大島優子が高みに登るとき
女優としての自由/アイドルとしての自由
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.3.25 vol.037

今朝のほぼ惑はお蔵出し2本立て。1本目は、昨日に引き続いてのAKBネタ。卒業を控えての3月23日の感謝祭が話題を呼んだ大島優子に対しての宇野からのエールです。

【お蔵出し】「優子、自由になれ!」
(初出:「FLASH」2014年3月17日発売号)
 
 大島優子の存在がはじめて気になったのはドラマ「マジすか学園」だった。四天王を従え、学園のトップに君臨する不良少女を演じる大島には圧倒的なカリスマ性があった。当時の僕はAKB48についての知識はほぼゼロに等しく、同作が当時のAKB48内におけるメンバーのプレゼンスや人間関係をネタにした二次創作的ドラマであることもよく分かっていなかった。しかし何の文脈も共有していない僕のような視聴者にも、この大島優子という存在が役柄を超えて、何かの高みに達している存在であることはすぐに分かった。僕は今でも、女優・大島のベストシーンは同作のオープニングで髪をかきあげるシーンだと確信している。配下を従えて見栄を切る大島の圧倒的なオーラに、何度見てもゾクゾクとさせられる。

 その後、映画やテレビドラマで大島優子を目にすることが多くなったが、僕がこれらの作品群における大島から「マジすか」第一作のようなインパクトを受けることはなかった。そこにいたのは何でもソツなくこなす優等生としての大島であり、圧倒的な高みに到達した人間だけが持つオーラをまとったあの優子先輩ではなかった。もちろん女優とはそういう仕事で、自分を殺してでも作品に奉仕しなければならないケースも多いだろう。その意味で大島優子が優秀な女優であることは既に証明されていたと言ってもいいのだが、それは僕の見たい大島ではなかった。

 そしてその間、僕の見たい大島は常にステージの上にいた。たとえば昨年の総選挙の日がそうだった。気がつけば僕はAKB48にどっぷり浸かり、その日にはなんとフジテレビの中継席で解説をつとめていた。僕は生放送の準備で慌ただしくしていて、開票前に行われたコンサートをじっくり見ることはできなかった。しかしそれでも、大島がひとりステージのいちばん高い場所に現れて「泣きながら微笑んで」を歌いはじめた瞬間、会場の空気が一変し人々の意識がほとんどの席からは豆粒のようにしか見えない大島の小さな身体に集中していったのが分かった。とんでもない女だな、と舌を巻きながらも僕はずっと彼女に見とれていた。ステージの上の大島は、いつだってどこだって最高の存在でい続けた。その強すぎる力が逆に心配になるくらい、彼女はいつも最高だった。

 総選挙のその日、まさかの指原莉乃の1位獲得に会場は揺れた。指原の1位が確定すると、ぞろぞろと帰り始める「アンチ」たちの姿が目立ち始めた。そのとき、大島はとっさにマイクをとって口を挟んだ。「今回の総選挙は笑える」「楽しい選挙で良かった」と。僕はこの大島の発言は、指原の1位獲得のドラマに水をさすものではないかと感じ、大島はどうしてしまったのだろう、と思ったものだった。しかし、今考えれば大島は会場の暗転する雰囲気を一気に粉砕すべく、笑いを取ろうととっさに口を挟んだのだ。20代半ばの考えることにしては、できすぎている。本当に「いい奴」で、そしてよく出来たお嬢さんだと思うが、できすぎるが故にたくさんのものを背負いすぎてしまっているようにも僕には思えた。その積載過剰な姿は、そして過剰さに耐えられてしまうすごさと危うさは、映画やドラマで真摯に「役柄に奉仕してしまう」女優としての大島の姿を僕に想起させた。