本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第12回「なぜベースボールは『アメリカの国技』とされるのか? 近代化と南北戦争の後先」をお届けします。
ベースボールが「アメリカの国技」になるまでに経た変遷とは? 独立・南北統一後のアメリカが、国家のアイデンティティを生み出す物語として用いたベースボールの歴史に迫ります。
中野慧 文化系のための野球入門
第12回 なぜベースボールは「アメリカの国技」とされるのか? 近代化と南北戦争の後先
ベースボールに併存する「アーバン」と「カントリー」のイメージ
現在のアメリカでは野球といえば「都市(アーバン)」よりも「田舎(カントリー)」を想起させるものになっている。たとえばメジャーリーグの球場では7回に入る前に「Take me out to the ball park〜♪」という歌いだしで有名な「私を野球に連れてって」という曲を流す慣習がある。これは、その牧歌的なメロディ、そして野球場全体の風景も相まって、「カントリー」のイメージを強烈に立ち上げるための「装置」のひとつだ。
また、野球映画の名作とされるもののひとつに『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年公開)という作品がある。ここでもテーマとなっているのは、「田園」を中心としたアメリカの「ホームタウン」へのノスタルジーである。
▲『フィールド・オブ・ドリームス』フィル・アルデン・ロビンソン(監督)、ケヴィン・コスナー(主演)、1989年公開(出典)
前回、「ベースボール」が生まれたのは「都市」であるニューヨークだと述べた。だが19世紀前半当時のニューヨークは、今のような巨大な高層ビルが立ち並ぶ都市というよりも、田舎だった場所が「都会」へと変貌していく狭間の時代でもあった。そのためニューヨークで誕生したベースボールは、「都会」の性格を持ちながらも、そのなかで同時に「田舎」へと逆行する矛盾したベクトルも存在し得たのであった。
フランス生まれでアメリカに帰化した批評家のジャック・バルザンは、「アメリカ人の精神や心を知ろうとするならベースボールと、そのルール、現実を学ぶのがよい」と述べている[1]。現在もアメリカにおいて野球は、視聴率や競技人口などの実際的な数字ではアメリカンフットボールやバスケットボールに遅れをとりつつあるものの、アメリカの「国技」としての立ち位置をかろうじて維持している。これには、アメフトやバスケットボールにはない「田舎」へのノスタルジーという要素が今も残っているということも大きく寄与しているだろう。
ニッカボッカーズが「ベースボール」に加えた要素
ニューヨークのビジネスマンだったアレグザンダー・カートライトら「ニッカボッカー・ベースボール・クラブ(以下、ニッカボッカーズ)」が始めたベースボールには、「田舎から都市へ」「農夫からホワイトカラーへ」「女性から男性へ」という矢印を、一応は見出すことができる。
もともと老若男女が楽しめるスポーツだったラウンダーズやタウンボールに、ニッカボッカーズが新たに加えた要素は「パワー」であった。
それまでのラウンダーズ/タウンボールには「ソーキング」と言って、守備側が走者にボールを当てるとアウトにできるというルールがあった。そのルールは、子どもが柔らかいボールでやっていたのなら、そこまで暴力的な競技には映らないかもしれない。しかし成人男性がそれをやると、途端に危険かつ暴力的な色彩を帯びるスポーツになってしまう。
そこでニッカボッカーズは、成人男性としてこのスポーツに興じるために「ソーキング」を禁止するルールを定めたのであった。そうして直接的に人間の身体を害する暴力的な行為が抑制されたことにより、ボールとその移動だけに「パワー」が注がれることになり、このスポーツを「成人男性が興じていいもの」に変化させることができた[2]。ここにおいてベースボールが、「男らしさ」の表現として受容される素地が整ったのだった。
20世紀にドイツとイギリスで活躍した社会学者ノルベルト・エリアスは、「近代におけるスポーツの発展は暴力が抑制されていく過程である」と論じた[3]。ベースボールのルールの変化も、文明史的なこうした流れのなかのひとつであるといえる。
それまでのスポーツというものは、もっぱら「する」ものであり、見世物的な要素は少なかった。しかしベースボールにおいては、「パワーの発揮」があくまでも限定的かつ非暴力的な性格を有したことによって、成人男性の「男らしさ」を「みる」スポーツ、つまりスペクテイター・スポーツとしても発展していくこととなった。
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