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「プレステ2」「Xbox」が告げる〈仮想現実の時代〉の終焉(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.280 ☆
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「プレステ2」「Xbox」が告げる〈仮想現実の時代〉の終焉(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.280 ☆

2015-03-12 08:10
    【お詫び】本日配信の「ほぼ日刊惑星開発委員会」ですが、編集作業に時間がかかってしまい、今朝の午前7時に配信することができませんでした。楽しみにしていただいていた読者の皆様、大変申し訳ございませんでした。さきほどより配信・公開いたしましたので、ぜひ、ご覧ください。今後ともPLANETSのメルマガ「ほぼ日刊惑星開発委員会」を楽しみにしていただけますと幸いです。

    ※メルマガ会員の方は、メール冒頭にある「webで読む」リンクからの閲覧がおすすめです。(画像などがきれいに表示されます)

    「プレステ2」「Xbox」が告げる
    〈仮想現実の時代〉の終焉
    (中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.3.12 vol.280

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    好評の大河連載『中川大地の現代ゲーム全史』は今月よりペースアップし、月2回配信でお届けします! 今回は新章となる第9章「和ゲー成長期の終わり/二極化してゆくゲーム産業」のプロローグです。2000年前後のIT革命、Xboxの登場などグローバル化の荒波のなかで、日本のゲーム産業はどう変わっていったのでしょうか――?

     
    「中川大地の現代ゲーム全史」
    第9章 和ゲー成長期の終わり/二極化してゆくゲーム産業
    2000年代前半:〈仮想現実の時代〉終期(1)
     
    前回までの連載はこちらのリンクから。
     
     
    ■〈夢の欠片〉としての日本ゲームの終焉
     
     かつて宇宙開発への期待が人類のテクノロジカルな進歩の中核を担っていた〈夢の時代〉、2000年や21世紀といった数字は、そのままSF的な「未来」の世界観を表象する記号に他ならなかった。第二次世界大戦後の経済成長によって、1950〜80年代あたりを生きた先進国の人々は、その時点までの数十年間のスパンの間に、未曾有の科学技術の発展が人類の文明生活を一変させるさまを経験した。そして、その進歩のビフォー/アフターの落差が、ますます拡がりながら未来の時間軸にも折り返されてゆくと信じたのだ。それゆえ、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』に代表されるように、たかだか半世紀以内の間に人類が宇宙へと生活圏を広げたり、意識を持つ人工知能が人類に哲学的な問いをもたらりする、見果てぬ〈夢〉が実現されているはずの「現代」からは飛躍した年代として、2000年代は想像されていた。
     そんな想像力が影響してか、メモリ容量の少ないコンピューター黎明期に制作されたプログラムでは、年号処理が2000年以降の使用を想定してしていなかった。したがって、現実の2000年のテクノロジーをめぐっては、様々な情報処理システムが同年になると誤動作を起こすかもしれないという「2000年問題」への懸念が、世界を騒がせるに至った。言うなれば、かつて人々がイマジナリーに抱かれていた00年代の技術への〈夢〉と、現実の〝進歩の遅さ〟との齟齬を示す事象として起こったのが、2000年問題だったと言えるだろう。
     
     第4章までに論じてきていたように、コンピューターゲームとは、テクノロジーの系譜としては、元々は宇宙開発に代表される巨大科学への〈夢〉がハッキングされ、パーソナルな体験の提供物へと解体・民主化されていく過程の徒花として生まれた〈夢の欠片〉とも言える技術産物だ。それゆえ、2000年問題で〈夢〉の頓挫が露呈したのと同様、2000年代前半は、世界の最先端を切り拓いてきた日本ゲームの進歩が、ひとまずの頭打ちを迎えた時代だったと言える。
     1980〜90年代にかけては、家庭用ゲームの代替わりに駆動されるかたちで、絶えず新たなゲームジャンルが生み出されてきた。しかし90年代後半にポリゴン表現を用いたゲームのカンブリア爆発的な試行錯誤を経て一通りの文法化がなされたことで、据え置き型ゲーム機でプレイできるゲームデザインの破壊的イノベーションは一段落を迎える。以後は3D空間内のアクションをゲームパッドでいかにコントロールするかという基本的な操作系を一定程度規格化しつつ、主にはハードの更新にともなうポリゴングラフィックの高精細化のような漸進的なイノベーションの段階に入ってゆく。
     加えて、右肩上がりの成長を続けてきた国内の家庭用ゲーム市場もまた、1998年を境に縮小に転じていた。内容面のみならず市場規模のうえでも、日本ゲームは高度成長期を終え、バブル崩壊後の経済全体の傾向から10年ほど遅れて下降線を辿り始めていたのである。
     
     その一方で、ゲームと同じく宇宙開発に端を発するもうひとつの技術系譜であったインターネットの急激な普及は、いよいよ時代のモードを変えつつあった。ADSLなど常時接続型の安価なブロードバンド環境も整えられたことで、結局、2000年問題によってもいささかも水差されることなく、IT革命は進行。もはや情報技術が一部の専門家や好事家のフェティッシュの具ではなく、誰もが仕事や生活で日常的に扱う実用インフラとなったことこそ、この時代のゲームにとっての最も重大な環境的前提に他ならない。
     なぜならこの変化によって、遊戯の体験を通じて一般家庭に先端的なテクノロジーの息吹をもたらすという、ファミコン以降のテレビゲーム機が担い続けてきたフラッグシップとしての役割が、完全に終焉を迎えてしまったからだ。GUIを備えたパソコンや、1999年に「iモード」をはじめとするネットサービスも始まった携帯電話といった実用機器で、様々なアプリケーションをクリックひとつで使えたり、WWWのサイバースペースを際限なくネットサーフできたりする環境が自明化したことは、コンピューターゲームが〈仮想現実〉として先行提供してきたテクノロジー体験が、同質の生活現実によって追いつかれてしまったことを意味していた。のみならず、人々の可処分時間や金銭を費やす遊戯性の体験としても直接的に競合し、ゲーム市場縮小の一因となった側面さえ否定できない。
     つまりは、宇宙開発の〈夢の欠片〉として始まり、「ここではないどこか」の体験を創り続けてきたスタンドアローンゲームの体現する〈仮想現実の時代〉のひとまずの終焉期として、00年代前半は位置づけられるだろう。
     
     具体的な状況としては、据え置き型ゲーム機のハード性能の進歩による3Dグラフィックスの要求クオリティの高まりや投資金額が高額化し、商業的なゲーム開発が大規模化してきたことの影響が大きい。とりわけ、市場を制するゲーム機が00年発売の「プレイステーション2」へと代替わりしたことが決定打となって、体力のある大規模ベンダーしか市場に残れなくなってきた。
     
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    ▲プレイステーション2(ソニー・コンピュータエンタテインメント)
     

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