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FPSが先導するグローバル・ゲームの転回〜『Halo』『ハーフライフ2』〜(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.333 ☆
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FPSが先導するグローバル・ゲームの転回〜『Halo』『ハーフライフ2』〜(中川大地の現代ゲーム全史) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.333 ☆

2015-05-29 07:00
    【お知らせ】落合陽一さんの月イチ連載『魔法の世紀』ですが、次回は来月(6月)初旬に配信予定となります。楽しみにしていただいている読者の皆様には大変申し訳ございません。今しばらく、お待ちいただければ幸いです。

    FPSが先導する
    グローバル・ゲームの転回
    〜『Halo』『ハーフライフ2』〜
    (中川大地の現代ゲーム全史)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.5.29 vol.333

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    本日は、隔週連載となった『中川大地の現代ゲーム全史』最新回をお届けします。
    今回のテーマは、今や世界のゲーム市場のスタンダードとなった「FPS」。なぜ日本ゲームは覇権を失ったのか? 日本ゲーム市場の特殊性と、FPSというジャンルが成長し得た要因について振り返ります。

     
    「中川大地の現代ゲーム全史」
    第9章 和ゲー成長期の終わり/二極化してゆくゲーム産業
    2000年代前半:〈仮想現実の時代〉終期(6)
     
    前回までの連載はこちらのリンクから。
     
     
    ■ ゲームエンジンのオープン化が駆動したFPSの隆盛
     
     日本のゲームが、3DCGの時代に入っても2D時代からのゲームデザインを踏襲しつつ、ストーリーやキャラクター表現などの細部を拡充・複雑化させていく大作シリーズか、ワンオフ的な職人芸やゲームデザイン上のアイディアの新奇性で勝負する佳作に二極化して進化の袋小路に突入していく一方、アメリカを中心とした海外ではテクノロジーの進歩を直接的に投入するかたちでの右肩上がりの成長がリニアに継続していた。とりわけ『DOOM』や『Quake』で確立したFPSというゲームデザインは、本質的な骨格はタイトルによってほとんど変わることがなくとも、パソコン自体の急激なスペックアップに合わせたグラフィックや処理性能の向上を、身体的に実感できるベンチマークのような花形ジャンルとしてスタンダード化してゆく。
     メルクマールとしては、閉鎖空間内での撃ち合いだった『Quake』に対して広大なフィールドを舞台にした『Unreal』(エピックゲームズ 1998年)や、単なる撃ち合いではなく一人称視点でできる高度なストーリー表現を追求した『ハーフライフ』(バルブソフトウェア 1999年)が登場し、やがてこのジャンルの3大シリーズと称されるようになるタイトルが、1990年代後半には出揃っている。いずれも始祖の『DOOM』がそうだったのと同様、3Dでの空間描画や物理演算など、ゲームの基幹部分を構成するプログラムエンジンがオープン化され、多くの個人や他社にもライセンス供与されて利用された。単体タイトルに投じられた開発成果がそれだけに留まらず、汎用フォーマットとして共有されて裾野を広げるモーメントを持っていたことが、このジャンルの強みと言えるだろう。これらのゲームエンジンを基盤に、ユーザーが自主制作したMODの集積が製品化されるケースも登場し、例えば『ハーフライフ』のエンジンを流用しながらオンライン対戦に特化した『Counter-Strike』(バルブソフトウェア 1999年)がジャンル史的なインパクトを残している。
     
     FPSがこうしたスケールメリットを獲得した背景には、日本とは異なりパソコンゲーム市場全体が健在であったことや、ハッカーコミュニティの裾野の広さなどが、直接的な要因として挙げられる。ただし、より根底的な条件を問うなら、ゲームの〈仮想現実〉世界の構築において、実写的・自然主義的なリアリズムを志向する西洋近代型の遠近法的な空間認識が、われわれ日本人が想像する以上に強固な規範として根を下ろしている比較文明論的な前提を無視することはできないだろう。つまり、ゲームを進歩させる方向性として、「人間が知覚する現実そのものと見分けのつかない〝見たまま〟の体験に可能なかぎり漸近すべきである」というシンプルな理念が作り手と受け手の双方で自明に血肉化されているために、多くのティベロッパーが同一の方向を競って追求することについて、彼らには一切の迷いがない。
     翻って、日本国内のうるさ型のゲームマニアやエッジの立ったクリエイターたちは、宮本茂や飯野賢治などに典型的なように、えてして「美麗な3DCGの進歩は、ゲームそのものの面白さの本質とは関係ない。むしろ2Dドット絵時代のようなローテクな創意工夫の積み重ねによって、誰も見たことのないシステムや視聴覚様式を発明し、多様な遊びの体験を発明し続けることこそが望ましい」といった美学を抱きがちだ。こうした意欲が、1990年代の国産ゲームソフトのカンブリア爆発を促してきたのはこれまでの章で見てきた通りであるが、言うなれば常に個々の作り手たちが、一シリーズごとにリスクを背負って唯一無二の破壊的イノベーションを起こし続けねばらないという強迫観念に等しい。実際的にはそれは、2000年代前半には『ガンパレ』や『塊魂』などを最後に息切れを起こしたという結果からみれば、長くは持続しえない夢想に他ならないものだった。
     FPSを中心とする00年代の洋ゲーでは、そうした袋小路に陥ることなく、現実の物理法則という普遍的なレファレンスに準じたゲームエンジンによって、基本的な体験生成のシステムを規格化。その上で、バックストーリーの題材やビジュアルの質感、ゲームとしてのルール設計やレベルデザインの違いといった面での個性化と漸進的イノベーションの余地を残し、個々のタイトルがしのぎを削る競争環境が整う。こうした効率的な水平分業がなされたことで、和ゲー市場の停滞とは対照的な、持続的成長の礎が築かれたのである。
     

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