結果、たとえば日本の「ガラパゴスな」インターネットはモバイルでテキスト、音楽、映像などを娯楽として消費することに特化したi-modeと、匿名掲示板2ちゃんねるからその思想――匿名のコミュニティによる集団的創造性の促進――を抽出した動画共有サイト、ニコニコ動画が代表することになった。
     そう、当時の私たちはこれら「夜の世界」の思想とそこで培われた技術が、やがて政治や経済といった「昼の世界」に浸透し、この閉塞した社会を、「失われた二十年」を正しく終わらせると信じていた。私たちはこのときすでに多くの武器を持っていた。私たちは二〇世紀的なイデオロギーでしか物事を語ることのできない新聞記者や進歩的知識人を鼻で笑うことができた。憲法九条とその是非が形成する国民的アイデンティティの問題を正しく「横に置いて」、リアルポリティクス的に外交戦略を議論する用意があった。昭和の大企業のサラリーマンたちが結果的に身に着けた鈍感なふりをする小賢しさを成熟だと勘違いする愚を正しく軽蔑し、グローバルな世界市場のプレイヤーとして闘う夢を語ることができた。そしてクールジャパン的な国策にやれやれとため息をつきながら、インターネット上に氾濫するサブカルチャーに耽溺しつつ、そこで得た智慧と技術をあらゆるものに応用していく自信があった。
     そしてその前年に列島を襲った東日本大震災とその後の福島の原子力発電所事故のもたらした社会の分断と混乱は、結果的にこの「夜の世界」が「昼の世界」に打って出るための転機であると考えられていた。この国の情報革命の中核にいた団塊ジュニア世代は不惑を迎え、このときはすでに社会の中核を担おうとしていた。私たち後続世代は彼らの背中を押し、あるいはその仕事を批判的に継承し、追い越して突破口を広げることだけを考えていた。しかし、現実はそうはならなかった。
     あれから五年、結局この国は何も変わらなかった。

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  • 【新連載】宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(1)【金曜日配信】

    2017-08-25 07:00  
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    今回から、本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』が始まります。<ズートピア>のジュディが語った「現実は厳しい」という言葉が指し示した、グローバル/情報化を支える多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギーの敗北。まずはその理由について論じます。 (初出:『小説トリッパー』2017夏号)
    1 ウサギのジュディと二〇一六年の敗北
    Real life is messy. We all have limitations. We all make mistakes. Which means―hey, glass half full!―we all have a lot in common. And the more we try to understand one another, the more exceptional each of us will be. But we have to try. So no matter what type of animal you are, from the biggest elephant to our first fox, I implore you: Try. Try to make the world a better place. Look inside yourself and recognize that change starts with you. It starts with me. It starts with all of us.
     その日、ウサギのジュディは言った。「現実は厳しい」と。「私たちには限界がある。私たちは間違いを犯す」と。そしてだからこそ「楽観主義が必要だ」と。「私たちには共通点がある。お互いを知れば、お互いの違いも明らかになる。だからこそお互いを知る必要がある。自分がどんな人種でも。大きなゾウでも、そしてズートピア警察初のキツネでも」
     これはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのアニメ映画〈ズートピア〉の結末でヒロイン(ウサギのジュディ)が行う演説の一説だ。
     ジュディの言う「厳しい現実」とは何か。それは二〇一六年に私たちが直面していた現実そのものだ。巨大なゾウから小さなネズミまで、そしてウサギのような草食動物からキツネのような肉食動物まで、じつに様々な動物が共存する夢の街〈ズートピア〉――それは多文化主義の理想を追求した今日の欧米社会そのものであり、そして映画の中で〈ズートピア〉を襲った危機――種の間に発生した憎悪を原動力にしたマイノリティの排斥運動――とは、世界のあらゆる場所でその反動が噴出したこの二〇一六年に私たちが直面していた危機そのものだった。
     アニメの中でウサギのジュディは〈ズートピア〉の理想を守るために奮闘する。自らの内なる偏見に向き合い、それを克服し、相棒の肉食動物(キツネのニック)と協力して種の対立を扇動する政治家と対決し、その陰謀を暴き出す。そして事件は解決しハッピーエンドを迎えた物語の結末で彼女は改めてこう述べるのだ。「現実は厳しい」と。
     実際に現実は厳しかった。〈ズートピア〉が公開された数カ月後にイギリスの国民投票はEUからの離脱を支持し、そしてさらにその数カ月後には、人種間に「壁を作れ」と扇動して恥じないドナルド・トランプがディズニーを産んだアメリカ合衆国の第四十五代大統領に就任したのだ。そう、この〈ズートピア〉は近年の欧米に台頭する排外主義の、グローバリゼーションへのアレルギー反応に対する政治的メッセージを前面に押し出した作品だった。
     広く知られている通りディズニーのアニメーションは戦中戦後に政治的なプロパガンダとして利用された歴史がある。これらの作品でナチスの軍需工場での強制労働の悪夢にうなされ、日独への敵対心と殲滅の必要性を説くドナルド・ダックの姿を目にすれば、今日を生きる人々の多くは驚愕するはずだ。このとき、映像は、劇映画は、アニメーションは、現実からまだ充分に独立していなかった。
     しかし、七十年後にディズニーのアニメは決定的に現実と対決していた。しかも、そこでアニメが戦っていたものは違った。それは外側ではなく内側から生まれた敵だった。だからこそウサギのジュディは「私たちには限界がある。私たちは間違いを犯す」と、自分たちに言い聞かせなければならなかったのだ。
     しかし、ウサギのジュディの願いも虚しく、現実は逆方向に舵を切った。〈ズートピア〉の理想は敗北したのだ。
     そう、二〇一六年は人類にとって二つの意味で敗北の一年だった。
     このとき人々が経験したのは、前世紀の人類がたどり着いた一つの理想(多文化主義)と、今世紀の人類が期待する最大の理想(カリフォルニアン・イデオロギー)の敗北だった。多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギー、これらはグローバル/情報化を支える両輪であり、それぞれ政治的アプローチ(多文化主義)と経済的アプローチ(カリフォルニアン・イデオロギー)をもって、それらを実現するための思想だった。
     しかし、この二つの理想はいま、危機に瀕している。グローバル/情報化はかつての先進国と後進国の格差を決定的に縮小する一方で、それと引き換えにそれぞれの国内の格差を拡大していく。平均的なアメリカ人と平均的なソマリア人との格差は(相対的には)大きく縮小されたその一方で、アメリカ人同士の格差はこれまで以上に拡大する。こうして、多文化主義の甘い理想は摩擦の大きな移民社会の現実に裏切られ、カリフォルニアン・イデオロギーに基づいたイノベイティブな情報産業の世界展開は二〇世紀的な工業社会に置き去りにされた人々を遺棄しつつある。その結果として、世界中でグローバル/情報化に対するアレルギー反応が噴出する。精神的にも、経済的にも、まだ国民国家という名の境界のある世界を必要とする人々の怨嗟がいま、世界中を覆い尽くそうとしているのだ。
     そしてこの巨大な反動は、まさに多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギーを牽引してきた二つの「先進国」で顕在化した。EUからの離脱を支持したイギリスの国民投票、そしてドナルド・トランプに勝利を与えたアメリカ大統領選挙――これらはいずれもグローバル/情報化に対する世界規模でのアレルギー反応の噴出であり、そしてなし崩し的に実現されつつある「境界のない世界」への反動だった。これが、二〇一六年の敗北だ。
     そう、「境界のない世界」はいま、敗北しつつある。特にカリフォルニアン・イデオロギーにとって、これは最初のつまずきであったと言っても過言ではないだろう。

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