國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」
第6回テーマ:「だらしなさに関する悩み」
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.9.26 vol.166

一昨年よりこのメルマガで連載され大人気コンテンツとなり、書籍化もされた哲学者・國分功一郎による人生相談シリーズ『哲学の先生と人生の話をしよう』。2ndシーズンの連載第6回となる今回のテーマは「だらしなさに関する悩み」です。

▼連載第1期の内容は、朝日新聞出版から書籍として刊行されています。
國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)
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▼國分功一郎の人生相談「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」
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【1】「だらしのない自分がとても許せません」おたこ 39歳 女性 近畿
 
絵をかいています。
「だらしない」を憎んでいます。心のそこから憎んでいます。
それなのに、わたしの仕事場は散らかり放題。消しゴムのカスや、描き損じの紙に、交換して整理されまいままの名刺、積み重なった本、文具、いろいろなものが散らかってまったくもってだらしない環境で働いています。
だらしのない自分がとても許せません。
所有するものを必要最低限におさえると、散らかりも最低限に抑えられるような気がしたので持ち物をとても少なくするよう心がけているのですが、最低限の持ち物でも、盛大に散らかります。
こうなったら少しだけ「だらしなさ」を寛容できるようになりたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
【2】「羞恥心がなく、もっと他人を意識できるようになりたいです」ぽてりん 29歳 男性 東京都 会社員
 
國分先生こんにちは。いつも楽しく拝見させていだだいております。今回のテーマが『だらしなさ』と知り、思うことがございまして、メールをさせていだだきました。
率直に申し上げまして私、あまり羞恥心がございません。現在、女性ばかり(熟女)の職場で事務仕事をしているのですが、何度も社会の窓が空いているやら、シャツが出ているなど注意されます。社会人としてダメだと思うのですが、直そうと思う意識があがりません。
そもそも、未来において自分が存在すると仮定すると、現在は過去になります。常に過去を生きている。そんな風に考えているうちに細かいことが気にならなくなってしまいました。 あまり、羞恥心がない理由にはなっていませんが、どうすればもっと他人を意識できるか、ご助言いただければ幸いです。
 
 
【3】「お酒を飲み過ぎるのをやめられません」ぱたぱた 26歳 男性 東京都 大学職員
 
僕のだらしなさはお酒です。20代も後半になり体力も(相対的に)衰え、二日酔いになる頻度が上昇しているのにもかかわらず、適当なところで切り上げるということがどうしてもできません。二日酔いになった時の苦痛は筆舌に尽くしがたく、仕事にも影響するので毎回猛省するのですが、いざ飲みの場になると快楽が流されて飲みすぎてしまいます。そして後日「なぜ僕は愚かな過ちを繰り返すのだろうか」と強い自己嫌悪にさいなまれます。
一方で飲みの場でそれこそ適当なところで切り上げている友人・同僚をみると「つまらないやつだ」という感想がぬぐえません。適切な飲み方を心得て無茶をしなくなったらそれこそ老いてしまうような気がします。
ならば現状で良いのではないかと言う話ですが、この自分のスタンスの揺らぎをどのように解決すべきか、國分先生のご意見を聞かせていただければ幸いです。
 
 
【4】「周囲の人に気を利かせたりすることができません」もしプロ 31歳 男性 奈良県 会社員
 
國分先生こんにちは。
以前転職についてご相談させていただきました。お陰様で現在、新たな職場で頑張らせていただいてます。その節は本当にありがとうございました。
今回、だらしなさがテーマということなのですが。私はこれまで(幼稚園児の頃から)マイペースな性格と親や教員から言われ、整理整頓も得意ではありません。 たまに自分で「このくらいやっておけば良いだろう」と片づけてもみるのですが、周囲が満足するにはほど遠いようで、何かと文句を言われる事も少なくありません。
周りが気になる事に無頓着で、気が利かない事も指摘されることが多く、意識もしているのですが長くは持たないのです。
指摘してくれる方達のためにも、少しでも変わろうと意識をしているのですが。変わってるとしても、その程度がまだまだ少なすぎて周囲をイラつかせてしまっているように感じます。
今後、できるだけ周囲と自分の感覚の差を埋めて、気がまわるように変わっていきたいと思うのですが、いまいち自信がもてません。
どのようにすれば変われるでしょうか。何かヒントがいただけますと幸いです。
 
 
【5】「だらしない自分を変えたいと思っていながらなかなか変えることができません」もちもち 29歳 女性 東京都 無職
 
人生全体にだらしがなくて、困っています。部屋は片付けられず、いつも汚いです。ついクレジットカードで買い物をしてしまい、貯金もありません。昔はわずかながらも貯金できていたのに……。 無職になり、今就職活動をしていますが、「私は『本当に』なにがしたいのか?」と思うと、混乱し、「気分転換に」とインターネットの記事をダラダラと読んでは自己嫌悪に陥っています。本当にだらしない人生なのです。 こんなだらしない女じゃ結婚もできないし、子供ももてない、うまく人生を過ごせる自信がないです。
とりとめがありませんが、このだらしない自分を変えたく思っています。どうしたらいいでしょうか。


 みなさん今日は。國分です。
 今回のテーマは「だらしなさ」ということなんですが、はっきりいってこんなテーマはやめておけばよかったと思っています。というのも、あまりにも難しいテーマであることが、考えれば考えるほど分かってきたからです。
 何か、誰か、手がかりになる哲学理論とかそういうのがないかと考えてみたんですが、どうも思いつきません。
 実は「だらしない」という言葉の意味もよくわからない。調べてみたところ、これは「しだら」が無いという意味だそうで、「しだらない」がなまって「だらしない」になったみたいです。
 とすると、「ふしだら」と「だらしない」は同義ということになりますが、ちょっとニュアンスが違いますよね。
 何というか、最初に考えたのは、こういう人生相談に寄せられてくる悩みのほとんどは、「だらしなさ」に還元されるのではないかということだったんです。
 つまり、自分で自分の人生のために「こうしよう」「ああしよう」と思っていることがいろいろありますよね。でも、それがうまくできない。だからうまくいかない。じゃあ、なぜ「こうしよう」と思ったのにできないのか。これは事例ごとに程度の差こそあれ、要するに「だらしない」ということじゃないかなと思ったんですね。
 でも、ちょっと違う気がしてきました。というのも、「だらしない」と言う時、そこには何か特殊な意味というか思いが込められているように思われるからです。単に、「きちんとしていない」「整っていない」「節度がない」「しまりがない」「体力や気力がない」「根性がない」──すべて辞書に書いてある「だらしない」の意味です──という意味じゃないんですね。
 難しい言い方をすると、だらしなさという言葉には、特殊な欲望が備給されているように思われるのです。
 それは何かというと、自分はこれでもいいと思っているけれども、同時にそれを強烈に拒否もする気持ちです。「だらしない」と言う時、人は、「それでもいいではないか」と思いつつも、外部から注入された何らかの規範の圧力に負け、この規範に必死に一致しようとしている、そういう感じがします。
 分かりやすくなるように、段階を追って説明してみます。