編集者・ライターの小池真幸さんが、「界隈」や「業界」にとらわれず、領域を横断して活動する人びとを紹介する連載「横断者たち」。今回は、墓地設計家の関野らんさんに話を伺いました。地縁にもとづく家制度を前提とした伝統的な「弔い」のあり方がそぐわなくなりつつある現代、私たちはいかにして死と向き合えばよいのか。現代のライフスタイルに適合した、オルタナティブなお墓のかたちを考えます。
小池真幸 横断者たち
第6回 お墓を都市の「心の拠り所」にしたい|関野らん
ライフスタイルの変化に伴い、「死」や「弔い」のあり方も移ろう
現代の日本は、暮らしから「死」を遠ざけている社会だと言われる。
自宅で亡くなる在宅死の割合を見ると、戦後すぐは9割近かったのが、徐々に低下。1976年には医療機関における死亡が上回り、平成中期には在宅死を選ぶケースは1割ほどに(参考)。現在はやや在宅死が増えつつあるものの、1割台であることには変わらない。核家族化の進行や地域コミュニティの結びつきの弱体化により、日常生活の中での高齢者とのかかわりが減ったことも相まって、日常生活の中で「死」に直面する機会は少なくなっている。
さらに現実的な問題として、日本人のライフスタイルの変化に伴い、地縁にもとづく家制度を前提とした伝統的な「弔い」のあり方がそぐわなくなっている。葬送問題に詳しいシニア生活文化研究所長・小谷みどりの指摘によると、1980年代以降、高度成長期に地方から都市部に流入してきた人たちが続々と定年退職を迎えて新たにお墓を必要とするようになると、東京のような大都市で墓地不足の問題が顕在化。現在では「継承を前提としない合葬墓がいい」「納骨堂でいい」「お墓はいらない」などお墓に対する意識は多様化しつつあるものの、「核家族化や過疎化などで、無縁墓がこれから増えていくのは明らか」と新たな問題も浮上しているという。
こうして移ろいゆく「死」や「弔い」のあり方に対して、現代にフィットするかたちのオルタナティブを模索する動きも見られる。樹木葬や散骨、土葬など、火葬ではない弔いの実践はその一例だ。国外では、コロンビア大学院建築学部の「Death Lab」のように、「死」の未来を探求する実験的な取り組みもある。
今回インタビューした関野らんさんは、日本で唯一と言われる“墓地設計家”として、「弔い」のあり方を探求している。一級建築士であるが、いわゆる建築業界に閉じることなく、〈横断〉的に活動。「風の丘樹木葬墓地」(東京都八王子市)、「樹木葬墓地 桜の里」(東京都町田市)をはじめとした多様な墓地を設計してきたのに加え、アート領域にも活動を広げ、生と死、弔いをテーマとした作品を制作・出展している。
関野さんは、現代における「死」や「弔い」に対していかなる問題意識を持ち、どのようなオルタナティブを提示しているのだろうか? 彼女が設計した樹木葬墓地を実際に訪れて話をうかがうと、ライフスタイルや都市の問題解決に寄与するという機能面のみならず、伝統的な共同体が解体する現在こそ求められる、「心の拠り所」としての墓地の新たな側面が見えてきた。
日本唯一の墓地設計家がデザインした、墓地とは思えない墓地
取材に向かったのは、JR横浜線・片倉駅。八王子駅の隣で、都心部からは約1時間で着く。ラッシュ時も過ぎて人もまばらな横浜線で、ゆっくりと向かっていく時間が心地よい。
片倉駅に降り立って広がっていたのは、都内とは思いづらい、のどかで穏やかな光景だ。高尾の山々を背景に、住宅地や田畑がまばらに広がっている。改札を出るとすぐ、秋らしい虫の声が鳴り響く、緑豊かな公園を発見。足元にたくさん落ちているドングリに注意を払いながら公園を通り抜けつつ、10分ほどなだからかな丘を登っていくと、目的地である風の丘樹木葬墓地に到着した。
入口の門を抜けると目に入るのは、あたり一面にひらけている、気持ちのいい広場のような場所。左手にはおそらく樹木葬墓地であろう、綺麗に整備された芝生と水場が目に入り、右手奥には一般的な墓石群も見える。平日の昼間ということもあり来訪客は少なく、秋晴れの静寂の中、ルンバにも似た自動芝刈り機だけが、淡々と動き回っていた。自分がどこに来たのか、よくわからなくなってくるが、漂ってくる線香の香りであらためて「墓地に来たのだ」と思い出す。
2021年10月現在(取材時)、毎月十数名ほどが新たに埋葬されているという。全部で3,600区画あり、毎年100区画ほど売れていけばおおよそ33年スパンで循環していくと見込んでいたが、それを上回るペースで売れているそうだ。生前に自身が死後眠る場所として購入するケースも多く、首都圏出身者に限らず、九州出身の人なども購入しているという。「これから増えていくであろう樹木葬というかたちを空間的にどのようにモデル化していくかを丁寧に考えたプロジェクト」と評価され、2019年度のグッドデザイン賞も受賞した。
昨今は、その傍らでアートにも取り組むように。去る2021年7〜8月には、千葉県千葉市の日本庭園「見浜園」で開催された展覧会「生態系へのジャックイン展」に参加。現代における弔いのあり方を模索すべく、「個別性・連続性・全体性 」と題した作品を出展した。鑑賞者が抽象的なデザインの灯籠を手に、大切な人に想いを巡らせながら園内の小道を歩く作品だ。
個別性・連続性・全体性──人間の「生」と「死」とはなにか?
この「個別性・連続性・全体性」というキーワードは、ただ一作品のタイトルというだけでなく、関野さんの活動全体を貫くコンセプトでもある。
「お墓は死と結びつけて捉えられがちですが、その時代時代で、人がどう生きたのかをあらわしている場所でもあります。いわゆる宗教とのかかわりが薄くなりつつある現代日本で、なるべく普遍的に受け入れられる、人間の感覚として自然な形での生と死の捉え方をいかにして体現できるのか。それを模索しながら、墓地を設計してきました。その結果、こう考えるようになったんです。人が生きるということは、それぞれがかけがえのない存在(『個別性』)であると同時に、同時代の人々とのつながりや祖先から受け継がれる時間軸の中に存在するものであり、時間的・空間的『連続性』を持つものでもある。そしてそれが環境と一体となった『全体性』の中にいるということだと。細部のデザインから時間的なレイヤーまで、さまざまな側面でこの『個別性・連続性・全体性』を意識して、墓地を設計しています」
「家ごと」と「みんな一緒」の過渡期──日本における「弔い」の現在地
ただし、関野さんは墓地から特定のシンボルや中心性を完全に排除しようとしているわけではない。そもそも「連続性・全体性」だけでなく「個別性」もキーワードに含まれていることからも読み取れるように、風の丘樹木葬墓地は、ある程度の個別性や中心性が含まれる設計にもなっている。
「お墓に関して、今は本当に過渡期だと思っています。これまであったお墓を継ぐ人がおらず、他のお墓とまとめたり、片付けて『墓じまい』したりするケースが増えている。地方で生まれて東京に出てきた人が、先祖代々のお墓を守ることができないから、東京にお墓を引っ越ししたいという需要もあります。もともとお墓は地縁にもとづいた家制度と一緒に継いでいったものでしたが、今は生まれてから死ぬまで同じ場所に留まり続けることが減っているじゃないですか。だから先祖代々継いでいく形態のお墓は、徐々になくなっていくのではないかと思います。すると、個人や一代限りで入ったり、みんな一緒に入ったりすることが増えていくはずです。ただ、その代が終わったら孫世代より下は手を合わせる場所がない、というのも寂しいですよね。これまでとは違う形態になっても、ご先祖様に手を合わせるためのお墓という場所自体は、ずっと残り続けると思います」
近代的な家制度の衰退と共に、転換を迫られている「先祖代々の墓」というスタイル。とはいえ、親世代を弔いたい気持ちは残るし、「先祖に手を合わせる」営みへの欲望も消えないだろう。だからこそ関野さんは、「家ごと」と「みんな一緒」の中間的な形態の墓地を設計しているのだ。実際、風の丘樹木葬墓地には、二人まで一緒に入れる家族墓地エリアもある。