今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史──ぼくらの昨日の世界」の第9回の前編をお届けします。郵政事業の民営化をめぐる、いわゆる郵政選挙の圧勝と、8月15日の靖国参拝を置き土産に、2006年、小泉純一郎は総理の座を安倍晋三へと禅譲します。それは、グローバルな新自由主義とノスタルジックな保守主義の、蜜月の時代の始まりでもありました。
リベラルと改革の離婚
時代の凪が明けた平成17~18(2005~06)年は、ポスト55年体制の政治文化が大きく転換した二年間でした。小泉純一郎政権の最末期を象徴するふたつの事件──2005年9月11日の衆院選(いわゆる郵政選挙)と06年8月15日の靖国神社参拝を経て、9月26日は後継の第一次安倍晋三内閣が発足します。
なにがどう変貌したのか。平成初頭の非自民連立政権による小選挙区制の導入以来、長らく続いてきたリベラルと「改革」の幸せな結婚が、このとき破綻した。むしろ昭和がおわり自民党が下野した際には、だれも予想だにしなかった「保守」こそが、時代のキーワードとして抗いがたく浮上してくる。「リベラルの凋落と国民の保守回帰」は、しばしば2012年末からの第二次安倍政権について指摘されますが、その原点はあきらかに、ゼロ年代なかばのこの時期にあったのです。
2004年から郵政民営化担当相を務めていた竹中平蔵さんは粘着質な人で、小泉退陣と同時に政界を退いたのちに公表した回想録(06年12月刊)では、入閣中にメディアから浴びた批判を抜粋して、逐一やり返しています。面白いのは、その方向性です。2003年に不良債権の強行処理にあたった際、竹中は過激すぎると批判したのは保守系の『読売新聞』で、逆に生ぬるいと正反対の方向から発破をかけたのが、市場重視の『日本経済新聞』とリベラル派の『毎日新聞』。同年9月には小泉再選をかけた自民党総裁選(反改革派の三名が挑戦するも敗北)がありましたが、このとき構造改革路線を断固応援したのは『朝日新聞』で、むしろ『読売新聞』は景気回復優先に転換せよと唱えていた[1]。
平成の後半には、市場競争での「負け組」は経済効率を悪化させるから退場しろという冷たい発想は、保守派のマッチョイズムから来るものだ。そうした「新自由主義」を批判し、福祉の充実や弱者との共生を唱えるのがリベラルだとするコンセンサスが、政界や論壇で広く共有されるようになります。しかし、それは小泉政権の中途までは存在しなかった構図でした。じっさい、小泉政治の総決算となる郵政民営化に反対して自民党を(一時的に)追われた「造反組」の主流は、ナショナリストとして知られる亀井静香や平沼赳夫をはじめ、復党後に第二次安倍政権で重用される古屋圭司(国家公安委員長)や衛藤晟一(首相補佐官)など、同党でも折り紙つきの「保守派」たちでした。
郵政解散とは、小泉首相の宿願だった郵政事業を民営化する法案が、自民党内から大量の造反(=議場での反対)を出しながらも衆議院では可決されたのち、参議院で否決。このとき小泉氏が「国民の考えを聞きたい」としてまさかの衆院解散に踏み切り、しかも造反者を公認せず、刺客と呼ばれた対立候補を送り込んだものです。いわば党から追放された造反組の一部は、このとき国民新党(綿貫民輔代表。代表代行に亀井静香)・新党日本(代表は長野県知事だった田中康夫)というミニ政党を結成しますが、これは1955年に始まる自民党史の大きなエポックでした。
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