デビュー著作『制作へ』が話題を呼んだ気鋭の文筆家/キュレーターの上妻世海さんによる、制作という営みの根源に迫る書き下ろし連載の待望の更新。今回は昨年夏に公開された第1回に大幅な加筆・修正を施した増補改訂版の後編です。イメージ思考と抽象思考の協働がいかに創造的な行為に結びつくのか、さらなる探求が続きます。
現在の厚みと過去と未来について
僕は意識を思考の流れに合わせたいと思うことがある。例えば、ある特定の主題について思考を深めたい時など、特に僕はそう感じる。文章を書いたり、読んだりする時には、注意を一点に合わせる集中力がなによりも必要である。しかし、願いとは裏腹に、僕の意識は散漫で、ちょっとした音や動き、あるいは別のイメージに執われる。今、僕は原稿を書くためにパソコンと向き合っているのだが、朝のカラスの鳴き声が僕の無意識を駆り立て、僕は窓の外を眺める/眺めさせられる。YouTubeや各種SNSも僕を誘惑する。その隙に、イメージはまた別のイメージと混じり合い、そのたびごとに異なる未来と過去を作り上げる。これまで述べてきたように、僕たちの記憶は、百科事典のように外的に記述された静的な体系ではなく、その度ごとに物語る不安定で一貫性のない作家なのだ。
心理学者マイケル・コーバリスは興味深い実験をしている(*18)。彼は被験者に知識や過去の出来事を思い出してもらい、人物、モノ、場所を新たに組み合わせて、未来の出来事を想像してもらうよう指示した。被験者は、例えば友人のタケシが電信柱に衝突したり、アユミがコーヒーをパソコンにこぼしたり、マサアキが女にこっぴどく振られる場面を想像した。もちろん、それらは実際に生じなかった出来事である。しかし、僕たちは比較的容易にそれらを想像することができる。
興味深いのは、コーバリスがこの実験で、過去の出来事を思い出すときに活性化する脳領域と、未来の出来事を想像するときに活性化する脳領域を記録していたことである。彼はその結果、過去を思い出す時と未来を想像する時に活性化する領域がほぼ重なっていることを発見した。過去も未来も、知識と出来事の組み合わせとして、そのたびごとに現在において生成されているのである。
さらに彼は、この事実をより明らかにするために、海馬を損傷し健忘症を長く患っている被験者を対象に同様の課題を行った(*19)。海馬は新たに記憶を作る場所であり、仮に摘出したとしても、論理的な思考にも、IQにもさほど変化はもたらさない。そして、驚くべきことに、摘出以前の物事であれば、彼らは思い出話に花を咲かせることもできる(*20)。本実験でも、被験者は自分とは関係のない質問であれば過去と未来、どちらの質問にも応えることができた。そして、この時も被験者はMRIに横たわっていて、活性化した脳領域はほぼデフォルト・モード・ネットワークに対応していることが分かった。前者の実験との違いは、本実験では被験者が健忘症を患っており、海馬を損傷していることである。被験者は新たな記憶を作り出すことができない。しかし、彼らは過去も未来も想像できる。そして、彼らのイメージする過去と未来、どちらを想像していても活性化する領域はかなり重複していた。彼らは損傷以後の知識と出来事を私に紐づけることができないのにも関わらず、未来と過去を生成できるのである。
もちろん、ここでいう過去と未来は損傷以前の時間軸に限定される。しかし、もし損傷後の過去や未来について質問したら、彼らはどのように応えるのだろうか。すでにこれに関する実験は行われている。例えば、先ほどの被験者に「昨日何をしていましたか」と質問する。理性が現実を冷静に分析することを主としているとすれば、「昨日のことは何も覚えていません」と応えるのが筋であろう。しかし、彼らは、マイケル・ガザニガの実験と同じく、損傷以前の想起可能な過去を組み合わせて一貫した物語を語り始める。神経学者デイビッド・J・リンデンは、彼らは「『昨日のこと』と称して、『古い友人を訪ね、一緒にレストランに行って昼食をとった。私はコンビーフサンドとピクルスを食べた。その後、公園まで散歩したら、スケートをしている人がいた』くらいの話をすることはあり得る」(*21)と言う。このことから分かる事は、過去と未来はあくまで現在において作り出されているということ。そして、彼らは過去と未来を奪われたわけではなく、現在の厚みを増すことができないということである。それは新たな経験を自分に帰属できないことを意味している。経験は現在という倉庫に新たな素材を付け加えたり、倉庫にある素材を変化させる事である。新たな経験を現在に蓄積できないことは、結果として、過去を書き換え、新しい未来を紡ぎだすことの喪失を意味している。彼らにとって過去と未来は損傷以前の現在から紡ぎ出される組み合わせの物語なのである。
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