「ストII」から「バーチャ」へ
90年代の"格ゲー"ブームが変えた風景
(中川大地の現代ゲーム全史) 
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.5.22 vol.76

今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は90年代にアーケードを席巻した格ゲーを代表する2作『ストII』と『バーチャ』についての文章です。対戦格闘ブームは一体、何を変えたのでしょうか。

『ストII』と対戦格闘ブームが変えた風景
 
 その名の通り1991年登場の『ストリートファイターII』は、4年前の1987年からアーケードで稼働していた『ストリートファイター』の続編タイトルである。初代『ストリートファイター』は、『空手道』(データイースト 1984年)や『カラテカ』(ブローダーバンド 1984年)、『イー・アル・カンフー』(コナミ 1985年)といった先行作品と同様、基本的には1~数画面分のスクロール幅のサイドビュー型の固定フィールドを「試合場」として、プレイヤーが操るキャラクターと敵側のキャラクターとがステージごとにパンチとキックを基本とする一対一の肉弾戦を行うというタイプのアクションゲームの一つにあたる。このうち、対戦相手のキャラクターをコンピューターだけでなく、もう一人のプレイヤーが基本的に同じ操作条件で操ることができた点が、この種のゲームが「対戦格闘」と呼ばれるようになった所以である。
 ここで先行諸作が概ね空手やカンフー、ボクシングといった単一の競技種目を題材にしていたのに比べ、その名の通り路上での異種格闘技戦をテーマにした『ストリートファイター』では、空手家風の主人公キャラクターが、世界各国の多彩なファイトスタイルを持つ個性的な格闘家を一人ずつ破っていくという趣向が採られた。そして通常攻撃に加え、特定のレバー操作とボタンの組み合わせによるコマンドをアクションの中でタイミングよく入力することで、「波動拳」や「昇竜拳」など相手に大ダメージを与えられる「必殺技」が発動するという従来になかった要素が加えられたことが、本作の最大の特徴であった。
 これにより、スポーツゲームに近かった地味な競技性に、バトルアクションとしての深い戦術性やケレン味あふれるフィクショナルな演出性が加わり、対戦格闘が独自のサブジャンルとして大きく発展する礎が築かれたと言える。
 というのは、1980年代中盤までの2Dアクションの描画表現とゲームデザインの水準では、一対一の対戦格闘は人気ジャンルとなるほどの奥深いプレイ体験を実現することができなかった。そのため、どちらかといえば『スパルタンX』や『魔界村』のように多数のザコ敵を倒しながら横スクロール式のステージを進んでいく、シューティングゲームの発想に近いスクロールアクションが人気を博していたのは、第5章で述べた通りだ。『ストリートファイター』は、このような1980年代的なサイドビューアクションの転機として誕生したわけである。
 
 ここで確立された基本システムを土台に、プレイヤーが操作するキャラクターを前作の主人公だったリュウやケンのほか、中国出身の女性拳法家・春麗やソビエト連邦の巨漢レスラー・ザンギエフなど8人に拡充して選択可能にしたことで、『ストII』はそれまでとは一線を画するプレイヤー体験を切り拓き、大きな飛躍を遂げることになった。
 それぞれのキャラクターは、外見や攻撃のリーチ、スピードなどの基本的な操作性のほか、何よりも必殺技とその発動コマンドの違いによって強く差別化されていた。例えば春麗やガイルは通常技の性能が高く必殺技コマンドが比較的容易で初心者にも扱いやすく、ザンギエフやダルシムは外見にも操作性にもクセがあるが上級者向けの一発逆転の必殺技や勝ちパターンがあるといった特性を持ち、対戦における相性もあった。
 一方で、意匠デザインやバックストーリーの面では、世界各国のイメージを極端にステレオタイプ化し、アメコミヒーローのようなフリーキーさと『キン肉マン』『ジョジョの奇妙な冒険』といった日本の異能バトル漫画などの造形やドラマツルギーが接合した過剰さに溢れるテイストを構築。「外国人が考える間違った日本のイメージ」を自ら先回りしてパロディ的に盛り込んだ相撲レスラーのエドモンド本田に象徴的なように、いったん海外の視点を経由したデザインで、日本のキャラクターコンテンツの文脈を世界化するような様式性を編み出した。このあたりは、漫画やアニメ以上にゲームという市場の国際性が高く、とりわけカプコンというメーカーが北米での反響を重視してきた姿勢の現れでもある。
 このように『ストII』において操作性と必殺技の設計を中核とした独自のキャラクター表現の様式が登場し、これをプレイヤーたちが選んで習熟していくというプロセスが生じたことで、ゲームセンターには新たな文化が生まれてゆく。キャラ選択にはおのずとプレイヤーの技量や性癖が顕れ、ゲーマーとしての自己表現にもなりえたからである。キャラクターメイキング型のRPGのように虚構世界に自分の分身を送り込んで物語や世界観に没入するスタイルとは反対に、ゲームの世界観設定上は様々な動機や物語を与えられているキャラクターたちをパフォーマンス手段としつつも、あくまでも対戦台越しの現実空間にあって、プレイヤーたち自身の文字通りのストリートファイトが繰り広げられていく点に、このゲームがもたらす体験性の特徴があった。
 
 加えてゲーセン空間にとって幸いだった点として、パンチやキックのボタン数がそれぞれ弱・中・強で三つずつとスーファミなどの家庭用ゲーム機の標準的な操作パッドでは対応しづらく、またスティックレバーをダイナミックに動かす必殺技コマンドの入力操作が十字などの方向キーの感覚とは大きく異なるため、コンシューマー移植版ではなかなか習熟することができなかったことも挙げられる。だが、このゲームの設計の帰結として、対コンピューター戦の一人遊びが“練習”に、「乱入」可能な筐体の場合はいつ訪れるかわからない他プレイヤーとの二人プレイこそが“本番”になるという位置づけになる。腕を磨き、誰かと戦い、そして勝利するという、このゲームの本当の醍醐味を味わうためには、どうしてもゲーセンに足を運ぶしかなかった。
 このことは、同時代の業務用ゲームの多くは、コンシューマーゲームに対するクオリティ面での絶対的な優位を失い、ちょうど漫画の雑誌連載と単行本の関係のように「一般ユーザーへのパッケージ版発売以前のヘビーユーザー向けの先行リリース」という程度の差別化しかできなくなっていた中、コンシューマー版発売後もゲーセンへ行くための明確なバリューになったと言える。
 
 かくして『ストII』は、ファミコン登場後は劣勢を強いられる一方だったゲームセンターに久々の風を吹きこみ、プレイヤー同士が一期一会にまみえる腕前の求道の場としての本来の特性を見事に再生させた。これに続々と他社が追随して、対戦台を備える格闘ゲームはフロアを占める新たな花形ジャンルとなり、アーケードゲーム史全体を通じても最大級となるムーブメントへと膨れ上がっていく。
 街々のゲーセンでは名うてのプレイヤーたちが競い合う対戦格闘ゲームの大会が自然発生的に開催され、ここからメーカーやアーケードゲーム雑誌の出版社が主催する公式の全国大会へと発展。まさに「俺より強い奴に会いに行く」というシリーズのキャッチコピーが示す通りの光景が、1990年代の都市空間にまたたく間に増殖していったのである。
 
 
3Dゲーム時代を幕開けた『バーチャファイター』の「未来」感
 
 『ストII』に始まる対戦格闘ブームは92年から93年にかけて、対戦要素を強化した同作のマイナーチェンジ版『ストII’(ダッシュ)』以降のシリーズや、家庭用ゲーム機と業務用基板のハードウェアを共通化した「ネオジオ」での提供を特徴とするSNKの『餓狼伝説』『龍虎の拳』『サムライスピリッツ』の各シリーズなど、ドットグラフィックで描画可能な2Dスプライトアニメ表現の粋を尽くす方向へと進んでゆく。それは基本的には『ストII』が敷いた、様々なバトルものコンテンツの要素をディフォルメチックに融合する過剰なキャラクター表現や派手なエフェクトを伴う必殺技といった路線を踏襲し、そのバラエティや演出、ゲーム上の難易度などをエスカレートさせていくというものに他ならなかった。
 先述したように、これら2D対戦格闘のゲームデザインの根本は、系統樹の元をただせば『魔界村』のような横スクロール型の冒険アクションゲームと同じところに行き着く。すなわち、スクロールするマップでのアスレチック的なジャンプアクションや多数のザコ敵といった障害のかわりに、ただ一人の対戦相手だけでも同等以上にエキサイティングな刺激が得られるようにという発想から分岐してきたものだ。
 そのため、アングルの固定したサイドビュー画面をなるべくダイナミックに使うべく、気功弾のような飛び道具や高いジャンプを多用する空中攻撃といった表現が大きな比重を占め、リアリスティックな意味での「格闘」というよりも日本マンガやアニメで馴染まれていたフィクショナルな「バトル」の翻案に向かっていったと言える。
 
 その意味では、ポリゴンによる3Dグラフィックスを用いた初の対戦格闘シリーズを創始したセガの『バーチャファイター』は、同じ「対戦格闘ブーム」の流れの中に括られながらも、単なる見てくれ上の描画手段の違いにとどまらず、ゲームデザインの発想の進化の上でも『ストII』などとはまったく異なる脈絡から登場してきた代物だ。