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  • PL学園野球部の淵源? 明治期のトップエリートを育んだ「籠城主義」「校友会」というキャンパスカルチャー|中野慧

    2021-09-28 07:00  
    550pt

    ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌第‌14回「PL学園野球部の淵源? 明治期のトップエリートを育んだ「籠城主義」「校友会」というキャンパスカルチャー」をお届けします。東京大学教養学部の前身とされる一高のキャンパスカルチャーから、現代の「野球エリート」たちを育む環境の淵源について考察します。
    中野慧 文化系のための野球入門第14回 PL学園野球部の淵源? 明治期のトップエリートを育んだ「籠城主義」「校友会」というキャンパスカルチャー
    〈文明化〉とはなにか
     本連載の第12回で少し触れたが、20世紀にドイツとイギリスで活躍した社会学者ノルベルト・エリアスは『スポーツと文明化』のなかで、「近代におけるスポーツの発展は暴力が抑制されていく過程である」と論じている。  そもそも私たちは、〈闘争〉〈暴力〉をエンターテインメント(娯楽)として消費する性向がある。戦後日本では高倉健や菅原文太の任侠映画が人気を博してきたし、現在もたとえば暴力に明け暮れる不良少年たちの抗争を描いた『HiGH&LOW』シリーズや、『東京リベンジャーズ』などの作品が高い人気を得ている。
    ▲『東京リベンジャーズ』(2021)(出典)
     人類史を遡ると、古代ローマでは奴隷どうしを「剣闘士」として戦わせたり、または剣闘士と猛獣を円形闘技場(コロッセオ)で戦わせたりしていた。中世ヨーロッパでは街の中心部で行われる犯罪人の処刑が、市民の日常の楽しみとして行われた。  古代ローマでは「ハルパストゥム」という、サッカーやラグビーなどのフットボールの原型となったゲームが行われていたが、殴る蹴るもOKで敵陣にボールを運ぶことを競うという、暴力的な色彩の非常に濃いゲームであった。このゲームはルネサンスの時期にイタリアで復活し、「カルチョ・ストーリコ(カルチョ・フィオレンティノ)」という名で現代も残っている。
    ▲現代も行われているカルチョ・ストーリコ。動画を見るとわかるが、ほとんど素手で戦う戦争のようである。
     この民衆で行うフットボール(マス・フットボール)は、中世にフランス、イギリスへと北上し、村同士の戦いという形式を取り、あまりに過激化するので国王から禁止令も出された……というのはすでに述べたとおりである。  マス・フットボールは民衆娯楽としては優れていたが、暴力的すぎるという欠点があった。そこでルールを整備することにより暴力性を逓減させ、〈楽しみ〉=つまりスポーツへと純化させていったのがサッカーやラグビーである。  エリアス曰く、スポーツは民主主義社会でしか生まれないという。  人類史上最初に、現代のスポーツに通じる文化が生まれたのは古代ギリシアで行われた古代オリンピックだ。古代ギリシアでは、市民権を持つ男性たちが共同で政治に参加する「民主主義」に基づいた統治が行われていた(もっとも、民主政とはいっても基本的に女性や奴隷が排除されていたという点が、現代と大きく違うが)。普段は抗争に明け暮れるギリシア都市国家どうしが4年に一度、一時休戦をし、市民たちによる徒競走や円盤投げ、レスリングや戦車競走などで勝ち負けを競い合い、それを通じてゼウスをはじめとしたギリシアの神々を祀る宗教行事が古代オリンピックだった[1]。だが2世紀以降、地中海世界でキリスト教が普及したことにより、古代オリンピックは「異教の祭典」ということで白眼視されるようになり、やがて終焉を迎えた。  それから1500年ほど下って19世紀後半、普仏戦争でプロイセン(のちのドイツ)によって蹂躙されたフランスでは、「ドイツに復讐すべき」という世論が盛り上がっていた。そのときに「やられたやりかえせ、では真の平和は訪れない」という危機感を持ったフランス貴族のピエール・ド・クーベルタンが、かつてギリシアで行われていたという古代オリンピックにヒントを得て、「スポーツという平等なルールのもとで競い合う国際イベントを開催してはどうか」と考え、近代オリンピックを創始したのであった。古代オリンピックはゼウスらギリシアの神々を祀る祭典だったが、クーベルタンはその代わりに「世界平和」という理念を込め、近代オリンピックは現在にまで続いている。  こうしたフットボールやオリンピックの歴史を見ていくと、人間が持つ〈闘争〉〈暴力〉への渇望を、統一的なルールを定めるなどして暴力的な要素を取り除き、純粋な楽しみへと昇華させていく努力こそが、近代スポーツの歩みの本質であると言える。暴力性や乱雑さが濾過され、民主的な近代社会へと向かうプロセスこそがエリアスの言う〈文明化〉であり、スポーツはその重要な要素のひとつだった。近代スポーツの発生は、そうした大きな流れのなかに位置づけられるのである。
    明治期、なぜサッカーやラグビーではなく「野球」が人気になったのか
     野球が日本に入ってきた時期は、すでに述べたように近代化の波が押し寄せていた明治時代である。だが野球とほぼ同時期に、現代では野球よりも人気スポーツになりつつあるサッカーやラグビーなども入ってきていた。近代化以降に流入した舶来のスポーツのなかで、なぜ野球の人気だけが高まったのだろうか?  この点に関しては「バットが刀に似ているので日本人に理解しやすかった」などさまざまな俗説があるが、日本のスポーツライターの草分け的存在である玉木正之(1952年〜)が、著書『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう! 』(春陽堂書店、2020年)のなかで興味深い説を述べていたので紹介したい。  玉木曰く、日本の武家社会では、平安時代に行われた源平合戦の時期から、最終的に「一騎打ち」で雌雄を決するという形式が好まれるようになっていった。  しかし当然ながら、人々どうしの紛争を解決する手段として暴力を用いる際に、雌雄を決するのは一騎打ちではない。相手をいかにして欺き、味方どうしでいかに連携して戦うか、つまり権謀術数と組織戦こそが勝利のためには必要であり、それが戦争のリアリズムである。  ところが血で血を洗う戦国時代を経て、江戸時代という平和な時代(パクス・トクガワーナ)になり、剥き出しの荒々しい暴力、勝つための組織戦=チームプレーが必要であるというリアリズムが鳴りを潜め、日本人たちの「戦い」そのものへの観念がフィクショナルなものへと変化していった。特に、戦国時代に行われたという上杉謙信・武田信玄の一騎打ちなどが文学や浄瑠璃で盛んに語られることで、庶民のあいだでも「戦い=一騎打ち」という観念が浸透していった。江戸時代という長い平和の時代を経て、日本人は「チームプレー」というものを理解するフレームワークを長らく失ってしまっていたのだ。  明治期に入ってきた舶来のスポーツのなかでも、サッカーやラグビーは前述のとおり、より本来の「戦い」のリアリズムに近いものだった。サッカー、ラグビーは「流れ」があり、チームプレーの側面もかなり強くある。このチームプレーというものの面白さが、当時の日本人には理解されなかった。しかし野球には投手と打者がいて、「一騎打ち」の性格が強く見られる。だから当時の日本人が持っていた戦い=一騎打ちというフレームで理解しやすかった、というのである。  逆に言えば野球は、そうした本当の戦いのリアリズムから離れたフィクショナルな部分が、ある意味で「平和ボケ」していた当時の日本人たちの心を捉えることができた、と見ることができる。こうして「平和ボケした日本人」の観念に合致し、人々の心をいったんは掴んだ野球はしかし、ここから「近代化」の荒波のなかに否応なく放り出されることになっていったのだ。
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  • 明治期日本のスポーツとエンターテインメント ──「武道の誕生」とベースボール|中野慧

    2021-09-06 07:00  
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌‌第‌13回「明治期日本のスポーツとエンターテインメント──「武道の誕生」とベースボール」をお届けします。明治初期の日本で「ベースボール」はどのように受け止められたのでしょうか? 「作られた伝統」としての武道と「新奇なサブカルチャー」に過ぎなかったベースボールという位置づけから、当時の日本文化の情勢について考察します。
    中野慧 文化系のための野球入門第13回 明治期日本のスポーツとエンターテインメント ──「武道の誕生」とベースボール
    明治期日本が目指したのは「欧米」ではなかった
     前回までは、19世紀後半のアメリカにおけるベースボールの定着を見てきたが、ではベースボールは日本にどのようにして入ってきたのだろうか。  明治維新は1868年であるが、ベースボールが日本に伝わったのはそのわずか4年後、1872年に東京で始められたとされている。だがその話に入っていく前に、この時期の「日米関係」について整理しておかねばならない。  そもそも近代以降の日本とアメリカの関係はやや複雑である。よく知られるように日本の開国の直接のきっかけは1853年のペリー来航であり、アメリカの強大な軍事力を背景にそれまで鎖国していた江戸幕府は開国を余儀なくされた。幕府の「弱腰」に対して、それまで冷遇されていた薩摩・長州という外様の藩の武士たちを中心に「攘夷(外国人を打ち払うこと)」を掲げた暴力の嵐が吹き荒れ、やがて倒幕運動へとつながっていった。  ところが1860年代の幕末維新期にはなぜか、日本史においてアメリカの影は薄い。アメリカはペリー来航の50年代には太平洋・東アジア地域に活発に進出していたが、60年代は小康状態となっている。原因は前回述べたように、1861〜65年にかけて戦われた南北戦争とその後の戦後収拾に追われていたからだ。アメリカは内戦の影響で、英仏をはじめとした西欧列強の東アジア進出、より直接的にいえば中国進出に遅れをとってしまった。  1867年11月の大政奉還後、1868年初めから始まった戊辰戦争は、幕府はフランスの、薩長同盟(新政府)側はイギリスの支援を受けて戦われた。この戦争はいわばフランス・イギリスの代理戦争の様相を呈していたのだが、アメリカはあくまでも「局外中立」の立場であった。 そのため、戊辰戦争が新政府軍の勝利に終わったあともアメリカは、日本国内に強い影響力を行使することはなかった。  戊辰戦争後、明治新政府はスローガンとして「富国強兵」を掲げたが、国家の重要課題である軍事に関して、陸軍はフランス(のちにドイツ)、海軍はイギリスを模範とした。また、近代国家に不可欠な法律の整備においては特にドイツを参照した。明治維新の3年後の1871年に普仏戦争でフランスを破ったプロイセンにより、それまで統一されていなかった「ドイツ」が国家として成立したが、明治新政府は日本と同じく君主を戴く権威主義国家としてドイツを模範としたのであった。  明治政府のリーダーたちから見たとき、日本と同じ君主制国家としてドイツやイギリスは模範だと認識していた一方で、アメリカは模範とすべき国ではなかったのだ。「文明開化」「脱亜入欧」とはいっても、日本が国家として目指すべき理想像のなかにアメリカが入っているわけではなかった。そもそもイギリスやフランス、ドイツ(プロイセン)は国家としても歴史が古く、王政・帝政の伝統を持っていた(フランスは1789年のフランス革命以降は共和制の時代もあったが、明治維新の時期はナポレオン三世の第二帝政とその崩壊の時期である)。  一方、アメリカのことは「日本に比べれば歴史の浅い国である」と軽視する向きも強かった。つまり明治期に近代国家への道を歩み始めた日本は、西洋の文物を取り入れる際に、オフィシャルな場所では「欧米」ではなく、あくまで「西欧」を参照していたのだ。これは実は、日本における野球の定着を見る上で極めて重要なポイントである。
    イギリスからやってきたスポーツ、アメリカからやってきたベースボール
     明治国家は、政府・民間レベルでさまざまな国から外国人を教師として招いた。なかでもイギリスからやってきたフレデリック・ウィリアム・ストレンジは、現在の東京大学の前身のひとつである「予備門」で、学生たちにホッケー、サッカー、クリケット、テニスや陸上競技、ボートなど、当時イギリスで学生たちの間で盛んに行われていたスポーツを伝えた。ストレンジは「部活動」や「運動会」など、日本における集団でおこなわれるスポーツ活動の土台となるコミュニティのあり方、催事の雛形をつくった人物である。  もともとストレンジの母国イギリスでは、貴族や有力者の息子たちが集まるパブリックスクール(寄宿舎制の学校)で、スポーツが「道徳心を備え、リーダーシップとフォロワーシップ、公平性(フェアプレイ精神)のある立派な青年を育てる」として教育プログラムに組み込まれていた。この背景には、キリスト教のプロテスタンティズムの考え方のひとつ、「スポーツで道徳的健全性が養われる」とする筋肉的キリスト教(Muscular Chiristianity)という思潮があった。逆に、スポーツに積極的に親しもうとしないパブリックスクールの生徒は、「勉強虫(aesthete)」「女々しい(effeminate)」としていじめられるありさまで、時には自殺にまで追いやられることもあったという[1]。日本における近代スポーツの父とされるストレンジの背景に、そういった英国パブリックスクールの文化があったことには注意が必要である。  さて、ベースボールを日本に最初に伝えたとされるのは、同じ時期にアメリカからやってきたホーレス・ウィルソンという人物である。ウィルソンはもともと南北戦争にも参加した軍人で、来日してからは英語や数学を教えるかたわら、1872年から東京大学の前身のひとつである第一番中学でベースボールを学生たちに教え始めた。第一番中学は翌年から「開成学校」となってグラウンドも作られ、そこでベースボールの試合も定期的に開催されるようになった。これにはイギリス人であるストレンジも興味を示して参加し、開成学校がさらに改組された「第一高等中学校」ではベースボールをプレイする学生有志団体が立ち上がった。  ニューヨークでニッカボッカーズがベースボールを始めたきっかけが「デスクワークで運動不足になりがちなホワイトカラーを戸外に連れ出す」ということであったのと同じように、ウィルソンがベースボールを日本の学生たちに教えようと考えたのは「学生たちが勉強ばかりで運動不足だから」であった。  明治期には外国からさまざまなスポーツが入ってきており、ベースボールとほぼ同じ時期にサッカーやラグビーなどのフットボールも入ってきている。外国からさまざまな文物が流入するなかで、西欧ではない「アメリカ」のものである野球は、あくまでも学生たちのあいだではサブカルチャーであった。  だがベースボールは、1870年代から1890年代にかけてしだいに日本に普及していった。その際には「野球」という名称はまだなく、「打球鬼ごっこ」と呼称されて、子どもたちのあいだにも広まった。なお「野球」という名称が誕生するのは明治維新のずっと後、1894年のことである。  余談だが、この草創期の野球には木戸孝正、牧野伸顕という二人の人物が参加していた。明治維新では西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通が「維新三傑」とされているが、木戸孝允の養子が木戸孝正で、大久保利通の次男が牧野伸顕である。この二人が、アメリカ留学の手土産としてバットやボールを持ち込んだという話が残っているのだ[2]。木戸孝正の長男・木戸幸一、そして牧野伸顕は、のちに昭和天皇の側近となった。二人は昭和戦前期には「君側の奸(天皇のそばにいながら自分たちの利益のために間違った情報を天皇に吹き込む輩)」として陸軍青年将校たちから敵視され、命までをも狙われながら、太平洋戦争末期には終戦工作に貢献している。これも「野球」と「軍部」の関係として面白いひとつのエピソードかもしれない。
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  • なぜベースボールは「アメリカの国技」とされるのか? 近代化と南北戦争の後先|中野慧

    2021-08-11 07:00  
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌第‌12回「なぜベースボールは『アメリカの国技』とされるのか? 近代化と南北戦争の後先」をお届けします。ベースボールが「アメリカの国技」になるまでに経た変遷とは? 独立・南北統一後のアメリカが、国家のアイデンティティを生み出す物語として用いたベースボールの歴史に迫ります。
    中野慧 文化系のための野球入門第12回 なぜベースボールは「アメリカの国技」とされるのか? 近代化と南北戦争の後先
    ベースボールに併存する「アーバン」と「カントリー」のイメージ
     現在のアメリカでは野球といえば「都市(アーバン)」よりも「田舎(カントリー)」を想起させるものになっている。たとえばメジャーリーグの球場では7回に入る前に「Take me out to the ball park〜♪」という歌いだしで有名な「私を野球に連れてって」という曲を流す慣習がある。これは、その牧歌的なメロディ、そして野球場全体の風景も相まって、「カントリー」のイメージを強烈に立ち上げるための「装置」のひとつだ。  また、野球映画の名作とされるもののひとつに『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年公開)という作品がある。ここでもテーマとなっているのは、「田園」を中心としたアメリカの「ホームタウン」へのノスタルジーである。

    ▲『フィールド・オブ・ドリームス』フィル・アルデン・ロビンソン(監督)、ケヴィン・コスナー(主演)、1989年公開(出典)
     前回、「ベースボール」が生まれたのは「都市」であるニューヨークだと述べた。だが19世紀前半当時のニューヨークは、今のような巨大な高層ビルが立ち並ぶ都市というよりも、田舎だった場所が「都会」へと変貌していく狭間の時代でもあった。そのためニューヨークで誕生したベースボールは、「都会」の性格を持ちながらも、そのなかで同時に「田舎」へと逆行する矛盾したベクトルも存在し得たのであった。  フランス生まれでアメリカに帰化した批評家のジャック・バルザンは、「アメリカ人の精神や心を知ろうとするならベースボールと、そのルール、現実を学ぶのがよい」と述べている[1]。現在もアメリカにおいて野球は、視聴率や競技人口などの実際的な数字ではアメリカンフットボールやバスケットボールに遅れをとりつつあるものの、アメリカの「国技」としての立ち位置をかろうじて維持している。これには、アメフトやバスケットボールにはない「田舎」へのノスタルジーという要素が今も残っているということも大きく寄与しているだろう。
    ニッカボッカーズが「ベースボール」に加えた要素
     ニューヨークのビジネスマンだったアレグザンダー・カートライトら「ニッカボッカー・ベースボール・クラブ(以下、ニッカボッカーズ)」が始めたベースボールには、「田舎から都市へ」「農夫からホワイトカラーへ」「女性から男性へ」という矢印を、一応は見出すことができる。  もともと老若男女が楽しめるスポーツだったラウンダーズやタウンボールに、ニッカボッカーズが新たに加えた要素は「パワー」であった。  それまでのラウンダーズ/タウンボールには「ソーキング」と言って、守備側が走者にボールを当てるとアウトにできるというルールがあった。そのルールは、子どもが柔らかいボールでやっていたのなら、そこまで暴力的な競技には映らないかもしれない。しかし成人男性がそれをやると、途端に危険かつ暴力的な色彩を帯びるスポーツになってしまう。  そこでニッカボッカーズは、成人男性としてこのスポーツに興じるために「ソーキング」を禁止するルールを定めたのであった。そうして直接的に人間の身体を害する暴力的な行為が抑制されたことにより、ボールとその移動だけに「パワー」が注がれることになり、このスポーツを「成人男性が興じていいもの」に変化させることができた[2]。ここにおいてベースボールが、「男らしさ」の表現として受容される素地が整ったのだった。  20世紀にドイツとイギリスで活躍した社会学者ノルベルト・エリアスは、「近代におけるスポーツの発展は暴力が抑制されていく過程である」と論じた[3]。ベースボールのルールの変化も、文明史的なこうした流れのなかのひとつであるといえる。  それまでのスポーツというものは、もっぱら「する」ものであり、見世物的な要素は少なかった。しかしベースボールにおいては、「パワーの発揮」があくまでも限定的かつ非暴力的な性格を有したことによって、成人男性の「男らしさ」を「みる」スポーツ、つまりスペクテイター・スポーツとしても発展していくこととなった。
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  • 女性、イギリス、ホワイトカラー──野球というスポーツの起源|中野慧

    2021-07-21 07:00  
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌第‌11回‌「女性、イギリス、ホワイトカラー──野球というスポーツの起源」。アメリカから輸入されたものであるにもかかわらず、しばしば保守的なイメージを喚起させる日本野球の起源はどのようなものなのでしょうか。スポーツをめぐる人類史の概略と近代の欧米諸国民のライフスタイルから、「ベースボール以前」のベースボールを振り返ります。※アイキャッチ画像は、2019年6月、イギリスの首都ロンドンにあるロンドン・スタジアムでニューヨーク・ヤンキースとボストン・レッドソックスのMLB公式戦が開催された際のもの。アメリカ合衆国空軍がパブリック・ドメインで公開している(出典)。
    中野慧 文化系のための野球入門第11回 女性、イギリス、ホワイトカラー──野球というスポーツの起源
     前回までは、日本における高校野球の文化性について書いてきた。現代日本における野球の文化的位置は、これまでの人々の意識や社会の構造にかなり規定されている、というのが暫定的な結論であるが、では日本の野球文化はどのようにして構築されてきたのだろうか。  ここからは〈歴史編〉と題して、さまざまな要素と絡めながら野球史を批評的に記述していきたい。なお本連載ではこれまで「です・ます調」で執筆してきたが、批評的な叙述と馴染みにくいということを考慮し、編集部と相談の上、「だ・である調」に変更することとした。
    「旧日本軍」「武士」と結び付けられる日本野球
     高校野球について考えてきて改めて気付くことだが、日本の野球はなぜか「旧日本軍」や「武士」のイメージと結びつけられがちではないだろうか。  たとえば表層的な面だけとっても、高校球児たちがみな坊主頭にしていたり、甲子園の開会式で一糸乱れぬ軍隊式の行進をしていたり、終戦の日の正午に戦没者に黙祷を捧げていたり、9回2アウトで負けている側のチームの打者が内野ゴロを放ったら必ず一塁ベースにヘッドスライディングで「特攻」して「玉砕」する、という風習が堅持されていたり……などなど、見るものに何やら軍国主義的な印象を与える行動様式を維持している。こうしたことが「前近代的な非合理性の象徴」として、21世紀のネット空間では批判の槍玉に挙げられることが多い。  また、学生野球の練習着は、なぜかシャツとズボン、帽子ともに無地の白のものを着るというのがスタンダードになっている。これは柔道や空手の道着を想起させるデザインである。さらにいえば、野球日本代表の愛称は「侍ジャパン」であり、ユニフォームも武士の甲冑をイメージさせるものが採用されている。日本野球にはなぜか、このように復古的・保守的な要素が埋め込まれている。言い換えれば、それはある種の「右翼性」と言ってもいいものだろう。  なお「右翼」という言葉自体は非常に多義的である。もともとはフランス革命で議会ができた際に、比較的穏健な主張をしていた人々が議会の右側に陣取り、逆に急進的な主張を持つ人々が左側に陣取っていたことに端を発する。このふたつの言葉の定義を、評論家・浅羽通明の著書『右翼と左翼』から引いてみよう。

     「左」「左翼」は、人間は本来「自由」「平等」で「人権」があるという理性、知性で考えついた理念を、まだ知らない人にも広め(「啓蒙」)、世に実現しようと志します。これらの理念は、「国際的」で「普遍的」であって、その実現が人類の「進歩」であると考えられるからです。  ですから、現実に支配や抑圧、上下の身分、差別といった、「自由」と「平等」に反する制度があったら、それを批判し改革するのが「左、左翼」と自任する人の使命となります。ゆえに多くの場合、「改革派」「革命派」なのです。 (中略)  対するに「右」「右翼」は、「伝統」や「人間の感情、情緒」を重視します。「知性」や「理性」がさかしらにも生み出した「自由」「平等」「人権」では人は割り切れないと考えます(「反合理主義」「反知性主義」「反啓蒙主義」)。  ゆえに、たとえそれらに何ら合理性が認められないとしても、「長い間定着してきた世の中の仕組み(「秩序」)である以上は、多少の弊害があっても簡単に変えられないし、変えるべきでもない」と結論します。  こうした「伝統」的な世の中の仕組みには、近代以前に起源を有する王制、天皇制、身分制などが含まれ、それらは大方、「階層的秩序」「絶対的権威」を含んでいます。  「右、右翼」と称する人は、それら威厳に満ちた歴史あるものを貴く思って憧れる「伝統的感情」を重んじ(「歴史主義」「ロマン主義」)、そんなものは人権無視で抑圧的で差別の温床だなどとさかしら(「知性的」「合理的」「啓蒙的」)に批判する左翼らが企てる「革命」「改革」から、それらを「保守」しようと志します。(浅羽通明『右翼と左翼』幻冬舎新書より)

     この浅羽の定義に倣うならば、いわば右翼とは「歴史あるコミュニティに貢献し、昔ながらの伝統を守ることを重視する態度」だといえる。これは野球に関わる守旧派と一般的には目されている高野連や、昔ながらの体罰や罵声を伴う指導や文化を維持しようとする人々の行動様式とも重なっている。
     しかし、よく考えてみるとこれは奇妙なことである。というのも、もともと野球は、アメリカ由来のものであるはずだからだ。その「輸入された」ものに、なぜ「武士」や「旧日本軍」といった右翼的イメージが重ねられるのだろう。  多少は野球の歴史に詳しい人であればすぐに気付くことだが、戦前、特に日中戦争〜太平洋戦争の期間、野球は政府・軍部によって「敵性スポーツだ」ということで迫害されていた。「ストライク」が外来語だということで「ヨシ一本」などと言い換えさせられていたのだ。  それがなぜか、戦後から現在に至るなかで高校野球を中心とするアマチュア野球は「日本軍的」なイメージ、さらには日本古来の伝統的な価値観である「武士」のイメージを背負わされるようになった。たとえば戦前の軍国主義日本に肯定的な価値を認めている靖国神社の戦争博物館「遊就館」には、戦争で亡くなった「英霊」たちの名簿のすぐそばに「戦没野球人」たちの特別コーナーが設けられている。戦前の野球人たちは軍部から迫害され、徴兵された先の軍隊でも「敵性スポーツをやっているから」という理由でいじめにすら遭っていた人たちであるにもかかわらず、である。そう、野球という「アメリカ」的なものが、戦後の長い時間をかけていつの間にか「日本軍的」「武士的」なものに鋳直されてしまっているのである。  さらにいえば、アマチュア野球がそうした復古的な性格を持った一方で、なぜかプロ野球のほうには「自由」の文化性が宿っている。野茂英雄やイチローのような個性的なフォームの選手が活躍し、長嶋茂雄や新庄剛志のような奔放な選手が「スター」になりえた。投手・打者双方で高いレベルのパフォーマンスを発揮する大谷翔平の「二刀流」というプレースタイルも、日本プロ野球では許容された。「日本の野球」と一口に言っても、大きくこの二通りの文化性が生きているのである。  そこで、ここからは、スポーツの歴史、野球の歴史を追いながら、なぜ今の日本野球がこのような文化性を宿しているのかを、現代の事象とも照らし合わせながら考えていきたい。
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  • 戦後日本を代表する作詞家・阿久悠が描き出した”高校野球と日本人”の関係|中野慧

    2021-07-07 07:00  
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第‌10回‌「‌戦後日本を代表する作詞家・阿久悠が描き出した”高校野球と日本人”の関係」です。‌ 「若者の青春」の代名詞ともいえる高校野球ですが、日本人のそうした青春観が野球界の歪みを招き、社会の幸福度にも影響を与えているのではないか。阿久悠の掌編小説を引きながら、日本社会における高校野球の位置づけについて考察します。
    中野慧 文化系のための野球入門第10回 戦後日本を代表する作詞家・阿久悠が描き出した”高校野球と日本人”の関係
    ユースが登場すれば特待生問題も自動的に解決される
     本連載を通じて、すでに述べたように、これまでのプロ野球は高校生年代の育成においてアマチュア野球にフリーライドしてきたわけですが、ユース制度の導入はいわゆる「野球留学」「野球特待生」の問題の解決となる可能性もあります。  故・野村克也氏は著書『高校野球論』のなかで、高校時代に家庭が困窮しており、高校に進学するのがやっとだったことを語っています。

     いまの時代、私のような中学生は少なくなったかもしれない。しかし、才能がありながら経済的な理由で進学できなかったり、希望する学校に行けない生徒はいるはずだ。まして野球は想像以上に金のかかるスポーツである。私など、軟式用のグラブやバットすら買うお金がなかったので、卒業していく先輩のお下がりをもらったものだ。  そうした環境に恵まれない生徒を援助する制度がどうして後ろ指を指されなければならないのか[1]。

     高校野球の「特待生」という手法が「貧しいけれども野球の実力がある生徒のバックアップ」を目指していたかは疑問ですが、結果的にそういった意義はあったと考えられます。  これまでプロ野球チームが「高校生年代の育成」という側面において高校野球にフリーライドしてきたこと、また高校野球においては、学校制度を裏側からハックするゲームズマンシップ的なやり方で選手の育成を行なってきたことは確かです。そうしてエリート高校球児たちは歪んだエリート意識を持ち、それゆえに野球部以外の生徒から野球が嫌われる、という事態を招いてきたわけです。  しかし、ユース制度を作れば堂々と、プロは高校野球にフリーライドせず、自分たちの責任のもとに選手の育成を行うことができるようになります。そして高校生年代の選手たちは、何も後ろ指を指されることなくプロを目指すことができます。  現時点では、NPB・独立リーグ問わず、プロ野球チームは次第に「育成」へと進出し始めています。NPB12球団は小学生年代のジュニアチームで戦う「NPB12球団ジュニアトーナメント」を2005年から毎年開催し、12球団ジュニアの経験者からは松井裕樹(楽天)や森友哉(西武)などのスター選手も出ており、現在も毎年何人もプロ入りしています。  中学以上のカテゴリーでは楽天が、中学生の硬式野球チーム「東北楽天リトルシニア」を持っており[2]、関西独立リーグの兵庫ブルーサンダースは芦屋学園と提携して独自の高野連に所属しない高校野球チームを持っています。  NPB球団がいまだユースチームを持っていないのはアマチュアからの反発を恐れているからだと考えられます。しかし、ここまで述べてきたように、NPB球団がユースチームを持つことによって、日本の野球文化自体が、これまでのインフォーマルなやり方に頼らずに、社会と調和しながらポジティブな形で発展していけるはずです。
    野球は「社会に役立つ」ものであるべきか
     「頂上」の問題は、ユースの導入によりだいぶ見通しが開けてくるわけですが、野球文化全体で見たとき、「裾野」も重要です。こうした視点は、近年、野球界の改革論を数多くメディア上で述べている桑田真澄氏の論にも見られる視点です。桑田氏は、「野球道を通じて社会に役立つ人間を育成」することを主張しています。つまり、野球をやっていてたとえプロ野球選手になれなかったとしても、野球で培われた経験をもとに社会に役立つ人間になってほしい、という願いがそこには込められています。そして、ここでいう社会に役立つ人材というのは、基本的には資本主義社会に貢献し、売上を上げるビジネスマンになるということが想定されてます。  しかしこの野球観は、すでに述べたように「スポーツによって人間形成が行われる」という非常に問題の多いテーゼを内面化してしまっています。  そもそもスポーツというものの語源が「気晴らし」であることからも明らかなように、何か外側の「社会」に役立つ必要は、実はまったくないはずなのです。  また、たとえ直接的に社会の役に立たなくとも、『もしドラ』のように野球を通じた「感動の創造」に寄与できればよいという考え方もあるかもしれません。しかし、「コンテンツによって感動を届ける」というのもまた転倒した論理です。こういった考え方に関して、ロックバンドGRAPEVINE(グレイプバイン)の田中和将氏が、エッセイにこんなことを書いていました。

     幼少期の私の家庭事情は複雑で、かなりの社会的弱者と言ってよい環境で育った。物心がつき、少しは人並みに暮らせるようになった少年期に音楽に出逢ったが、前述のような「勇気を与えたい」という作為を少しでも感じさせるもの、ましてやそれを口に出してまで主張するものには全く心が動かなかった。音楽は、いや音楽に限らず全ての作品やパフォーマンスは、受け取る側が自らの解釈で咀嚼して初めて「勇気」や「元気」に変換されるものだと考えている。その意味では私も音楽に救われた人間の一人であるが、「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」という、烏滸がましく傲慢な動機でものを作ることを今も自分に禁じている。 (中略)  私は自分の作るものが芸術だとも娯楽だとも、人の役に立つとも思っていない。あるとすれば、私以外の手が入って、バンドの何かが作用して、聴き手の何かが作用して、やっと有意義なものが産まれるかもしれないという期待である。私と似たような者の居場所が生まれるかもしれないと[3]。

     野球に関しても、これと同じ感覚でよいのではないでしょうか。何より自分たちの「楽しさ」を最大化すること、それがもしかしたら「自分たちの成長」や「他者の感動」を促すかもしれませんが、それを目的として掲げてしまった瞬間に、大事な何かが失われてしまうように思うのです。
    ライフスタイルスポーツとしての野球
     自分の話になりますが、私は高校・大学と野球を続け、大学4年秋のリーグ戦が終わる頃には、「もう二度と野球はいいかな」という気持ちになっていました。しかしそれから、この連載を書き始めたこともきっかけになって社会人の軟式野球、つまり「草野球」を始めてみたところ、改めてこのスポーツの魅力を感じるようになったのです。  「草野球」という言葉からは、真面目にやっていない、エラーばかりのしまらない試合をしているのかと思っていたのですが、全然そんなことはありません。経験者も初心者も共存でき、足りない部分は補い合い、相手の素晴らしいプレーには拍手を送るという、まさに野球の「楽しさ」を存分に引き出そうとする姿勢がありました。  草野球は、青年男性ばかりでなく、女性もご高齢の方も、老若男女関係なく参加しています。そもそも野球は体力もそこまで必要なく、運動強度としてはゴルフよりは高く、サッカーやバスケットボールほどではない、ぐらいのものです。「きつい」よりは「楽しい」が多く、打ったり投げたりでプレーの激しさはそれなりにありますがボディコンタクトがないのでケガの危険性が低いという、ライフスタイルスポーツ(生涯スポーツ)としては極めて「ちょうどいい」ものなのです。元ロッテのエースだった村田兆治さんが、60歳を過ぎても始球式で時速130km/hを超えるスピードボールを投げ続けていることで話題になっていましたが、他にも元気にプレーしているご高齢の方は実はとても多くいらっしゃいます。また、学生野球の経験者に関しては、野球の技量だけでなく、コーチングやチーム運営、雰囲気づくりなど、これまで自分たちが野球部で経験してきた「楽しくなさ」を反面教師にして、良い方向に活かすこともできます。  しかしあるとき、はたと気づきました。自分がこれまで学生野球で出会ってきた野球仲間はおそらく数百人に上るはずですが、見渡すと大人になっても野球を続けている人がほとんどいないのです。学生時代の仲間を「草野球」に誘っても、「野球は、もういいかな」「草野球って真剣勝負じゃないでしょ」「それよりも今はゴルフにハマってるんだよ」という雰囲気が出ています。たしかに私自身も「草野球」を始める前はそう思っていました。
     この背景には、日本には「野球は若いときにするもの」という価値観が強くあるのではないでしょうか。そして、その観念の形成には「甲子園」が強く影響していると考えられます。
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  • 高校野球は「教育の一環」であり続けるべきか|中野慧

    2021-06-23 07:00  
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第‌9回‌「‌高校野球は『教育の一環』であり続けるべきか」です。‌ 高校野球を「教育の一環」として捉えるのは、果たしてどの程度妥当なものなのでしょうか。トーナメントで争われる公式試合や部活動という構造に潜む課題、そのオルタナティブについて考察します。
    中野慧 文化系のための野球入門第9回 高校野球は「教育の一環」であり続けるべきか
    高校野球における大会の仕組み
     前回私は、「子供たち自身での大会運営」「全国大会にこだわる必要はない」という二つを述べました。一方、近年の様々な野球改革論において、「高校野球では一戦必勝のトーナメントだから勝利至上主義に陥ってしまう」「リーグ戦の導入を」ということがしばしば言われるようになってきています。  高校野球においては1年間に秋、春、夏の3つの大会が行われています。大まかなスケジュールとしては、7月に夏の甲子園出場を争う都道府県予選が行われ、8月の夏休み期間に夏の甲子園が行われます。しかし7月の都道府県予選で敗退したチームは、その時点で最上級生である高校三年生が引退し、その時点で高校二年生が中心となる「新チーム」に移行します。そして8月の下旬から、各都道府県では秋の大会が行われます。この大会で上位に進出すると、近県の代表校が集まる地区大会(関東大会、四国大会などの形式で行われる)に進むことができ、そこで優勝すると東京で11月に行われる全国大会「明治神宮野球大会」に出場することができます。そう、実は、あまりマスメディアでは取り上げられませんが、高校野球の全国大会は毎年秋に東京でも行われているのです。  さて、前述の地区大会で好成績を残すと、3月に行われる選抜高校野球(春の甲子園)に出場できます。選抜の場合は「21世紀枠」というものがあり、都道府県大会にベスト32またはベスト16以上に進出していて、文武両道を推進していたり、野球部が積極的に地域でのボランティア活動などに参加していたり、公立校のため練習場所や時間が十分に確保できない、災害被災地であるといったハンディキャップを工夫して克服していたりするとこの枠に選ばれ、選抜高校野球への出場切符を手にすることも可能です。  また、あまり一般に知られていることではないかもしれませんが、春の地方大会というものもあります。ここでは都道府県大会を勝ち抜くとやはり地区大会が行われ、この大会での成績をもとに、夏の都道府県予選でのシードが決定されます。要するに、春の大会は高校野球の華である「夏」の大会のシード権争い、という性格が強いわけです。  なお、秋と春の大会では、都道府県によってはリーグ戦が導入されているところもあります。たとえば神奈川県と愛知県では、県大会の前に「ブロック予選」というかたちで、近隣の高校で集まってリーグ戦が行われています。
    トーナメントは教育に良くない?
     トーナメント形式の負の側面というと、「一戦必勝のため、勝利至上主義が蔓延し、チャレンジングなプレーができない」「勝ち進むほど連戦が続くため、選手の疲労、怪我のリスク、連投問題などが出てくる」といったことが言われます。  しかし私が本当に問題だと考えるのは、「機会」の問題です。秋・春・夏の大会がすべてトーナメントだった場合、どれも1回戦で敗退したチームは、1年で3試合しか公式戦を経験できないのです。  私が長年、野球をやってきて感じたのは、「公式戦などの真剣勝負の場を経験すればするほど、上手くなるチャンスが増える」ということです。しかしトーナメント制では、強いチームはたくさんの真剣勝負を経験できる一方で、弱いチームは強くなる機会すら得られないことになります。  高校野球漫画などで、よく「相手校同士でのライバル関係」などが描かれますが、それはあくまでもごく一部のトップレベルの人たちの話であり、大半の「裾野」のレベルでは、チーム同士での交流などほぼ皆無です。公式戦でも練習試合でもほとんど一度きりの対戦のため、違うチームの選手同士で人的交流が行われる、ということはほとんどありません。  ではどのようなリーグ戦を行えばいいかというと、やはり近隣のチームを6〜8チームほど集めて毎週リーグ戦を行うのがよいでしょう。遠方に対戦に行く交通費も必要なくなり、費用を圧縮できます。また、会場はスタジアムではなく、各学校で試合を開催可能なグラウンドにて開催します。グラウンドの手配やスケジューリングなども生徒たち自身の手で行うわけです。近隣の高校同士で試合を行うことにより人的交流も生まれていくはずです。  前回述べたように、高校野球では一発勝負を勝ち抜くために、「偵察」「県外遠征」といった「ブルシット・ジョブ」が生まれていますが、リーグ戦であれば対戦相手がほぼ決まっているため、偵察も「県内のできるだけ多くの学校をマークしよう」という発想にはならず、対戦相手の偵察のみにとどめることができます。  私の経験で言うと、高校野球の最後の大会に負けた時にはやはり高校球児らしく泣いてしまいましたが、そのあと夏休みに入りすぐに大学受験の勉強をしなければならないのにもかかわらず、数週間は「負けたこと」の感傷に浸ってしまい、勉強が手につきませんでした。  その後、大学野球に入ってリーグ戦を本格的に戦ってみて初めて思ったのは、「負けて浸っている暇はない」ということでした。大事な一戦を落としてしまっても、翌週には否応なく次の試合が待っているため、チーム全体で気持ちを切り替えなくてはいけません。「負けたから次はない」のではなく、「負けても否応なく次の試合はやってくる」のです。ちょっと大げさかもしれませんが、その時に感じたのは「リーグ戦は人生と同じ」で、「Life Goes On」なのです。むしろトーナメント制のほうが極度に単純化された体験であり、教育に良くないとすら言ってもいいのかもしれません。  高校野球がもし本当に「教育の一環」を目指すのであれば、「人生と同じ」であるリーグ戦をやはりやるべき、ということになります。
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  • 高校野球は「自分で掴み取る」ものではなく「させてあげる」もの? 食トレ・偵察・県外遠征の諸相|中野慧

    2021-06-09 07:00  
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第‌8回‌「‌高校野球は『自分で掴み取る』ものではなく『させてあげる』もの? 食トレ・偵察・県外遠征の諸相」です。‌ 全国大会規模の施設運営を典型例として、高校野球児の活動には年長者の介入を前提としている部分が存在します。本来「自立」を促すものであったはずのスポーツにおいて、現在の日本高校野球界にはどのような課題が潜んでいるのでしょうか?
    中野慧 文化系のための野球入門第8回 高校野球は「自分で掴み取る」ものではなく「させてあげる」もの? 食トレ・偵察・県外遠征の諸相
    高校野球は「させてあげる」もの⁉︎
     2020年は新型コロナウイルスの流行により、高校野球の春と夏の甲子園は中止となりました。この高校野球中止にまつわる報道の中で興味深かったのは、「させてあげたかった」「やらせてあげたかった」という表現が頻出したことです。こういった表現が当たり前のものとして看過されていることに、今の高校野球の問題が凝縮されています。  スポーツはもともと、「気晴らし」が語源です。近代になって人々は身分的・経済的制約から解放され、余暇時間を自由に使えるようになってはじめて概念化された文化であり、ある種の「特権」だとすらいえます。そして「気晴らし」「余暇」「特権」なのならば、その時間を楽しむためには、集まる人間たちが主体的に関与する必要があります。  翻って現代の高校野球に関わる人間たちは、子どもから大人まで、そのことをすっかり忘れ、「させてあげる」「やらせてあげる」という奇妙な観念に染まってしまっているのです。  たとえば、高校野球の夏の大会は都道府県大会から、プロ野球チームの本拠地や地方球場など、観客席やスコアボード、記者席・放送席のある立派な球場でプレーすることができます。 私は神奈川県の高校でプレーしましたが、普通は秋と春のブロック予選では高校のグラウンドを使用し、ブロック予選を勝ち抜いて県大会に出るとようやく球場で試合できます。しかし、夏の大会はすべてのチームが、立派な球場でプレーすることができるのです。  こういった球場を借りて試合すること自体、実は大変な労力がかかります。しかし夏の大会ではそういったことは都道府県の高野連がやってくれており、審判の手配もしてくれます。球場管理者や審判なども、みなが「高校野球だから」と好意的に協力してくれるわけです。  しかし、たとえば大学野球になると、大学野球は基本的に学生主導で、スケジューリングや球場の予約も行います。大人の「草野球」もそうで、グラウンドの抽選に参加し、対戦相手を募り、大会を自分たちで主催・運営することもあります。本当は、そういった裏方仕事も「スポーツ」を構成する大事な要素です。  なかなかうまく試合が組めないなかで、同じリーグのチームの主務と相談しながら、なんとか開催に漕ぎ着ける、そこで試合をする。試合が終わって、勝った負けたは決まるけれども、そういう過程を経ると、試合をしてくれた相手は「敵」ではなく「仲間」になります。また、球場の管理者、球場の手配をしてくれた人、審判をやってくれた方たちとのコミュニケーションも重要です。そういった「ささえる」側の人たちなくして、スポーツというものは成り立たないからです。  こういうことはある種、当たり前のことではあるのですが、「させてあげる」「やらせてあげる」という言葉がまかりとおり高校野球文化は、残念ながら、そういったスポーツを成立させる大切な要素を、本来主体であるべき「高校球児」たちに見えなくさせてしまっているのです。  今回のコロナ騒動は、社会をさまざまな方向に揺るがしました。高校野球は全国大会開催となると全国的な人の流通が不可避になるため、2020年春夏の甲子園の通常通りの開催は見送られ、夏の大会は各都道府県単位での自主開催となりました。もし「自主」開催なのであれば、これを機に大人たちに頼るのではなく、「高校生たち自身でできる大会の開催」を検討してもよかったはずです。  こういうことを述べると、「高校生自身で運営はまだ早いのでは」という反論もありますが、多くの高校では学校文化祭はできるかぎり生徒たちの自主運営がなされているはずです。また、全国レベルの取り組みでも、文化部の全国大会として「全国高等学校総合文化祭(総文)」というものがありますが、こちらは「生徒実行委員会」というものがあって、生徒たちの手で運営されています。  しかしスポーツは、特に高校野球は、なぜか「大人が大変なこともやってあげるのが当たり前」になってしまっています。よく知られているように、学生たちの野球文化を規定する「学生野球憲章」では「学生野球は、教育の一環であり、平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成を目的とする」と謳われているにもかかわらず、です。  そもそも日本では高校生スポーツの全国大会はごく普通に行われていますが、アメリカでは行われていません。もちろん国土が広いということもありますが、「そもそも“たかが高校生”に全国大会は不要だから」という、教育的な理由からです。私たちは「高校生にとって、果たして全国大会などという贅沢なものはそもそも必要なのか?」という視点も持っておく必要があるでしょう。
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  • なぜ「甲子園の土」はメルカリに出品されたのか? “野球留学”とあきらめの構造|中野慧

    2021-05-10 07:00  
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第‌7回‌「‌なぜ『甲子園の土』はメルカリに出品されたのか? “野球留学”とあきらめの構造」です。‌ コロナ禍に「甲子園の土」がメルカリに出品されていることが非難されましたが、それは「高校球児は甲子園に向かって一心不乱に努力するもの」というイメージあってのことでした。しかし、実際に甲子園を視野に入れたうえで高校野球に取り組めるのは、幼少期から硬式球に触れるなどして本格的なトレーニングを積んできた一部の選手であることがほとんどです。あくまでも「部活動」の一環として野球をプレイする大多数の高校球児と、甲子園を視野に入れ、時には私立高校の宣伝戦略にも利用される「野球エリート」との違い、その問題点を浮き彫りにしていきます。
    中野慧 文化系のための野球入門第7回 なぜ『甲子園の土』はメルカリに出品されたのか? “野球留学”とあきらめの構造
    全国の高校球児に配られた「甲子園の土」が、次々にメルカリに出品
     2020年夏の甲子園がコロナ禍のため中止となったことは、多くの人の記憶に新しいかと思いますが、そんななかで世間を(少しだけ)賑わせたとある事件が起こっていました。  甲子園球場とそこを本拠とする阪神タイガースが、「コロナ禍で甲子園の夢を絶たれた球児たちを励ましたい!」ということで、全国の高校野球部の3年生に「甲子園の土」が入ったキーホルダーを贈ったところ、それがフリーマーケットアプリ「メルカリ」に次々に出品されていたのです。  甲子園の土といえば、甲子園で負けた球児たちが泣きながら土を集めて郷里に持ち帰るという、甲子園の「儀礼アイテム」のひとつです。それだけ「ありがたい」はずの甲子園の土を贈ってあげたのに、次々にメルカリに出品されていた……メディア上では「高校球児のモラルが低下している」といったふうに論じられました。  しかしこの事件は、「モラル低下」などと単純に片付けられる問題ではないと私は考えています。  少し遠回りになりますが、前回私は、「多くの高校球児は甲子園出場は全く目標としていなかった」と述べました。「いや、努力すればなんとかなるだろう! というか、そういう気持ちで臨むのが高校野球じゃないのか!」と思われる方もいるかもしれません。  しかし現実的には、高校段階で突然、甲子園を目指しても遅いのです。これは高校野球経験者なら誰でも知っていることです。たとえば『ROOKIES』は、漫画版ではほとんど素人ばかりのチームが甲子園に出場する姿を感動的に描いていましたが、2008年のドラマ版では登場人物たちに多少なりとも野球経験があることが描かれています。これは、「まったくの素人の状態から甲子園出場を勝ち取るのは不可能」という現実を踏まえての設定変更だと考えられます。  現在の甲子園という場所は、幼少期からエリート教育を受けていなければ、ほとんど出場などできないものになっています。私のような中学から、しかも中学校の部活動で軟式野球から始めた人間と、すでに幼少期からエリート教育を受けている選手たちとのあいだでは、高校入学時点で絶望的なまでの差が開いています。  その構造を私が知ったのは、やはり中学頃でしょうか。1998年夏の甲子園を制した横浜高校の選手たちは、ほとんどが中学時代には中学での部活動をやっておらず、「ボーイズリーグ」「リトルシニア」という、硬式球を使うクラブチームに所属していました。このような構造は2021年現在も続いています。  そもそも中学校の野球部は、野球という競技における正式なボールである硬式球ではなく、軟式球を用いています。硬式球は牛革とコルクでできていて、石のように硬く重く危険で、しかも高価でかつ壊れやすいため、ボール代もかさみます。また、使用できるグラウンドも限られており、たとえば日本の小学校や中学校の一般的なグラウンドでは使用できません。  一方で、軟式球は実は日本独自の規格で、野球の盛んな北米・中南米では使われておらず、日本以外ではアジアのごく一部で使われているのみです。日本の中学校で軟式野球が採用されている理由は、硬式球に比べて安全性が高い(たとえ頭部にデッドボールを受けても重篤な怪我には至らない)というのと、耐久性が高いためボール代が硬式ほどかさまず、比較的安価に活動を行える、硬式と違って使用できる場所にもあまり制限がない、ということが挙げられます。  しかし、日本でも小学生年代では「ボーイズリーグ」「リトルリーグ」などの硬式球でプレーする組織があります。野球に熱心な保護者たちは「野球で身を立てるのであれば早いうちから硬式球に慣れておいたほうがいい」という理由から、子供たちをこういったクラブチームに入れます。そしてボーイズやリトルで育った子どもたちは、中学入学後には中学校の野球部には入らず硬式球のクラブチーム(ボーイズ、リトルシニア、ヤングなどさまざまな名称があります)で、野球を続けます。そこで活躍することで、強豪私立高校の野球部への推薦を勝ち取っていく、という構造が主流になっているわけです。  実際に、現在のプロ野球選手の2/3が中学時代にすでに硬式野球を経験しており、特に野球に熱心な保護者たちのあいだでは「野球で活躍するためには早い段階で硬式野球を経験しておいたほうがいい」ということが定説になっています。
    甲子園出場のためには幼少期からの早期教育が必要
     「甲子園に出たい」人たちは、あらかじめ小学生、中学生の段階で、甲子園に出るための適切な環境を選び、そして強豪の高校へと入学していきます。強豪校は専用球場を持っていたり、室内練習場やトレーニングジム、寮などを備えており、授業も午前で終わって午後からは体育の授業なども兼ねて練習できるなど、時間的なメリットもあります。  一方、非強豪校は他の部活とグラウンドを共有したり、練習時間は授業が終わった後の下校時刻までの2~3時間程度だったりします。  つまり、もともと持って生まれた身体能力の差や、それまでの野球経験の差などもあるなかで、環境面、時間面でも、普通の高校と野球強豪校との差は非常に大きいため、「工夫次第でなんとかなる」と考えるのは大変難しいわけです。  逆に言えば「甲子園出場」を勝ち取るためには、保護者の側に、子どもを早期に野球に専念させる環境づくりが求められるようになっているのです。そのため、保護者たちのあいだでは「どこどこのチームの指導者が良い」といった情報が飛び交い、さながら「情報戦」の様相を呈していたりします。  ライターの軍司貞則氏は、著書『高校野球「裏」ビジネス』(ちくま新書、2008年)の中で、こうした構造を指して「今の高校野球は中学受験のようなシステムになっている」と指摘しています。  教育評論家のおおたとしまさ氏は、著書『ルポ塾歴社会』(幻冬舎新書)のなかで、東大というのは簡単に目指せるものではなく、首都圏中高一貫校に入り、そこから東大進学専門塾である「鉄緑会」という塾に子供を通わせて早期教育するなど、幼少期から子供にエクストラな教育投資を繰り返し行うことによってようやく実現される、ということを指摘しています。  野球エリートの育成というのは「多大な教育投資が必要である」という意味で、都市部の「お受験」と似た構図でもあるわけです。こうした「お受験」の世界で「開成・麻布や灘などの名門校を経て東大に」ということがエリートコースとされるのと同様に、高校野球では「大阪桐蔭、帝京、横浜を経てプロ入り」というような高校野球独特のエリートコースがあります。  だからこそ、特に何の特殊な環境も、教育投資もされていない普通の高校野球部員が「甲子園を目指す」というのは、もはや非現実的なものになりつつあります。
    硬式野球か、軟式野球か
     すでに述べたように、日本の野球文化には、大まかに言って「硬式球」「軟式球」の二種類があります。「本場」であるアメリカでは野球といえば硬式球を使うことを指していますし、我々がイメージする「高校野球」は硬式、大学・社会人のトップレベルも硬式です[1]。  だからこそ「野球の早期教育」に熱心な親たちの間では「甲子園に出たり、プロ野球選手になるためには、早い段階で硬式野球を経験していたほうがよい」ということが通説のようになっているわけです。
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  • 『もしドラ』のヒットから見えてきた、日本社会の“転倒”した高校野球観|中野慧

    2021-04-01 07:00  
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    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第6回「『もしドラ』のヒットから見えてきた、日本社会の“転倒”した高校野球観」。なぜ高校野球には「感動」が求められるのか。『もしドラ』のヒットに象徴されるこの倒錯した野球観の背景には、ゼロ年代以降の保守反動思想の隆盛、感動を呼び起こす装置としての独特な「儀礼」が存在すると指摘します。
    中野慧 文化系のための野球入門第6回 『もしドラ』のヒットから見えてきた、日本社会の“転倒”した高校野球観
    『戦争論』『ドラゴン桜』で描かれた「アイロニカルな保守主義」
     前回、2000年代の高校野球ブームの背景には、実際の高校野球や高校球児が「爽やか」であるかどうかはどうでもよく、「嘘だとわかっていても」「あえて」そこに没入してみせる「アイロニカルな没入」という消費様式がある、ということを述べました。
     では、なぜ00年代、高校野球への「アイロニカルな没入」が起こったのでしょうか。  松坂大輔率いる横浜高校が様々なドラマを乗り越えて全国制覇を成し遂げたまさに1998年の夏、日本の文化空間でエポックメイキングな現象が起こっていました。  そう、漫画家・小林よしのり氏が時評漫画『ゴーマニズム宣言』のスペシャル版である『新ゴーマニズム宣言Special 戦争論』で、第二次世界大戦時の日本の戦争、つまり「大東亜戦争」肯定論を展開し、大論争となったのです。  それまでの日本社会では「先の大戦で日本が犯した侵略戦争を肯定するなんてありえない」──つまり、思想用語で言うところの「戦後民主主義」が非常に強い影響力を持っていました。しかし、小林氏の著作はその風潮に風穴を空けたわけです。それまでタブーだった「先の大戦で日本は良いこともした」「正義の戦争でもあった」といった言説が、やがて「言ってもいいこと」になっていきました。  なぜ突然、そんな政治的・思想的な話題が出てくるんだ!? と思われるかもしれません。しかし、後に詳しく述べるように、日本における野球の普及と定着を分析する上で「戦前日本のイデオロギー」、そして「戦後民主主義」について理解することは極めて重要であると私は考えています。  そして「戦後民主主義」というものは、一義的な定義は難しいですが、基本的には戦後に制定された日本国憲法の精神に則ったものといえるでしょう。改めておさらいすると、日本国憲法の三大原理は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」です。そして、この日本国憲法に基づいて制定され、戦後民主主義のもうひとつの柱となった法律が「教育基本法」です。そして戦後民主主義に挑戦するというのはすなわち、「日本国憲法」「教育基本法」に謳われている「人権思想」などの価値観に挑戦するということでもあるわけです。現在、この『戦争論』がきっかけとなって、いわゆる「ネット右翼」が生まれたとされています。  そして6年後の2004年、あるひとつの漫画がこちらも社会現象といえるほどの大ヒットとなりました。それが、東大合格を目指す受験漫画『ドラゴン桜』(2003〜2007年)です。  『ドラゴン桜』は、それまで日本社会を覆っていた「戦後民主主義教育」を痛烈に批判した点が特徴的でした。戦後民主主義的な教育観の現れのひとつとして「人間を学歴で差別するのは非人間的だ。学歴なんかよりも大事なこと、教育が実現すべき価値がある」という言説があることは、広く理解されていることと思います。  しかしドラゴン桜の主人公・桜木は「そんなのは綺麗事だ。実際に日本社会には厳然として学歴差別があるのだから、そのゲームシステムを上手く活用して成り上がっていくべきだ」ということを説いていくわけです。  ちょうど『ドラゴン桜』の前年に、SMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットし、「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」という歌詞が多くの人を捉えていました。「世界に一つだけの花」は、まさに戦後民主主義の価値観を最大限に表現したものなわけですが、『ドラゴン桜』の桜木は、「オンリーワンなど幻想だ」「バカとブスは東大に行け!」と、戦後民主主義的な価値観に対する強烈なアンチテーゼを打ち出し、それが社会的な支持を得ていったわけです。  『戦争論』『ドラゴン桜』ともに、「戦後民主主義への挑戦」という要素を持った、新しい保守主義の立ち上がりが、ブームを後押ししていたと考えられます。  そんな世相のなかで、明らかに「前時代的」「保守的」「軍国主義的」なものの象徴のひとつであった高校野球が、「アイロニカルな没入」の対象となり、人気と求心力を高めていった──というのが私の見立てです。  『ドラゴン桜』の作者・三田紀房自身は、以前から『クロカン』(1996〜2002年)、『甲子園へ行こう!』(1999年~2004年)など、高校野球をテーマにした作品を発表し続けていました。そんな三田の高校野球漫画の総決算となったのが、『ドラゴン桜』の少し後、2010年から2015年にかけて「週刊ヤングマガジン」で連載された『砂の栄冠』でした。  同作は、透徹したリアリストである主人公の高校球児が、表面的には「爽やかな理想の高校球児」を演じつつ、裏側であらゆるダーティーな手段を講じて、デスゲームとしての高校野球をサバイバルしていく姿を描いたものでした。そう、『砂の栄冠』はまさに、『ドラゴン桜』的な社会観をベースに高校野球を表現した作品となっていたのです。
    スポーツマンシップよりも“ゲームズマンシップ”がつねに優先される高校野球
     毎年、高校野球に関するさまざまな論評が発表されていますが、00年代以降は特に、「反リベラル」な価値観を臆面もなく肯定するようになっていきました。  たとえば野球界の感覚を知らない方からすれば驚くべきことだと思いますが、高校野球を含むアマチュア野球の世界では、しばしば「体罰の是非」が論争になっています。そもそも体罰というのは、教育基本法と同時期に制定された学校教育法で明確に禁止されているものであり、本来は「是非の議論」など成り立ち得ないものです。にもかかわらず、野球界だけでなぜか「体罰にも良いところはある」という議論が、大手を振って主張されている状況があります。
    【4/8(木)まで】特別電子書籍+オンライン講義全3回つき先行販売中!ドラマ評論家・成馬零一 最新刊『テレビドラマクロニクル 1990→2020』バブルの夢に浮かれた1990年からコロナ禍に揺れる2020年まで、480ページの大ボリュームで贈る、現代テレビドラマ批評の決定版。[カバーモデル:のん]詳細はこちらから。
     
  • 「ファッション」から考える高校野球文化の現在|中野慧

    2021-03-04 07:00  
    550pt

    本日お届けするのは、ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第5回です。前回に引き続き、「ファッション」の視点から高校野球を分析していきます。校則では許可されていても坊主以外の髪型にできなかったり、ルール上認められていても試合中にサングラスをかけるのを憚ったり、さまざまな同調圧力が部員たちの「ファッション」を規定しているようです。そのような「高校球児はかくあるべし」という思い込みと、高校野球の「鑑賞態度」とのかかわりについて、社会学の見地から分析します。
    中野慧 文化系のための野球入門第5回 「ファッション」から考える高校野球文化の現在
    高校野球の厳しいファッション規制
     高校野球のファッションにまつわる問題は、実はまだまだあります。たとえば高野連が高校球児の試合中の服装やユニフォームについて厳しく規制しているのを、読者のみなさんはご存知でしょうか?  たとえば、以下のような規定があります。(高野連の「高校野球用具の使用制限」を参照[1])
    グローブ・ミットのカラーはブラウン系、オレンジ系、ブラックのみ。
    バッティンググローブは黒か白の一色のみ。二色使いや、黒白以外の色が入っていてはならない。
    スパイクは黒のみ(ただしスパイクの色に関しては2020年度から、猛暑対策として白一色も使用可能になった[2])
    ベルトは黒または紺のみ(つまり、たとえば赤を基調としたユニフォームであったとしてもベルトのみ黒か紺を使わなければいけない)
    アンダーソックスは白色のみとする。
    ユニフォームのデザインは、上と下の色が違うツートンカラーのデザインは採用できない。
    ユニフォームの下(ズボン部分)は、ストッキングを見せなければならない(つまりロングタイプやルーズタイプのユニフォームは認められていない)
     ここで紹介したのはごく一部で、これ以外にも非常に細かな制限があります。基本的にこれらの規定は「高校生らしくない華美に流れること」「野球用具メーカーの宣伝に高校球児たちのプレーが利用されないこと」などを防止することを意図していると考えられます。
     実はこういった用具規制には非常に問題があると私は考えています。これらの用具は、「高校野球用具」としてスポーツメーカーが専用のものを開発しているわけですが、他のカテゴリにはこのような規定がないため、たとえば中学生が高校に上がるとき、それまで使っていた用具が使えなくなるということが起こります。  また、もし高校野球を終えて別のカテゴリ(大学・社会人野球や草野球等)に移ろうというとき、多くの選手は、高校野球の厳しい規定を守らなくてもよくなったことで、よりファッション性の高いアイテムを買うようになります。実際に私は、高校野球時代に使っていた用具は現在まったく使っていません。  つまり、高校野球時代に購入する用具は、実質的に「高校野球のときにしか使わないもの」になってしまうのです。これは明らかに社会的資源の無駄遣いです。スポーツメーカーは「高校野球専用」に用具を開発し、高校球児はそれを買い求めるけれども高校時代にしか使わないのです。  高野連のルールは「華美に流れない」「商業主義の防止」を主眼としているはずですが、厳格にこういったルールを定めることによって、社会的資源を無駄に使っているということは、もっと指摘されるべきことではないかと考えています。
    「高校球児のコスプレ」をすることで「安心」する心理
     以前、本連載で、私が高校野球をやっていた00年代前半がターニングポイントだという話を書きましたが、実際の私はというと、高校一年生の頃はまだ短髪でした。しかし一つ上の先輩や同学年の仲間たちが徐々に坊主にしはじめ、最初は「別に強制されているわけではないし」と抵抗していたものの、冬ぐらいには丸刈りになっていました。そうすると、不思議なことに急速に安心するのです。「これでもう周りから何かを言われる心配はない」、と。  その後、恐るべきことに僕自身は、まだ坊主にしていない人々に「早く坊主にすれば?」とプレッシャーをかける側に回ってしまいました。同調圧力をかける側になってしまったのです。  批評家の宇野常寛氏が著書『遅いインターネット』(幻冬舎)のなかで言うように、「目立っている誰かに石を投げ、自分は多数派の側なのだと言って安心する」という、まさに今のSNSで問題になっているような人間になってしまったのです。  私は今でこそ「坊主廃止」などと言っていますが、自分が高校球児のときは、髪を伸ばしたりする勇気がなかったのです。  当時、週刊少年ジャンプで『ROOKIES』(1998~2003)という漫画が連載されていました。二子玉川学園、「ニコガク」といわれる高校に通う元ヤンキーたちが、とんでもなく「熱い」教師に感化され、野球を通して立ち直っていくというストーリーなのですが、ロン毛もいれば金髪やリーゼント、ドレッドヘアーの人物までいます。私は当時「こんな高校球児はいない! リアルじゃない!」など憤りながら読んでいました。  しかし、今ではその見方は間違っていたと感じます。  ここで、高校球児の髪型について、「坊主でなくても、校則を守って短髪であれば高校生らしくていいはずです」というような優等生的な論を展開することも可能です。でも、あえて言いたいのです。「ドレッドヘアーの高校球児がいてもいいではないか」と。いや、本当にそう思うのです。  『ROOKIES』がドラマ化されて以降、「元不良や野球を諦めた生徒たちをまとめあげて〜」という話が、高校野球の世界ではよく報道されるようになりました。報道には、「リアルROOKIESだ!」といった文言が踊るのですが、写真を見るたびに私はがっかりします。なぜなら、『ROOKIES』のように金髪やリーゼント、ドレッドヘアーの選手はそこにいないからです。  もちろん、校則で髪型が規制されている学校が多数派であるので、ドレッドヘアーの高校球児はなかなか出てきにくいでしょう。しかし、特に髪型に関する校則がないという学校も実は存在しています[3]。そういった学校のなかから、いつかドレッドヘアーの高校球児が出現しないか──。  ただ、注意しておきたいのが、仮にドレッドヘアーにしたとして、野球のプレーがサマになっていなかったら、観客や相手チームからも軽んじられ、ネットでも叩かれてしまうでしょうから、実際にはなかなか勇気が必要です(本当は野球のプレイがサマになっていなくてもドレッドヘアーにしていいと思うのですが、ネットやリアルで叩かれてしまうかと思うと胸が痛みます)。  そういったプレッシャーをはねのける、気骨あるドレッドヘアーの高校球児が現れることを──高校時代に自由な髪型にチャレンジすることができなかった意気地のない私は──陰ながら期待しています。そのときこそは「これはリアルROOKIESだ!」と、心からの喝采を送りたいと思います。
    甲子園ではサングラスをしない横浜高校の選手たち
     かなり変化球な書き方になってしまいましたのでいったん本筋に戻すため、ここで高校野球をめぐる現代のメディア状況を表す事例をひとつ紹介したいと思います。  「プレジデント・オンライン」にて、2017年8月に「"サングラス"を禁止する甲子園の時代錯誤」という記事が掲載されました[4]。  この記事は、タイトルに「"サングラス"を禁止する甲子園」とあり、その前時代性を批判するという内容になっています。もっとも、この記事はタイトルがミスリードになっており、そもそも高校野球においてサングラスは別に禁止されていません。前述の「高校野球用具の使用制限」でも、サングラス使用に関する注意事項の記載はありますが、「サングラスの使用を禁止する」といった規定はありません。  とはいえ、たしかにこの問題は真剣に考える価値があります。
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