今朝のメルマガは、2018年に明治大学で行われたe-sportsをテーマにしたシンポジウムのレポートをお届けします。中編では、スポーツ社会学が専門の高峰修さんが、デジタルゲームを含んだ包括的なスポーツの定義のあり方について発表します。
※本記事は「明治大学アカデミックフェス2018」(2018年11月23日開催)での各種プログラムを収録した電子書籍『知を紡ぐ身体ーー人工知能の時代の人知を考える』(明治大学出版会)の一部を転載したものです。
2019年11月23日に「明治大学アカデミックフェス2019」が開催されます。学生・一般の方を問わず無料でご参加できますので、ぜひご来場ください。
e-sportsとスポーツ
中川 さて、ここまではe-sports業界の「中の人」側からのプレゼンテーションでした。ここからは明治大学の二人の教員に、それをアカデミックサイドがどのように受け止めるのかという方向で議論の提起をお願いしたいと思います。e-sportsという新しいジャンルの勃興に対して、われわれの社会にはスポーツが築いてきた既存の文化があります。いわば先達である一般スポーツの経験から捉え直した時に、e-sportsが果たす社会的な意義や役割は、どのように考えることができるのか。スポーツについての研究を専門とされている高峰修先生のお話をいただきたいと思います。
「スポーツ」の定義からe-sportsを考え直す皆さん、こんにちは。私は大学で体育の実技の指導をするかたわら、「スポーツ社会学」という分野でスポーツのことを考えています。
そもそも、スポーツとはどういうものかということを、皆さんは深く考えたことがあるでしょうか? これを考えるにあたって、スポーツをめぐる著名な専門家や国際会議、あるいはいろいろな国の法律などで取り上げられているスポーツの定義について、共通する要素を抜き出してみました。
一つ目は、スポーツのいちばんの基本にあるのは、何かのために行う仕事や労働ではなく、広い意味での「遊び」だということ。英語では「play」という言葉が使われますが、これは人間にとっての遊びについて深く考察した研究家であるヨハン・ホイジンガやロジェ・カイヨワといった人たちが指摘している、非常に有名な考え方です。
二つ目は、遊びのなかでも、特に「競争」や「対戦」、あるいは「挑戦」といった要素を本質とするもの。レスリングやサッカーのように対戦相手がいる場合もありますし、陸上競技で記録の更新をめざすように自分との戦いという場合もあります。または登山や波乗りなど、自然環境への挑戦という場合も含まれます。
三つ目は、そういったもののなかでも、さらに「身体活動」を伴うもの。私が大学に入った頃は、「大筋運動」ということが、スポーツの定義のなかで言われていました。要は、身体を構成する筋肉を大きく動かす、または大量の筋肉を使って行う活動だという定義です。
ただしこれは、よく考えると「本当にそうなのかな?」と思えてきます。スポーツを語る時の難しさは、あまり典型的な定義には収まらないさまざまなスポーツがあるということですが、今日のこの話に関しては、利点になるかもしれません。
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