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第十一章 主体――読み取りのシステム|福嶋亮大(後編)
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第十一章 主体――読み取りのシステム|福嶋亮大(後編)

2024-03-19 07:00
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    6、教師あり学習――ゲーテのビルドゥングスロマン

    もっとも、セルバンテス以降もピカレスクロマンの影響力は持続し、一八世紀のヨーロッパではときに女性のピカロも登場した。デフォーの『モル・フランダース』にせよ、サドの『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』にせよ、その主人公はいわば不良の女性である。特に、悪の快楽に染まったジュリエットは、美徳を象徴する妹ジュスティーヌとは対照的に、ヨーロッパの各地を旅して破壊の限りを尽くす。ジュリエット一行が道中で目の当たりにしたイタリアの火山は、まさにその放埓なエネルギーの象徴であった。

    その反面、ピカレスクロマンの主人公には成長や発展の契機は乏しかった。一人称の視点を備えたピカロは、さまざまな社会環境を遍歴するが、それはしばしば単調でパノラマ的な反復に陥った。場面が劇的に変化しても、主人公はそこをサーフィンするだけで内面的な成長にはつながらない――それはピカレスクロマンだけではなく、クルーソーやガリヴァーのような一八世紀型の主人公全般に当てはまる傾向である。

    この限界を超えるようにして、一八世紀後半以降になるとドイツ語でビルドゥングスロマン(Bildungsroman/「教養小説」や「成長小説」と訳される)と総称されるジャンルが、精神的な「発展」のテーマを浮上させた。人間の隠れたポテンシャルを探り当て、生物のように成長させて自律的な存在に到らせること――それがビルドゥングスロマンの企てである。その中心地のドイツでは、一七世紀のグリンメルスハウゼンの『阿呆物語』をはじめ、一八世紀後半にヴィーラントの『アガトン物語』やノヴァーリスの『青い花』が現れた。なかでも、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(一七九六年)は、ビルドゥングスロマンの標準的形態として評価されてきた。

    ジャンル論的な観点から言えば、ゲーテが『ヴィルヘルム・マイスター』以前に、書簡体小説からの離脱を促したことが重要である。彼の初期のベストセラー『若きウェルテルの悩み』(一七七四年)は、形式的には書簡体小説であるものの、その内容は激情型のウェルテルの一方的な語りによって占拠されており、書簡相手とのコミュニケーションを欠く。ウェルテルは他者の書簡を読む代わりに、たとえ話をたびたび用いて、自らの語りの意味を重層化することを試みる。つまり、彼の手紙はあくまで自己内対話の記録なのである。

    ゆえに『ウェルテル』は「書簡体構造の崩壊」を鮮明にする一人称の告白小説に近づく[25]。書簡体小説の時代の終わりを、これほどはっきり示した作品は他にない。加えて、ウェルテルはピカレスクロマンを導く下層のアウトサイダーでもなかった――ルカーチが言うように、ウェルテルはむしろ「高貴な情熱」を純粋化した挙句に、社会の法体系と矛盾してしまうのだから[26]。要するに、ゲーテはウェルテルに、それまでの文学形式には収容しきれない人間像を託したと言えるだろう。

    この『ウェルテル』の実験の二〇年後に現れたのが、大作『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』であり、そこで後にビルドゥングスロマンと称される文学形式が開示された。ウェルテルが自己破壊的な情動に囚われたのと違って、ヴィルヘルムはむしろ世界に沿って記憶や経験を組織的に蓄積し、それを自己形成のプログラムとして利用する。コンピュータ・アルゴリズムの比喩を使えば、ビルドゥングスロマンとは「教師あり学習」(supervised learning)のプロセスを再現した文学として理解できる。ヴィルヘルムはまさに世界=教師から学習し、精神を段階的に建設してゆく「教養(ビルドゥング)」の企てに自らを差し向けた。

    もとより、教養とはまばらな知識の集まりではなく、自律性の獲得に向けた組織的で終わりのない知的運動を指す。バフチンによれば、ゲーテにとって、この教養的な人間形成のモデルになったのが、自然環境に含まれる「有機的」な「歴史的時間」であった。「空間のなかに時間を見るゲーテの驚くべき能力」は、生き生きとしたリズムで脈動する自然を捉える[27]。ゲーテ的な人間は、この自然のダイナミックな時間と共鳴するようにして、自らのうちなる生成力を発見する。教養とは死んだ知識の収蔵ではなく、世界に内在する生成力の発見に等しい。

    主人公の自律性の獲得を描くビルドゥングスロマンは、ふつうに見れば「一」の文学である。しかし、主体が世界=教師とペアリングされて成長するという意味では、そこには潜在的な「二」の文学の要素がある。バフチンが言うように、ゲーテはこのペアリングを「見ること」つまり鋭敏な視覚の力によって可能にした。

    7、教養の廃墟からの成長――ブロンテの『嵐が丘』

    それにしても、なぜドイツでビルドゥングスロマンが発達したのか。そこにはドイツ特有の政治状況がある。フランスと違ってドイツには革命がなく、しかも多くの領邦国家が分立していた。ゆえに、ドイツの統合に向けては、精神的な次元での「文化国家」のアイデンティティに訴えるしかなかった。そのとき、未成熟な状態からの成長を描くビルドゥングスロマンは、一つの成熟した精神的=文化的共同体に向かうための格好の道標になった[28]。

    このような政治的動機を潜ませたドイツの文芸を中心にするとき、ビルドゥングスロマンはきわめて男性的なジャンルとして現れてくる。ただ、この見方がジェンダー的な偏向を含むのは明らかだろう。

    そもそも、小説的主体の歴史が男性に還元されないことは、スペインの『セレスティーナ』をはじめ、デフォーやサドらの描いた女性のピカレスクロマンからも分かる。彼女らは社会的規範を出し抜く戦略家であり、モル・フランダースのように、大西洋を渡ることも辞さない旺盛な活動力を備えていた。その一方、リチャードソンやルソーの書簡体小説も、女性の心理という豊饒な鉱脈の発見なしにはあり得なかった(この両者が幼少期から女性との接触の機会が多かったことは興味深い)。近代小説の原史において、女性の関与が不可欠であったことは、改めて思い出されるべきである。

    ビルドゥングスロマンの進化についても、すでにゲーテ以前に女性作家が関わっていた。女性作家による女性を主人公とするビルドゥングスロマンの先例としては、フランスのラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』(一六七八年)やイギリスのイライザ・ヘイウッドの『ベッツイ・ソートレス嬢の物語』(一七五一年)等が挙げられる。その後、アメリカではルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』(一八六八年)からマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』(一九三六年)まで、広義のビルドゥングスロマンに数え入れられる小説が、商業的にも大きな成功を収めた。

    ただ、私はここであえて、女性作家の書いた変則的なビルドゥングスロマンを、特異な事例として導入しておきたい。それはエミリ・ブロンテの『嵐が丘』(一八四七年)である。

    周知のように、この小説はもはやふつうの意味でのビルドゥングスロマンの可能性が崩壊した、荒涼とした丘陵と渓谷を舞台にしている。孤児ヒースクリフの形象はアイルランド大飢饉の惨禍に通じるが(第五章参照)、この亡霊的なヒースクリフ自身も、同じ魂をもつ死んだ恋人キャサリン・アーンショウの亡霊に憑かれる。ヒースクリフの狂気は、望まない結婚を経て死に到った不幸な女性の狂気と重なりあう。その意味で、『嵐が丘』とは「二」の小説、つまりきわめて荒々しく凶暴な男性が、実は女性にハイジャックされているという両性具有的な作品である。

    そして、この二乗された亡霊は暴風のように吹き荒れ、人間どうしの絆を断ち切り、幼い家族を虐待し、ついにヒースクリフ自身の破滅へと到る。彼の前代未聞の過剰なドメスティック・ヴァイオレンスは、ゴシック小説の伝統に即しつつも、それをはるかに超えるような不可解な印象を与える。語り手の家政婦ネリー・ディーンは、本名も年齢も不詳のヒースクリフについて「いったいあの人は、どこから来たのだろう?」と夢うつつでつぶやく[29]。ヒースクリフにはいかなる社会的属性もない。彼は、社会に場をもたない異邦人であり、彼の住まう「嵐が丘」はいわば亡霊たちのアセンブリ(集会)の場なのである。

    キャサリンの亡霊と一人対話するヒースクリフの表情は「極端な楽しみと苦痛」にさいなまれ、苦しみのなかで恍惚としている[30]。このぞっとするような光景には、いかなる出口もない。内面的な成長の可能性をもたないヒースクリフは、ビルドゥングスロマンの枠組みから完全に外れた存在である。

    煽情的なゴシック小説の流行を嫌った一九世紀初頭のワーズワースは、湖水地方のなめらかな自然の運動を教師としながら、自らの詩(特に『序曲』)に一種のビルドゥングスロマンの性格を与えた。The Tables Turned(形勢逆転)という詩では、書物を捨てて、光を浴びて鳥のさえずりを聴き、自然を先生にせよというまっすぐなメッセージが発せられる[31]。ワーズワースにとって、自然は書物を超えた書物、学校を超えた学校であった。しかし、その半世紀後の『嵐が丘』になると、自然=教師はその暴力的な顔をむき出しにする。ヒースクリフ(ヒースの茂る荒野の崖)という名前そのものが、破局的な自然の記号にほかならない。

    しかし、ここで注目に値するのは、ヒースクリフの異様な暴力と謀略の支配のなかでも、自らの精神的な独立をめざした女性がいたことである。それが亡きキャサリンの娘キャシーである。一八歳のキャシーは二三歳のヘアトン(キャサリンの甥だが、同居するヒースクリフに虐待されてまともな教育を受けられず、すっかり退嬰的な気分に沈み込んでいる)を抱き込み、「嵐が丘」という屋敷――ゴシック小説を特徴づける不気味な「城」の等価物――でのサバイバルを企てる。その際、キャシーとヘアトンを結びつけるのは、ヒースクリフの忌み嫌った書物である。

    「本があったときには、いつでも読んでいたわ」とキャシーは言いました。「でも、ヒースクリフさんは本を読まないの。だから、あたしの本も捨てちゃうような真似をするのよ。〔…〕それにねヘアトン、あたし、あなたの部屋に隠してある本を偶然見つけたのよ……ラテン語やギリシャ語の本に、物語や詩の本。みんな、あたしの昔の友達だったわ〔…〕」。[32]

    キャシーはヘアトンに本をプレゼントし、二人で仲良く読書する。この自己教育によって、二人の敵対性は消滅し、親密な同盟関係が設立され、ヒースクリフの暴力の防波堤となる。ここで重要なのは、二人がともにキャサリンの亡霊を背負っていたことである。ネリーの報告によれば「二人の目はほんとうにそっくりでございますよ。亡くなったキャサリン・アーンショウの目なのです」[33]。キャサリンの亡霊はヒースクリフに苦痛に満ちた恍惚を味わわせる一方、若いカップルには連帯の可能性を与えた。ヒースクリフを過去に閉じ込める亡霊は、キャシーとヘアトンにとっては、むしろ唯一の活路として現れる。ブロンテがここに世代的な差異を導入したことは明らかだろう[34]。

    こうして、キャシーは「嵐が丘」という恐るべき紛争地帯において、読む行為をヘアトンに感染させながら、自己を戦略的に立て直そうとする。ビルドゥングスロマンを粉砕するほどの過剰な暴力の吹き荒れる閉域で、いかなる成長の物語を描くか――ブロンテはこの難題に「読む主体」の複数化によって応じたのだ。

     
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