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記事 35件
  • 【特別対談】國分功一郎×宇野常寛「哲学の先生と民主主義の話をしよう」前編(PLANETSアーカイブス)

    2017-11-20 07:00  
    540pt





    今回のPLANETSアーカイブスは、政治論集『民主主義を直感するために』(晶文社)や『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)の著者である哲学者・國分功一郎さんと本誌編集長・宇野常寛の対談です。前編では「保育園落ちた日本死ね」ブログ問題や、反原発・反安保運動について語りました。(構成:中野慧 )
     ※本記事は、2016年 4月26日に放送されたニコ生の内容に加筆修正を加え、2016年5月27日に配信した記事の再配信です。

    ▼放送時の動画はこちらから!
    http://www.nicovideo.jp/watch/1462950394
    放送日:2016年4月26日



    民主主義を根付かせるためのキーワードは「直感」
    宇野 今回は、1年ぶりにイギリスから帰国した哲学者の國分功一郎さんをお招きして、現在の日本の政治・社会状況について語っていこうと思います。國分さんが、まあ一言で言えば「悪い場所」になりつつある日本から遠く離れているあいだ、僕のほうもこの1年、いわゆる「論壇」的なものとは距離をおいて、毎週木曜朝の「スッキリ!!」以外はほとんど引きこもって自分のメディアからの発信に注力してきたつもりでいます。と、いうことで今回は、そんな二人がこの1年考えてきたことを率直にぶつけあう対談にできたらと思います。
     とりあえずはまず、國分さんの新著『民主主義を直感するために』(晶文社)が発売されたわけですけど、その話からしたいなと。
    國分 『民主主義を直感するために』で言いたかったことは、本当にタイトルそのままですね。巻末に、辺野古に行ったときのことを書いた「辺野古を直感するために」というルポが載っているんだけど、その「直感」という言葉がキーワードだと思って本のタイトルにも使うことにしたんです。俺は哲学をやっているから理論的なことをよく話すし、理論はもちろん大切だと思っているけど、「現場を通じて具体的に『直感』する」というのもそれと同じぐらい大切だと思っているんだよね。これまでに色んな場所で書いた文章をまとめた本ですが、結果的にとてもいいものになったと思ってます。
     「直感」という言葉にはちょっとしたこだわりが込めてあって、まず、「直感」と「直観」という同じ読みの2つの言葉がありますよね。哲学では「直観」のほうを使うことが多いけれど、こちらは非常に理知的なイメージの単語ですね。それに対し「直感」は感覚的です。多くの場合、英語で言う"intuition"は「直観」の方に対応すると思うんですね。すると、「直感」は英語には翻訳不可能だということになる。こう考えると、この言葉は特殊な身体性が織り込まれているというか、「具体的に体で感じ取る」というイメージのとてもいい日本語じゃないかと思うんです。そういう感覚が民主主義をやっていく上で大事なんじゃないかということをこのタイトルに込めました。
    宇野 このタイトルに関して僕もいろいろ思うところがあるんですけど、結論から先に言うと「今のこの2016年の日本では民主主義を直感させないほうがいい」と思っています。
    國分 いきなり直球が来たね(笑)。さっそく話をはじめましょうか。
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  • 【特別対談】國分功一郎×宇野常寛「哲学の先生と民主主義の話をしよう」後編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.615 ☆

    2016-06-10 07:00  
    540pt
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    【特別対談】國分功一郎×宇野常寛「哲学の先生と民主主義の話をしよう」後編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.6.10 vol.615
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでは、政治論集『民主主義を直感するために』(晶文社)を刊行したばかりの哲学者・國分功一郎さんと本誌編集長・宇野常寛の対談後編をお届けします。後編で議論されるのは、言語の射程距離の変化と、カリフォルニアン・イデオロギー以後の国家に残された役割。そして、人間にとっての「言葉」の機能の本質とは?
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    ※本記事は、4月26日に放送されたニコ生の内容に加筆修正を加えたものです。

    【発売中!】國分功一郎『民主主義を直感するために (犀の教室)』晶文社
    ▼プロフィール

    國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
    1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。著書に『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『統治新論』(共著、太田出版)、『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)など。英国キングストン大学での留学を経て今年4月に帰国し、政治論集『民主主義を直感するために』(晶文社)を刊行。
    ▼放送時の動画はこちらから!
    http://www.nicovideo.jp/watch/1462950394
    放送日:2016年4月26日

    ◎構成:中野慧
    本記事には、前編と中編があります。
    ■「言葉」で語られる公共性はどこまで有効なのか
    國分 ここまで政治の現状の話をしてきましたが、もうちょっと抽象的な未来の話もしてみたいと思います。宇野さんは言葉に関わっていてITにも関心があるわけですよね。で、ここまで話してきたことにも関連するんだけど、最近俺は、「もしかしたら、人間は言葉を喋らなくなるんじゃないか?」ということを考えているんです。いまは「密度の濃い」言葉が機能しなくなっている一方で、LINEとかではスタンプでコミュニケーションが取れているわけでしょう?
     イタリアの哲学者のジョルジョ・アガンベンが、去年出した『身体の使用──脱構成的可能態の理論のために』(みすず書房、2016年)という本のなかでけっこうショッキングなことを言っていた。近代以降、言語が人間の思考を規定するということがずっと前提になってきたが、それがいま消え去りつつあるって言うんです。俺は割とそれに驚いた。
     去年の夏にアガンベンの集中講義に出席して、彼と直接話をする機会があったんだけど、酒の席で彼は「人間は世界中でBad Languageを喋っている」って何度も言っていた。その後、彼の本を読んでそのことを思い出したんだよね。人はもう言葉と呼べるものを話さなくなりつつあるってことなんじゃないか。
     でも、よく考えてみれば、俺らが日常的に話している言葉って、密度が濃いものでも、深みがあるものでも何でもない、記号でしょ。「ああ、宇野さん、どうもどうも」とか、「だよね」「じゃあ、またね」とか。それは別に堕落したコミュニケーションじゃなくて、コミュニケーションというのはそういうものなんじゃないか。
     哲学の分野では、密度が濃い、深みのある言葉について、「言語のマテリアリティ(唯物論性)」なんて言い方をしてきた。言葉自体がゴツゴツした物質として存在しているというイメージですね。でも、そういうイメージって所詮はここ100〜200年の夢物語に過ぎなかったんじゃないか。もしそこで学者たちが夢見ていたものを「言葉」と呼ぶならば、まさしくアガンベンが言うように「言葉」は消え去りつつあるんじゃないか。
     だとすると、今日の話の前提には「言葉を届ける」ということがあったと思うんだけど、いったいどうしたらいいのかと途方に暮れてしまうわけです。さっき宇野さんは「言葉よりもモノとかスペックのほうが射程が長い」と言ったわけだけど、本当にそういうことが起こりつつあるかもしれない。宇野さんはAIにも詳しいと思うけど、AIも無関係ではない。漠然とした話なんだけど、どう思います?

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    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/201606
     
  • 【特別対談】國分功一郎×宇野常寛「哲学の先生と民主主義の話をしよう」中編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.610 ☆

    2016-06-03 07:00  
    540pt
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    【特別対談】國分功一郎×宇野常寛「哲学の先生と民主主義の話をしよう」中編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.6.3 vol.610
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガでは、政治論集『民主主義を直感するために』(晶文社)を刊行したばかりの哲学者・國分功一郎さんと本誌編集長・宇野常寛の対談中編をお届けします。中編では「直感」という言葉を巡る議論や、いまのリベラル陣営に欠けているリアルポリティクスに基づいた政治観について語り合います。
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    ※本記事は、4月26日に放送されたニコ生の内容に加筆修正を加えたものです。

    【発売中!】國分功一郎『民主主義を直感するために (犀の教室)』晶文社
    ▼プロフィール

    國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
    1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。著書に『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『統治新論』(共著、太田出版)、『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)など。英国キングストン大学での留学を経て今年4月に帰国し、政治論集『民主主義を直感するために』(晶文社)を刊行。
    ▼放送時の動画はこちらから!
    http://www.nicovideo.jp/watch/1462950394
    放送日:2016年4月26日
    本記事の前編はこちらから。

    ◎構成:中野慧
    ■「民主主義を直感する」とはどういうことか
    宇野 「アメリカ大統領選をどう見るか?」ということを國分さんと話してみたかったんです。共和党はドナルド・トランプ、民主党はバーニー・サンダースという、今までだったら泡沫候補だったような人物が支持を受けているわけですよね。
    國分 うん。これは宇野さんも感じていることじゃないかと思うんだけど、トランプとサンダースの2人を支持している人たちの階層って重なっているんだよね。
    宇野 リーマンショックによって職を奪われた世代による、ある種の格差批判が背景にあるということですよね。
    國分 トランプは絶対に許してはならない差別発言をたくさんしているけど、彼の支持者層にあるのは、エスタブリッシュメントが政治を独占していることに対する強い反感だと思います。「ヒラリーとか民主党の主流派は偉そうなことを言っているけど、結局は大企業からお金をもらっているじゃないか」、と。それは民主党陣営でサンダースが支持を集める構造と非常に似ている。
    宇野 要するに「成熟したリベラル」という立ち位置のヒラリーが、本音主義のトランプと学生のサブカルチャー的な支持を背景にしたサンダースに足元を掬われそうになっている。
     で、ここからが僕の意見ですけど、仮に今の日本でみんなが「民主主義を直感」して投票率が85%ぐらいになったら、自民党が大勝して3分の2の議席を獲得し、あっさりと憲法改正されて終わる、みたいな世界になりますよ。なぜなら半径5Kmより先に左翼の言葉は届いていないからです。
     僕にはここ数年のローカルなデモの盛り上がり程度で高い市民意識に目覚めて急にリベラル勢力に投票するようになったりしないと思う。もしリベラル勢力が次の選挙で勝つとしたら、アベノミクスが失敗して経済不満が高まるぐらいしか可能性はないと思います。
    國分 まあ、そういう可能性がないとはいわないが、安保はともかく原発の問題だったらみんな普通に政府の方針に反論するんじゃないの。生活に直結しているし。
    宇野 いや、むしろ旧来の左翼的なものが参加したことで、震災後の反原発運動は衰退したんじゃないかって僕は思っているくらいです。大多数の国民は現状の左翼の運動に対して良くも悪くも「なんかやってんな、あいつら」としか思っていないですよ。それは左翼の側が「生活の欲求」と「義の欲求」を結びつけることに失敗しているからでもあるし、逆に言えば抽象的で捉えづらい巨大な問題に対する感性が、国民全体で鈍ってしまっているからだとも思います。
     アメリカって日本よりも民主主義が直感しやすい状況にあるわけですよね。大統領選にはある種のゲーム性がありますし、オバマ初当選時にはネットを使った草の根の市民運動が盛り上がった。でもそれこそ「民主主義が直感しやすくなった結果」醜悪な本音主義によってポピュリズムを起こそうとするトランプと、学生のサブカルチャーの延長線上でなんちゃって社会主義をやるサンダースが急速に支持を拡大している。もし同じように日本で民主主義が直感しやすくなったら、単に自民党が大勝するだけですよ。
    國分 いまの宇野さんの話で何を言ったらいいか分かったんだけど、「直感」という言葉を少なくとも俺はそういう意味では使っていない。俺が強調しておきたいのは、「直感というものは具体的でなくてはならないし、具体的だ」ということ。今のトランプは全然具体的じゃない。「どこかに悪者がいて、悪いことをしている」という、曖昧な「物語」になってしまっている。
     たとえば辺野古の海で海上保安庁の職員が抗議活動を行っているカヌー隊に対してどれほど危険な取り締まりを行っているかとか、小平の道路がいったい何を破壊するのかとか、パリのデモがどんな雰囲気で行われているのかとか、遠くで起きていることが具体的にイメージできるようになると、単なる「物語」では満足できなくなる。そのときにようやく、みんなが物事を考えるようになっていくんじゃないか。そういうことに期待しているんです。

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  • 【特別対談】國分功一郎×宇野常寛「哲学の先生と民主主義の話をしよう」前編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.603 ☆

    2016-05-27 07:00  
    540pt
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    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.5.27 vol.603
    http://wakusei2nd.com


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    國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
    1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。著書に『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『統治新論』(共著、太田出版)、『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)など。英国キングストン大学での留学を経て今年4月に帰国し、政治論集『民主主義を直感するために』(晶文社)を刊行。
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    放送日:2016年4月26日
    ◎構成:中野慧
    ■民主主義を根付かせるためのキーワードは「直感」
    宇野 今回は、1年ぶりにイギリスから帰国した哲学者の國分功一郎さんをお招きして、現在の日本の政治・社会状況について語っていこうと思います。國分さんが、まあ一言で言えば「悪い場所」になりつつある日本から遠く離れているあいだ、僕のほうもこの1年、いわゆる「論壇」的なものとは距離をおいて、毎週木曜朝の「スッキリ!!」以外はほとんど引きこもって自分のメディアからの発信に注力してきたつもりでいます。と、いうことで今回は、そんな二人がこの1年考えてきたことを率直にぶつけあう対談にできたらと思います。
     とりあえずはまず、國分さんの新著『民主主義を直感するために』(晶文社)が発売されたわけですけど、その話からしたいなと。
    國分 『民主主義を直感するために』で言いたかったことは、本当にタイトルそのままですね。巻末に、辺野古に行ったときのことを書いた「辺野古を直感するために」というルポが載っているんだけど、その「直感」という言葉がキーワードだと思って本のタイトルにも使うことにしたんです。俺は哲学をやっているから理論的なことをよく話すし、理論はもちろん大切だと思っているけど、「現場を通じて具体的に『直感』する」というのもそれと同じぐらい大切だと思っているんだよね。これまでに色んな場所で書いた文章をまとめた本ですが、結果的にとてもいいものになったと思ってます。
     「直感」という言葉にはちょっとしたこだわりが込めてあって、まず、「直感」と「直観」という同じ読みの2つの言葉がありますよね。哲学では「直観」のほうを使うことが多いけれど、こちらは非常に理知的なイメージの単語ですね。それに対し「直感」は感覚的です。多くの場合、英語で言う"intuition"は「直観」の方に対応すると思うんですね。すると、「直感」は英語には翻訳不可能だということになる。こう考えると、この言葉は特殊な身体性が織り込まれているというか、「具体的に体で感じ取る」というイメージのとてもいい日本語じゃないかと思うんです。そういう感覚が民主主義をやっていく上で大事なんじゃないかということをこのタイトルに込めました。
    宇野 このタイトルに関して僕もいろいろ思うところがあるんですけど、結論から先に言うと「今のこの2016年の日本では民主主義を直感させないほうがいい」と思っています。
    國分 いきなり直球が来たね(笑)。さっそく話をはじめましょうか。

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  • 國分功一郎×宇野常寛 特別対談「哲学の先生と未来の話をしよう」後編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.505 ☆

    2016-01-29 13:00  
    216pt
    ※本日配信の本記事「國分功一郎×宇野常寛 特別対談「哲学の先生と未来の話をしよう」後編」において、一部誤解を招く箇所があったので修正を加えました。チャンネル会員の皆様には再度メールにて配信させていただきます。
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    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.1.29 vol.505
    http://wakusei2nd.com


    毎週金曜は「宇野常寛の対話と講義録」と題して、本誌編集長・宇野常寛本人による対談、インタビュー、講義録をお届けしていきます。
    今回は、現在イギリスに留学している哲学者・國分功一郎さんとの対談の後編です。日本の論壇のインナーサークルへ向けた議論の限界、2015年に活性化した右派・左派のイデオロギー闘争をどう評価し、いかに未来につながげていくかを考えます。
    毎週金曜配信中! 「宇野常寛の対話と講義録」配信記事一覧はこちらのリンクから。
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    國分功一郎(こくぶん・こうちいろう)
    1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。著書に『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『統治新論』(共著、太田出版)、『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)など。現在、英国キングストン大学に留学中。
    ◎構成:鈴木靖子
    前編はこちらから。
    ■ 内輪向けの極論から現実主義を取り戻す

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  • 國分功一郎×宇野常寛 特別対談「哲学の先生と未来の話をしよう」前編(毎週金曜配信「宇野常寛の対話と講義録」) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.500 ☆

    2016-01-22 07:00  
    216pt
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    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.1.22 vol.500
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    毎週金曜は「宇野常寛の対話と講義録」と題して、本誌編集長・宇野常寛本人による対談、インタビュー、講義録をお届けしていきます。
    今回は、現在イギリスに留学している哲学者・國分功一郎さんとの対談です。右派・左派陣営共に旧来的な勢力が復活しつつある世界的な趨勢の中で、イギリスから見える日本の状況、さらには政治的なコミットの可能性について議論しました。
    毎週金曜配信中! 「週刊宇野常寛」過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
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    國分功一郎(こくぶん・こうちいろう)
    1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。著書に『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『統治新論』(共著、太田出版)、『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)など。現在、英国キングストン大学に留学中。
    ◎構成:鈴木靖子
    宇野 ロンドンから哲学者の國分功一郎先生にスカイプでご参加いただいての特別対談、「哲学の先生と未来の話をしよう」です。國分さん、ロンドンはどうですか?
    國分 ゆっくりできて、充実した時間を過ごしています。2015年、日本はいろいろ大変だったみたいだけど。
    宇野 たしかに、2015年の日本はネガティブな話題が多かったですが……。國分さんからは事前に「イギリスの政治の話がしたい」というリクエストをいただいているのですが、それはあまり日本の話題はしたくない、ということだと思っているのですが。
    國分 いや、今年イギリスで起きたことは、今の日本の問題と強く関係していると思っていて、そのために少しイギリスの話をしたいと思ったんだよね。イギリスは2015 年5月に総選挙があったんですよ。俺は4月にロンドンに来たから、ラッキーなことに1ヶ月間の選挙戦も選挙の投開票も見ることができた。どういう選挙だったかと言うと、野党の労働党が大負けしたんですよね。
     労働党というのは皆さんご存じのトニー・ブレアが党首を務めていた党です。トニー・ブレアは2003年、アメリカのブッシュと手を組み、イラクへの軍事介入を始めた首相ですね。今回の選挙の時の労働党党首はエド・ミリバンドという人でしたけど、やはり労働党はブレア的なものから脱却できていなかった。そしてそれが完全にダメ出しされたわけです。ブレア的なものへの反省を踏まえたビジョンを示せなかったわけですね(スコットランド国民党という地域政党の躍進も労働党大敗と大きく関係しているんですが、今日はその話はやめておきます)。
     面白かったのはその後で、労働党はもうしばらくダメだと思われたんだけど、選挙後の党首選に66歳の「ハード・レフト」、ジェレミー・コービンという人が出てきたんです。最初はイロモノ扱いだったんですよ。「あんな古い左翼、どうせ電波だろ」ってみんな思ってた。ところが選挙戦が進むにつれて、どんどん人気が高まって、結局、半数以上の票を獲得して党首の座についた。コービンを支持したのは、主に若者だったと言われていて、彼らが党員になったので、労働党は党員の数も大幅に増えた。野党の党首に過ぎないというのに、今でも新聞やテレビでコービンについての報道は絶えません。もちろん批判も多いんだけど、それだけ世間の注目を集めているということです。
     ブレア的なものというのは、左派の労働党であろうとも、必要があればアメリカと一緒に戦争もするという「現実主義」ですね(もちろん、軍事介入の口実であった大量破壊兵器はなかったんで、実際には“現実”主義でも何でもなかったわけですが。イギリスでは、2016年の夏に詳細な「イラク戦争報告書」が公表されるということで話題になっています。ブレアの責任を問うことになる公的な文章で、7年の歳月と1000万ポンド(約18億円)の費用をかけて作成した、200万語にも及ぶ長大な報告書です)。それが徹底的に批判された後で、「ハード・レフト」、古いタイプの左翼的なものがものすごい人気を集めるようになった。この状況は日本の状況と非常によく似ていると思うんですよ。日本も共産党の人気が明らかに高まっている。政権が極右化しているからなんですが、世論では左翼的なものへのシンパシーが強くなっている。
    宇野 戦後的な保守と革新が、びっくりするくらい息を吹きかえしていますね。
    國分 完全に復活しているわけでしょ。左翼的なものへの共感の高まりについて指摘しないといけないのは、この力の舵取りは非常に難しいだろうということです。その際にジェレミー・コービンが参考になるのは、ハード・レフトとしての主張を掲げつつも、党内運営とか世論への訴えかけをそれなりにうまくやっているんですよ(シリアのイスラム国への爆撃の賛否を巡っては党内から大量の造反者がでるとか、核兵器に対する考え方の違いから年明けに早速シャドウ・キャビネットを改造するなど苦労もしているんですが、あれだけ強い主張をしながら世間の注目も集めつつそれなりのまとまりを維持している。年末の補欠選挙でも労働党候補者が圧勝した。たいしたものだと思います)。日本の場合、これは印象論ですけど、主張は強くなる一方、うまく落としどころを見つけて勢力をまとめるという動きがうまく作れていない。今、問題になっている選挙協力が典型でしょう。

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  • 【『暇と退屈の倫理学』再版記念!】國分功一郎×宇野常寛「個人と世界をつなぐもの」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.275 ☆

    2015-03-05 07:00  
    216pt
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    【『暇と退屈の倫理学』再版記念!】國分功一郎×宇野常寛「個人と世界をつなぐもの」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.3.5 vol.275
    http://wakusei2nd.com


    本日のメルマガは、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学 増補新版』の再版記念! 前回の刊行時に行なわれた國分先生と宇野常寛の対談を掲載します。『暇倫』で提示された〈消費〉と〈浪費〉という概念、そして『リトル・ピープルの時代』で示された〈ハッキング〉。その思想的ポテンシャルをいま改めて考えます。

    ▼3/7発売予定、13000字の新規加筆も!

    國分功一郎『暇と退屈の倫理学 増補新板』(太田出版)
     
    「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。
    生きることはバラで飾られねばならない」
    明るく潑剌と、人生の冒険に乗りだすための勇気を! 
    新版に寄せた渾身の論考「傷と運命」(13,000字)を付す。
     
    序章 「好きなこと」とは何か?
    第一章 暇と退屈の原理論──ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
    第二章 暇と退屈の系譜学──人間はいつから退屈しているのか?
    第三章 暇と退屈の経済史──なぜ“ひまじん"が尊敬されてきたのか?
    第四章 暇と退屈の疎外論──贅沢とは何か?
    第五章 暇と退屈の哲学──そもそも退屈とは何か?
    第六章 暇と退屈の人間学──トカゲの世界をのぞくことは可能か?
    第七章 暇と退屈の倫理学──決断することは人間の証しか?
    付録 傷と運命──『暇と退屈の倫理学』新版によせて
    (Amazon 内容紹介より)
     
    ▼そして……大事なお知らせ
    大好評をいただいている人生相談連載「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」ですが、國分先生がイギリスでの在外研究準備のためしばらくお休みとなります。
    ですが……人々の悩みがより深まったとき、哲学の先生は再び我々の前に姿を現すであろう――。皆様、悩みを深めて連載再開をお待ちください!
    「哲学の先生と人生の話をしよう」これまでの連載はこちらのリンクから。
     

     
    ポップカルチャーを通じて「想像力」の変遷を分析し、2011年『リトル・ピープルの時代』を出版された批評家の宇野常寛さんと、哲学者として「どう楽しむか? どう生きるか?」をテーマに同年『暇と退屈の倫理学』を出版された國分功一郎さん。震災以後、揺らぐ日本社会で生きるヒントを、ポップカルチャー、ネットワーク、哲学、そして政治と文学の中に、おふたりはどう見出そうとしているのでしょうか。
     
    ◎構成:井上佳世
    ◎初出:「すばる」2012年2月号(集英社)
     
     
    ■ 人間と世界構造の間にあるもの
     
    國分 僕は宇野さんの著書『ゼロ年代の想像力』(以下『ゼロ想』)を読んで、これは本当にすごいと思いました。”『ゼロ想』ショック”と呼べるほどのインパクトを受けたんですね。
     90年代以降、陳腐な絶望意識と自己意識みたいなものがずっと日本の思潮を覆っていた。批評家たちもそれに対する有効な対案を出せず、そのすっきりしない状況の中でだましだましやっていくしかないというような雰囲気になっていた。ところが、その中に宇野さんが颯爽と現れて、「いや、ゼロ年代にはこんなに新しい想像力が出現しているんだ」ということを、ものすごい量の情報と鋭利な分析で教えてくれたわけです。しかも、サブカルの領域を通じて、でした。
     サブカルに関する批評というのは、「自分が好きなものをみんなに認めてもらいたい」とか、「自分が好きな作品はすごいんだ」といった自己承認欲求に貫かれたものばかりで、僕はそれが全然つまらなかった。でも、宇野さんの『ゼロ想』は、90年代、ゼロ年代のカルチャーを主な対象としつつも、それ以前を、もっと言えば戦後日本の歴史みたいなものを背後に感じさせる書き方でした。いわば、自分たちが今どこにいるのかを伝えようとする歴史家意識みたいなものが感じられて、そこにすごく惹かれたんです。
    宇野 なぜあの本のタイトルに「想像力」とつけているかというと、こういうことなんです。いわゆるポストモダン的なアイデンティティ不安や公共性の定義が難しくなる問題というのは、旧い言葉を使えば「政治と文学」の関係、つまり世界と個人を結ぶ回路を従来の言葉では記述できなくなったことだと言い換えることができる。大きな物語こそがまさに近代的な政治と文学を関係づけるものだったのだから、それが失効した後に出現するものは何だろうか、と。それを考えるために必要なもの、ということで「想像力」という言葉を当てているんです。
     
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  • 國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第9回テーマ:「逃げること」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.247 ☆

    2015-01-23 12:00  
    216pt

    【お詫び】本日配信の「ほぼ日刊惑星開発委員会」ですが、編集作業に時間がかかってしまい、今朝の午前7時に配信することができませんでした。楽しみにしていただいていた読者の皆様、大変申し訳ございませんでした。本日正午より配信・公開いたしましたので、ぜひ、ご覧ください。今後ともPLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」を楽しみにしていただけますと幸いです。※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)
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    ・宇宙の果てでも得られない日常生活の冒険――Ingressの運営思想をナイアンティック・ラボ川島優志に聞く・井上敏樹書き下ろしエッセイ『男と×××』/第5回「男と女4」・ほんとうの生活革命は資本主義が担う――インターネット以降の「ものづくり」と「働き方」(根津孝太×吉田浩一郎×宇野常寛)・『Yu-No』『To Heart』『サクラ大戦』『キャプテン・ラヴ』――プラットフォームで分かたれた恋愛ゲームたちの対照発展(中川大地の現代ゲーム全史)・リクルートが儲かり続ける理由――強力な3つのループが生んだ「幸せの迷いの森」 (尾原和啓『プラットフォーム運営の思想』第6回)・1993年のニュータイプ──サブカルチャーの思春期とその終わりについて(宇野常寛)
    ・駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」
    ・"つながるのその先"は存在するか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第4回)
    ・宇野常寛書き下ろし『「母性のディストピア2.0」へのメモ書き』第1回:「リトル・ピープルの時代」から「母性のディストピア2.0」へ




    國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第9回テーマ:「逃げること」

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.23 vol.247
    http://wakusei2nd.com




    お待たせしました! 哲学者・國分功一郎先生による大人気連載『哲学の先生と人生の話をしよう』最新回をお届けします。今回のテーマは、「逃げること」です。
     

    『哲学の先生と人生の話をしよう』連載第1期の内容は、
    朝日新聞出版から書籍として刊行されています。


    ▲國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)
    書籍の続編となる連載第2期「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」の最新記事が読めるのは、PLANETSメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」だけ!過去記事はこちらのリンクから。

    それでは、さっそく今回のテーマ「逃げること」について、寄せられた相談をご紹介していきます。ビスちゃんぽん 31歳 男性 千葉県 勤務者
    連載、いつも楽しく拝読させて頂いております。
    お目汚し申し訳ございませんがどうぞ宜しくお願いします。
    自分のこれまでの人生を振り返ると苦しいことから逃げ続けてばかりの人生だったような気がします。
    中学受験、大学受験、その後の学生生活、職に就いた後もそこから逃げるように楽をできる方向ばかりの生き方をしてきました。
    結果、私は何を得ることもなく、空虚な人間に成り下がっている、そんな感覚が常に自分の何処かにあり、空虚であることを肯定するかのようなルサンチマンで己を日々ダラダラと生かしているようにも思います。
    周りに救われ、周りを傷つけて私が存在していることは明らかなのに、周りを救うことができない自分は、1人の人間としてこれで良いものか、と悩むこともしばしばです。
    そこから脱却しようと克己すれば良い、というシンプルな結論もよく考えますが、その過程にある努力が苦しくて目を逸らし、逃げようとする意識のために、結局は何事も実現できておりません。
    こんな随分な年齢になって伺うのも恥ずかしいことなのですが、自分の「逃げること」に対して歯止めをどうかければ良いか、などという益体もないことをつらつらと考える自分にも辟易します。
    相談、悩みというには余りにも空疎でまとまっていない内容で気が引けるのですが、ご笑覧下されば幸いです。
    谷新九郎 27歳 男性 東京都 会社員
     國分先生、こんにちは。
     僕は生活の節々で「大切な問題について考えるのを避けて、日常的な些細なことにかまけているのではないか」と感じることがあります。大切な問題というのは、はっきり書いてしまうと「老いる」ということであり、「いつか死ぬ」ということです。
     昔から夭逝というものに憧れていて、若くして死んだ戦国武将や芸術家がカッコよく思えてなりませんでした。中高生の時分、漠然と「自分も25くらいで死ぬのかな」と思っていたら、そういうこともなく、それからというものなんとなく「ずるずると生き永らえている」という印象があります。
     キャリアアップや自己実現のために努力することはもちろん素晴らしいことですし、趣味に打ち込むのも友人と談笑するのも楽しいのですが、どこか「問題を先送りにしている」という感覚がぬぐえず、時折虚無的になってしまう自分がいます。
     じゃあ逃げずに死ねばよいのではないか、といわれると困ってしまうのですが(因みに卒業論文はデュルケームの『自殺論』でした)、老いについて考えることから逃げず、逆に肯定的に捉えることはできるのでしょうか。何かアドバイスをいただければ幸いです。
    ぽてりん 29歳 男性 東京都 会社員
    國分先生
    いつも楽しく拝見させていただいております。
    「逃げること」という今回のテーマ聞き、自分が幼少の頃より嫌なことがあるとすぐにベッドに逃げ、母に叱られた記憶を思い出しました。
    成人した現在においてもその逃げ癖は、私の行動に影響を及ぼしていると思います。
    例えば、私は知り合い程度の人間と同じエレベーターに乗るのが嫌いです。互いに話すことがなくなり、沈黙してしまう空気、それに耐えられないのです。
    ですので、以前、事務所があったビルの7階までエレベーターを使用せず、逃げるように毎日地下1階から階段で上ってきたこともありました。
    自分の行動を規制する「逃げること」とは何なのかが、私自身よく分かりません。
    國分先生にお聞きしたいのは、「逃げること」とは何か、どこまでが「逃げること」
    (例えば、物質へ自分の気持ちを投射することなど。嫌なことがあった時、空を見上げると曇り空から雨がしとしと降ってきて、その天気が自分を慰めてくれていると感
    じる行為なども逃げることに入るのか?)
    なのかです。
    抽象的で申し訳ございませんが、先生のご意見をお伺いできれば幸いです。
    逃げ癖人生を歩んでいる私ですが、逃げたことからは逃げられないとは思っております。蛇足でした。
    ちんおんち 25歳 男性 千葉県 無職
    自分にとって都合のよい世界で生きたいんですけど、自分の知る限りそんな世界はどこにもなくて辛いです。どこかそういう世界に逃げたいです。
    どこに行っても「人としてこうあるべき」っていう圧力があって、どこかにそういうのが全くない世界がないかなぁって思ってます。
    都合のよい世界を作るために努力する気はないです。面倒くさいから。
    求めてるのは無条件で自分のことを肯定して生かしてくれる世界なんですけど、そういうこと言うと軽蔑されるのも嫌です。何もかも嫌です。
    ネットとかだと「じゃあ死ね」って言われますけど、死ぬのも努力が必要だから嫌です。
    やっぱり自分みたいに現実から逃げたい逃げたいと思ってる人は死んだほうが良いんでしょうか? それならどうしたら楽に死ねますか? 教えて欲しいです。よろしくお願いします。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     どうも、こんにちは國分です。 
     今回は「逃げる」がテーマなんですけど、すみません、ちょっと読者の方を不快にさせるようなことを書きますね。
     なんか、質問がつまんなかったです。
     「ああ、そんなもんなんだ」って思いました。
     だってどれも、「自分は逃げちゃ行けないところで逃げてしまうから、どうしたらいいか」という質問ですよね。
     そういう「逃げる」っていったいどういう意味ですか?
     どういう意味なのかはっきりしませんけど、そうやって「逃げて」いても生きていけるんでしょ。
     そこにあるのは、「自分は本当はもっとイケてるはずだ」という、理想からのズレに対する意識だけじゃないですか。ただそれだけじゃないですか。
     「逃げる」が、理想とのギャップを埋められないって意味になってる。
     逃げるってのは、そういうことじゃありませんよ。
     危険があって、それを察知して、その危険を避ける。それが逃げるってことです。
     ダラダラしてるとか、問題を先送りしてるとか、沈黙に耐えられないとか、それはあなたがそういう人間だというただそれだけのことです。
     自分がどういう人間であるのかを受け入れられていない、ただそれだけ。
     なのに、よく分からない理想像をどこからか学んできて、それと自分が違うから「逃げる」って言葉を利用している。
     まぁ、死にたいって言ってるちんおんちさんが正直なのかもしれないですね。生きているのって本当に大変だから。
     僕はですね、逃げたいのに逃げられない、どうやったら逃げられるだろうかという質問を期待していました。それこそ、考えるべき問題です。
     会社からどう逃げるか、親からどう逃げるか、DVからどう逃げるか、今の地位や生活を捨てて、迫り来る戦争からどう逃げるか……。たくさんあるじゃないですか。
     なんで、こうなっちゃうんでしょうか。
     つーか、どう思いますか?
     「逃げちゃダメだ!」ってフレーズが頭の奥深くにこびりついているって感じじゃないですか?
     このフレーズ、通俗的すぎるでしょ。なんで逃げちゃいけないの? わけわかんね。
     危なかったら逃げるんだよ。
     だって、危ないって分かっているのに逃げずにいい気になって立ち向かっていく奴がいたら、「バカだな、あいつ」って思うでしょ?
     「どうしても逃げてしまいます」って言う人は、「自分はバカになりたいです」って言いたいんですか? そうじゃないんだったら、単に「逃げる」って言葉の使い方がおかしいんですよ。
     もちろん、さまざまな理由で逃げられない、逃げられなくなるケースがあります。逃げるべきなのに逃げられないのだとすれば、これこそ考察に値するケースですよね。どういう可能性があるのかを考えることができる。
     すこし話を発展させます。
     「あなた方がそういう人間だというただそれだけのこと」って書きました。
     人間があれこれの性格や傾向をもっているというのは、いったいどういうことでしょうか?
     最近、「徳」についてよく考えるんです。僕はこの言葉が嫌いでした。哲学では、一般的に、保守的な思想の持ち主が徳の話をしますので。
     でも、「徳」を違う仕方で理解できると分かって、これがおもしろく感じられるようになってきたんです。
     薬物依存やアルコール依存の女性たちが互いに助け合う自助グループのお話を聞いたのがきっかけでした。 
  • 【対談】國分功一郎×宇野常寛「いま、消費社会批判は可能か」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.229 ☆

    2014-12-25 07:00  
    216pt

    【対談】國分功一郎×宇野常寛「いま、消費社会批判は可能か」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.25 vol.229
    http://wakusei2nd.com



    今日のほぼ惑は、『帰ってきた「哲学の先生と人生の話をしよう」』が好評連載中の哲学者・國分功一郎さんと、宇野常寛の1万字に及ぶ対談のお蔵出しをお届けします。『暇と退屈の倫理学』から、現在連載中の人生相談まで、國分先生の活動に通底するテーマを掘り下げて語っていきます。


    ▲國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)
    (※連載第1期の内容をまとめた単行本です。) 
    好評連載中の國分先生による人生相談『帰ってきた「哲学の先生と人生の話をしよう」』、今月末の配信はお休みで、次回掲載は1月下旬を予定しています。
    次回の人生相談のテーマは…「逃げること」。
    國分功一郎×宇野常寛「いま、消費社会批判は可能か」初出:『PLANETS vol.8』
     
    ◎インタビュー:宇野常寛/構成:中野 慧
     
     〈浪費〉とは、必要を超えて物を受け取ること、吸収すること。必要を超えた支出であるから、それは贅沢の条件になる。そして、豊かな生活に欠かせないものである。物を受け取ることにも、吸収することにも限界があるから、〈浪費〉は満足をもたらし、どこかでストップする。しかし、〈消費〉は限界がないので止まらない。〈消費〉は満足をもたらさない。つまり、〈消費〉は退屈をまぎらわすために行われるが、同時に退屈を作り出してしまう。
     ――哲学者・國分功一郎が『暇と退屈の倫理学』で展開した議論は、その穏当な語り口とは裏腹に過激で、そして野心的なものだ。
     形骸化し、それ自体が商品となることで陳腐化した左翼的消費社会批判を葬り去り、歴史的な視座から人間性それ自体を問い直す……哲学的思考のもつダイナミズムを存分に味わせてくれる同書の登場は圧倒的だった。
     そんな國分はその一方で「哲学とは究極的には人生論でなければならない」と断言する。これはむろん、アイロニーではない。國分功一郎にとっての「哲学」はすなわち人生について正面から考えることだ。「メルマガPLANETS」の人生相談(「哲学の先生と人生の話をしよう」)を読めば一目瞭然だ。家族の問題、恋愛の悩み、仕事のトラブル……國分はどんな悩みも常にその人にとっての運命とは何か、性とは何か、社会契約とは何かという問いを交えながら答えてゆく。言いかえれば大きな人類の歴史と、小さな個人の人生のあいだをつなぐものとして、歴史から人生を考えるものとして國分の哲学は存在する。
     だから、というわけではないのだろうけど、この日の議論はおもに「中間のもの」について交わされることになった。そこでは〈市民〉と〈動物〉、という概念がおもに取り上げられているが、それは同時に個人と世界をつなぐもの、歴史と人生をつなぐものでもあるだろう。
     〈消費社会〉に〈情報社会〉としての顔が加えられたとき、この〈中間のもの〉はどう変化してゆくのか。〈消費〉と〈浪費〉のあいだにあるものをめぐるこの日の議論は、そんな新しい問いを浮き彫りにしたように思える。(宇野常寛)
     
     
    ■「消費社会」の可能性の中心はどこか
     
    宇野 今日訊きたいことは、國分さんはなぜ消費社会批判にこだわるのか、ということなんですね。消費社会論のブームは、1980年代のニューアカデミズム以来、すでに一巡した感があります。でも國分さんの『暇と退屈の倫理学』(以下『暇倫』)って、その終わったはずの議論に独特の手つきで戻ろうとするものだったと思います。そして、その射程はたぶんものすごく長い。
    國分 「なぜ再び消費社会論なのか?」という疑問はもっともだと思います。しかし、僕にとっては必然性がありました。簡単に言うと、かつての消費社会論や消費社会批判がまったくもって不十分であったというのがその理由です。僕は1993年に大学に入学していますが、当時はバブル時代への反省から「本当の豊かさとは何か?」という問題が、やたらと大袈裟に、そして説教口調で論じられていました。僕はそれに猛烈な反発があった。保守的な層の逆襲にしか思えなかったからです。あの頃の結論は結局「質素なのがいい」という話だったと思います。「清貧の思想」とかいうものも流行りましたし。
     僕の出発点には「自分が自分の楽しみを肯定できないなら、何のために生きているのか」という思いがあります。「みんな我慢して質素に生きなさい」というのはライフスタイルとして絶対に許容できないし、そもそもこういう物言いには権力のにおいがします。既成の秩序に人を従わせようという気持ちが見え見えの言い方です。僕はそれに猛烈に反発していました。しかし、それにどう対抗したらいいのかがまだわからなかった。ずっと考えていたのです。
     『暇倫』で提示した〈消費〉/〈浪費〉という概念は、そうした長い熟考の末に至りついたものです。この概念がボードリヤールから来ていることの意味を改めて考えていただきたいです。あれだけ騒がれた思想家を誰もきちんと読んでいなかった。そもそも彼についてのイメージが間違っています。彼はゴリゴリの左翼です。フランスによくいる古き良き左翼。そんなことは彼の本を読めばすぐにわかる。そんなことすらわからない連中が、1980年代あたりでしょうか、偉そうに「ボードリヤールがどうのこうの」とか言ったり、「ボードリヤールは消費社会の擁護者だ」というイメージを流布していたのです。僕は敢えてボードリヤールを使うことで、思想における消費社会批判なんて日本では誰もきちんとやっていなかったんじゃないかと問題提起したかった。もっと言うと、ボードリヤールへの愛着はそれほどなくて、ボードリヤールを使っていた連中に対する批判的意識が猛烈にある。
     あと、僕自身は意外とエコなので(笑)、やっぱり消費社会の大量生産・大量消費・大量投棄は何とかしなければならないとずっと思っていました。これまでは理念として「消費か質素か」の二者択一しかなかったから、新しい軸を入れたかったんですね。この思いは3・11以降は強まっています。あの本を書いている時に福島の原発事故が起こりましたが、僕は自分の議論に全く訂正の必要性を感じませんでした。ボードリヤールの消費社会論に依拠する〈消費〉/〈浪費〉の概念をむしろもっと強く社会に訴えかけないといけないと思った。
    宇野 1980年代の消費社会論はエコと質素が結びついていた。ところが國分さんの『暇倫』を中心とした消費社会論って、そこを反転したおもしろさがあると思うんですよ。
    國分 そうかもしれない。とにかく「一生懸命やっていればいい」とか「質素にやっていればいい」というのがすごくイヤなんです。「楽しく真剣に難しいことを考えよう」というのが僕のモットーだから。
    宇野 エコを倫理の問題から快楽の問題に読み替える、ということですよね。
    國分 そうですね。ただ、あれだけでうまくいくとは思っていません。まずは〈消費〉と〈浪費〉を区別し、現在の事態と議論を整理し、その上で、どこに「最適解」があるのかを具体的に考えていかないといけない。この「最適解」というのは中沢新一さんの言葉です。欲望やモノの流れなど様々な流れがうまく収斂していって落ち着く地点というものをイメージするための言葉なんだけど、僕はこれが放っておいてもやって来るとは思えない。『暇倫』でも論じたハイデッガーは1950年代ぐらいから「放下(Gelassenheit)」ということを言い出して、これは第一には「落ち着き」という意味なんですけど、最近、ハイデッガーの中にも「最適解」がおのずとやって来るというイメージがあったのではないかと考えています。僕はどうもそこは違って、不均衡と揺り戻しが常にあるように思われるんですね。人々が〈浪費〉を楽しめるようになったら様々な流れはある程度落ち着いていくとは思いますが、おのずと「最適解」がやって来るとは思えない。ここは引き続き考えていきたいところなんです。
    宇野 『暇倫』の続編を書くとしたらおそらくこの「エコを快楽に読み替えていく」回路の理論的整備に重点が置かれるような気がするんです。このとき僕がどうしても気になるのは前の対談(宇野常寛×國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」『すばる』2012年2月号、集英社)でも指摘しましたが、情報社会の問題なんですね。國分さんが映画『ファイト・クラブ』を引いて論じているような、マスメディアとコマーシャリズムが人間に画一化された欲望を植え付けて「ほんとうの豊かさ」を奪っている、という状況は端的に言えばインターネット以降の情報社会の拡大で大きく揺らいでいる。現に、テレビ、広告といったオールドメディアはそのせいで従来通りのビジネスモデルが揺らいで、四苦八苦している。
     逆に、ボーカロイドでもクラウドファンディングでもいいのだけど、自分で発見したものや自分が参加したもの、あるいは自分が応援したい人に対して発信することはとても気持ちのいいことなので、お金を払ってでもやりたい、という消費者像が台頭してきている。こうして考えると『暇倫』は消費社会批判のようでいて、同時に消費社会の可能性の中心を論じているようにも読めると思うんです。
    國分 一応確認しておくと、僕はロハス派じゃないんですね(笑)。まぁ、そのように誤解されたことはないので、これは『暇倫』の論述が成功したということかもしれません。僕は情報化社会の肯定的側面を様々な場面でかなり強調している方だと思います。僕自身がTwitterやFacebookに大いに助けられているし、それに特に政治に関しては情報技術は革命的な変化をもたらしましたね。新しい人間の絆が情報化社会の手段を使って人工的に組み立てられるということもすごく大切だし、新しい可能性でしょう。
    宇野 言ってしまえば、「資本主義の可能性をしゃぶりつくせ」ということでしょう?
    國分 そこまで言えるかはわからないけれど、とにかく一人ひとりが〈浪費〉できる対象を発見していけることが何より大切で、もちろんその中には資本主義経済によって提供されるものもたくさんあるでしょう。当たり前です。これはあまり適切な例じゃないかもしれないけど、確か昔、「コンピューターゲームでオナニーしているようなヤツはアホ」みたいな議論に対して、浅田彰が、「しかし、もしかしたら彼らはマウスを握る“この手”に何か快楽を感じているかもしれない。それは簡単なイメージの問題じゃないんですよ」とか言っていた(笑)。テキトーな引用で申し訳ないんですが、確かにどこにどういう快楽があるかなんて、わからないんですよ。
    宇野 バーチャルを〈消費〉している行為は現実でもあるわけですからね。
    國分 そのバーチャル/リアルの区別は僕の次の本のテーマに深く関わってきます。たとえば性行為だったら「肉体と肉体がぶつかるリアルなものが良くて、バーチャルはくだらない」という語り口があります。でもバーチャルなものが関わらない性のあり方なんてありえるんだろうか? 妄想まったくなしで気持ちよくなるなんてありえない(笑)。妄想がまったくない性的快楽というのは、男性の場合だったら、単に身体の中の管を液体が通るという快楽ですけど、それで性的〈快楽〉が語り尽くせるわけがない。
     つまり、〈快楽〉って、バーチャルなイメージと完全には切り離せない、不純なものだと思うんです。そうすると、〈快楽〉に不純物として入り込むバーチャルなものは、〈消費〉的なロジックとどう関係があるのかを考えないといけない。 
  • 國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第8回テーマ:孤独や寂しさについて ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.220 ☆

    2014-12-11 05:50  
    216pt

    國分功一郎「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」 第8回テーマ:孤独や寂しさについて
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.12.11 vol.220
    http://wakusei2nd.com





    お待たせしました! 哲学者・國分功一郎先生による大人気連載『哲学の先生と人生の話をしよう』最新回をお届けします。今回のテーマは、「孤独や寂しさについて」です。
    ※ニコニコチャンネルツールのメンテナンス期間につき、いつもより1時間早く朝6時前に配信しています。ご迷惑をおかけしていますが、ご了承いただければ幸いです。
     
    『哲学の先生と人生の話をしよう』連載第1期の内容は、
    朝日新聞出版から書籍として刊行されています。

    ▲國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版、2013年)
     
    書籍の続編となる連載第2期「帰ってきた『哲学の先生と人生の話をしよう』」の最新記事が読めるのは、PLANETSメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」だけ! 過去記事はこちらのリンクから。


    みなさん、こんにちは。
     すこし体調を崩しておりました。配信が遅れてしまい申し訳ありません。
     早速本題に入ります。今回の相談テーマについて、前回、次のようなメッセージを皆様にお送りしました。
    「さて、今回の相談を見ていても、更には世の中を見ていても、最近同じことを思うのです。人が孤独でいられなくなっている。孤独の大切さが忘れられている。皆が孤独でいられず、寂しさに苛まされ、他者をやたらと求めるようになっている。つながり、絆、コミュニティ、地域社会…、それらはとても大切。でも、どうもそうしたものが我々を浸食しつつあるのではないか。次回は孤独と寂しさについて考えたいと思います。孤独や寂しさについての相談をお寄せください。」
     「孤独と寂しさ」、それが今回のテーマですが、実は驚くべきことに、これまでにない数の相談が編集部まで送られてきました。とてもすべてにお答えすることができない数です(何か、別の仕方を考えます)。それにしても、なんということでしょう、「孤独と寂しさ」というテーマが最も多くの相談を招き寄せたのです。
     もちろん、偶然かもしれません。あるいは、編集部の努力のかいあって、プラネッツメルマガの読者が増えているということかもしれません。しかし、「恋人関係」でも「だらしなさ」でも「勉強」でも「人間関係」でもない、「孤独と寂しさ」こそが読者の皆さんの心に訴えかけ、「相談を寄せてみよう」と思わせたというこの事実に、私は心動かされずにはいられません。
     現在、といっても、ここ10年かそこらという気がするんですが、コミュニティとかつながりとか地域社会といったものが世間で強調されるようになりました。これは20年前、私が大学生だった頃には考えられなかったことです。あの頃は、そういうタームを口にすることが自体が憚られました。
     今思えば、あの頃は、「閉じられているのは悪いことで、開かれているのがいいことだ」というイデオロギーがあったように思います。「開くことがいいことだ」、「閉じられた共同体はダメであり、開かれた社会でなければならない」、そういったことが思想界で空虚に呪文のように唱えられ、僕のような頭でっかちのインテリぶった学生が何の疑問も持たずにそれらを口まねしていました。
     開かれているとはどういうことなのか? いったい何を開くのか? よく考えずに、ただただ「閉じているのはよくないことだ」と思っていたのです。「コミュニティー」や「共同体」といったタームは僕にとって、人間を縛る悪しき束縛でしかありませんでした。
     しかし、そのような思想は、具体的な生の現場を無視して頭の中で作り上げられた抽象的な物語にすぎないということがだんだんと理解されるようになっていきました。僕自身もそのことにだんだんと気づいていきました。
     近くにいる人と協力するのは大切ですし、つながりといっても人を縛るものだけではありません。そもそも「コミュニティー」とか「共同体」という語が、ぼんやりと「ムラ社会」と同一視されていたようなところもありました。しかも、今思えば、「ムラ社会」の何たるかも曖昧でした。
     ですから、コミュニティーや地域社会、さらにはつながりといったものが具体性をもって想像され、積極的な意味を込めて語られるようになったことを僕は歓迎しました。「なるほど、よくわかっていなかった、コミュニティーは大切だ」と思うようになったのです。いまもそう思っています。特に、自分が住民運動に関わっていた時はそれを強く実感したものです。
     ただ、最近、それと同時にこういうことも考えるようになったのです──「コミュニティーやつながりは大切だが、どうも最近、コミュニティーやつながりの大切さだけしか論じられなくなっているのではないだろうか?」、と。つまり、それと並んで論じられるべき別のものが論じられなくなってしまった気がするのです。では、コミュニティーやつながりばかりが論じられることで論じられなくなってしまったものとは何か? それは個人であり、自由であり、孤独だと思うのです。
     僕自身は、個人と自由と孤独のために哲学をやっています。もちろん、コミュニティーや社会、あるいは政治も自分の哲学研究の対象としています。というか、どちらかというとそれらが中心なんですが、自分の最終的な目標は、個人と自由と孤独です。なぜかといえば、僕自身、それらがなければ生きていけないからです。個人と自由と孤独を縛ろうとするコミュニティー、個人と自由と孤独が認められない社会、個人と自由と孤独を抑圧する政治──そうしたものを生み出さないために、哲学をやっています。
     ですので、現在、個人と自由と孤独の大切さが顧みられなくなっていることがとても残念です。これらは誰にとっても大切なことだろうと思われるからです。そして、残念なだけではありません。僕は心配しています。何らかの危機を予想しています。これらが重視されなくなることはとても危険なことなのです。どういうことか? これら三つの語のうち、今回のテーマに掲げた孤独から出発してこれを考えてみましょう。
     孤独を考える時、絶対に避けて通れないと思われるのは、哲学者ハンナ・アレントが大著『全体主義の起源』の中で強調した、「孤独solitudeはさびしさlonelinessではない」という考えです(ハンナ・アーレント、『全体主義の起源 3』、みすず書房、p.320)。
     アレントはこのことを説明するために、ギリシャ生まれの解放奴隷で哲学者だったエピクテトスという人の言葉を引いています。エピクテトスは「孤独な人間は独りであり、それ故、自分自身と一緒にいることができる」と言いました。あるいはまた、孤独な人間は、「自分自身と話す」ことができて、「自分自身のもとにいられる」とも。 ここから次のように推論できます。さびしさを感じている人間は、さびしさゆえに、自分自身と一緒にいることができない。自分自身と話すことができず、自分自身のもとにいられない。これはたとえば、落ち着いて自分を見つめることができず、ただただ欠落感を抱えながら他者を追い求めてしまう状態を指しています。
     アレントはまた、さびしさというものは、他の人々と一緒にいるときに最もはっきりと現れて来るとも述べています。周りに人はいる。しかし、自分はその中で孤立し、見捨てられているように感じる。だから誰かを追い求めてしまう…。どうして自分がそのように感じるのかを自分と話してみることもできず、自分と一緒に自分を見つめ直すこともできない…。
     そのようなさびしさを抱えた時、人は何でも受け入れるようになります。とりわけアレントが重視したのは、そうしたさびしさを抱えた人間たちが全体主義的支配を受け入れるという事実でした。