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10年代のユースカルチャーを語るために
(稲葉ほたて)
(稲葉ほたて)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2015.6.26 vol.353
本日は、ネットライター・稲葉ほたてによる論考「10年代のユースカルチャーを語るために」を配信します。ゲーム実況など最新のユースカルチャーを考えるために、既存の文化批評の言葉に足りない要素とはなにか?を考えた論考です。
この10年で起きたことを端的に言えば、支配メディアの覇権が、雑誌やテレビからインターネットへとシフトしたことである。それに伴い、コンテンツ産業では「売り切り型」のビジネスモデルが急速に崩壊し、新たなビジネスモデルの模索が課題となった。継続的にユーザーにサービスを提供していく「運営型」のビジネスモデルは、その状況における最適解の一つである。
10年代はCGMの時代
その中で台頭したのが、基本無料でありながら、払える人間からはガッツリ貰うという、AKB48などのグループアイドルや『パズドラ』などのソーシャルゲームで駆使された「フリーミアム型」、それもCDや魔法石を買えば買うだけサービスが受けられる「アイテム課金方式」のビジネスモデルであった。
しかし、こうした文化で若者が中心になれることはない。単純な話だ。子供はカネを持っていない。実際、ネットの「嫌儲(けんもう)」と言われる文化圏には、実は子供の書き込みが多いとしばしば言われる。代わりに、彼らはむしろニコニコ動画やpixiv、あるいは掲示板などの、無料ユーザーでも有料ユーザーとほぼ変わらずに楽しめるネットのCGM文化へと流れこんだ。
かくして、カネに余裕のある大人ほど有利な「運営型」の有料文化に対して、カネはないが時間だけは有り余っている子供ほど有利な「CGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)」の無料文化という、ある意味では大変に殺伐とした図式が成立した。パッケージモデルという、良い物を作って定価で売るサイクルを繰り返せばよかったビジネスモデルの時代には、ここまで露骨にはならなかった「格差」とも言える。
では、そこで若者が殺到したCGM文化とはどんなものか? ここでカゲプロやヒカキン、マイクラやミクチャなどの固有名を挙げるのは簡単だ。しかし、CGMの本質はそこにはない。重要なのは参加型メディアとしてのネットにおける、人間の「使い方」であり、人々が込める「欲望」である。それを「ミーム」と呼んでもよい。
例えば、かつて「ゼロ年代批評」とでも言うべきものが存在した。当時の若手批評家が担ってきたそのムーブメントは、特に後半においては、ほぼ情報技術がもたらすソーシャル性優位の文化の登場に、旧来のカルチャーや政治がいかに向き合うかが主題となっていた。
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