これで土曜の新作公開への備えはバッチリ!?
大長編ドラえもん漫画を
宇野常寛が全作レビューしてみた
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.3.5 vol.023

今週土曜に新作映画『のび太の大魔境』が公開されるドラえもん。そこで今朝は、宇野常寛が大長編ドラえもん漫画・全24巻を全作レビュー。藤子・F・不二雄の作家的挑戦とその格闘の果ての"壊死"に刮目せよ!

「大長編ドラえもん」は藤子・F・不二雄の遺した極めて巨大な知的格闘の産物である。いまその成果を読み返すと、藤子が単行本一冊というごく少ない分量の中に児童のあらゆる憧れを詰め込み、その上で二転三転する物語をしっかりと展開させる離れ業を毎年自らに課していたことがわかる。

そしてもっとも特筆すべきは、藤子が日常を舞台としたギャグ漫画としての『ドラえもん』本編を破壊しないように、あくまで主人公(のび太)の成長を拒否し続けていたことだろう。ジュブナイルにおいてもっとも簡易に物語を成立させることができる主人公の成長という構成要素を、藤子は最大の禁じ手にし、あくまで成長しない主人公=のび太が、他力=ドラえもんのひみつ道具で事態を解決するという作品の基本構造を崩さないまま、冒険活劇を描き続けようとしたのだ。

そのため「大長編ドラえもん」シリーズはかなり初期の段階で「ドラえもん」世界観の根底を問い直すテーマ(のび太はドラえもんに頼ってばかりでいいのか、という問い)や、児童漫画とは思えない高度なメタフィクション要素を内包することになった。そしてこうした高度な知的格闘の連続はやがて、作家としての藤子の壊死をもたらしていくのだ。
 
 
のび太の恐竜
 
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★★★★
児童の知的好奇心を煽る素材(恐竜)、食事シーンに代表される同世代の仲間たちとの楽しいピクニック気分、そしてそこから非日常の大冒険に巻き込まれて行く緊張感……第一作にして、「大長編ドラえもん」の基本要素が出そろっている。しかし、もっとも重要なのは第一作にしてのび太たちが自力で困難を乗り越えることができない(大人が助けに来る)という結末だろう。のび太を成長させないまま物語にカタルシスを発生させるため、藤子は他力解決という「ドラえもん」の本質的な問題が露呈した展開をゲストキャラクターとの悲しい別れがもたらす「感動」で誤摩化すという手法を採用した。そしてこの手法が成功したことが、藤子を以降20年に渡る困難な戦場に導くことになる。
(Wikipedia)
 
 
のび太の宇宙開拓史
 
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★★★
のび太を成長させるのではなく、「低重力の異星にいる間だけはスーパーマンになれる」という設定を用いることで前作の問題を回避している。超人願望に直接訴えかける設定と展開は魅力的だが、このとき導入した「実はのび太は射撃が得意」だという設定は作品世界を根底から崩しかねないものだったと言える。そのせいか以降、藤子はこの手法を封印する。

(Wikipedia)
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のび太の大魔境
 
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★★★★★
「探索されつくされた地上にはもはや魔境は存在しないのではないか」という物語の端緒となる問いかけは、藤子の児童漫画家として問題意識そのものでもあるだろう。このメタ的な問題意識が中盤の「冒険気分を維持するために意図的にひみつ道具の使用を禁じる」という展開を生じさせ、メタフィクション的なからくりでのび太たちが事態を打開するという結末につながっている。前者は物語自体を成立させるため、後者はのび太を成長させることなくカタルシスを発生させるための手法として、以降の「大長編ドラえもん」を支える黄金パターンとして洗練されていく。他にも「大長編では急にいいヤツになるジャイアン(のび太以外は一時的に成長させても作品世界は壊れないことの発見)」も「恐竜」からのアップデートというかたちで本作で確立されたと言える。シリーズの方向性を決定づけた初期の傑作。

(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93_%E3%81%AE%E3%81%B3%E5%A4%AA%E3%81%AE%E5%A4%A7%E9%AD%94%E5%A2%83
 
 
のび太の海底鬼岩城
 
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★★★
前半の「児童の考える夢のピクニック」を手際よく叶えていく展開は完璧だが、後半のスペクタクルがやや淡白。「大魔境」のメタフィクション的なアプローチを封印し、バギーの自己犠牲で物語を収束させることで、つまり結末でのゲストキャラクターとの別れの生む感動に自己犠牲の要素を加えることで読者の感動をを増大させたものの、その反面「大長編ドラえもん」の最大の魅力であったはずの結末のどんでん返しとそれに伴う知的ギミックの生むカタルシスが失われている。

(Wikipedia)
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のび太の魔界大冒険
 
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★★★★★
「大魔境」のアップデート版として、本格的なメタフィクションを展開した野心作。その結果、設定にいくつか矛盾が生じているが、未来からの介入であっさりと訪れた解決(エンドマーク)をのび太が拒否するという終盤の驚愕の展開は、「大長編ドラえもん」を通じて藤子が洗練させてきた脚本術の真骨頂だろう。「なんでもあり」のドラえもんの設定を逆手に取って、のび太にわざわざ可能世界の仲間たちを助けに行くことを選ばせることでカタルシスを発生させる、という発想には脱帽させられる。また、ここで示されている倫理観は主人公の成長を描くことを自らに禁じて来た作者だからこそたどりついたものであり、この確信が作品世界を強く支えている。

(Wikipedia)
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のび太の宇宙小戦争
 
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★★★★
アクロバティックな前作とは対称的に児童の願望(プラモデル少年の夢)を充足する物語を極めて直接的に、しかしこれまで培ったノウハウを総動員して過不足なく展開している。設定的に成長させることのできないのび太の代わりに、スネ夫の成長物語を後半の基軸に据えた結果、本作は主人公たちがほぼ独力かつ自力で事態を解決している珍しい作品になっている。作者のストーリーテーリングの円熟を感じさせるが、ここまで読み続けて来た(舌の肥えた)読者は恐るべきことに、アクロバティックなメタフィクション的仕掛けのない事態の解決に物足りなさを感ざるを得ない。

(Wikipedia)
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のび太と鉄人兵団
 
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★★★★★