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ルールのないゲームたち
――ゲームにルールはどのように必要なのだろうか?――
(井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第3回 )
【不定期配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.2.8 vol.513

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今朝のメルマガは井上明人さんの『中心をもたない、現象としてのゲームについて』の第3回です。7つのルールを元に新たなルールを生成するゲーム「ミニマム・ノミック」。そして、個別具体性のない理念としてのみ機能する「ルーウィのルール」を主題に、ゲームにおけるルールの定義の問題について論じます。


▼執筆者プロフィール
井上明人(いのうえ・あきと)
1980年生。関西大学総合情報学部特任准教授、立命館大学先端総合学術研究科非常勤講師。ゲーム研究者。中心テーマはゲームの現象論。2005年慶應義塾大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。2005年より同SFC研究所訪問研究員。2007年より国際大学GLOCOM助教。2015年より現職。ゲームの社会応用プロジェクトに多数関っており、震災時にリリースした節電ゲーム#denkimeterでCEDEC AWARD ゲームデザイン部門優秀賞受賞。論文に「遊びとゲームをめぐる試論 ―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか」など。単著に『ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)。
本メルマガで連載中の『中心をもたない、現象としてのゲームについて』配信記事一覧はこちらのリンクから。


■1-3.ルールのないゲームたち――ゲームにルールはどのように必要なのだろうか?――

<事例:ミニマム・ノミック>
 
 「ゲームとは何か」と問われた時、多くの人が思いつくのが「特定のルール内での競争」のようなイメージだろう。これはかなり素朴なゲーム観としては、しばしば支持されるようなものだと言っていいだろうし、遊びをめぐる研究者でもこのゲーム観を支持する人はいる[1]。もう少しそれらしく、定義して「プレイヤー間で明確に共有され、固定されたルール」を通じて遊ばれるものをゲームだと捉えるとしよう。実際、ゲームをプレイしたり、ゲームを作ったりするのに、このゲーム観でじゅうぶんであるということは多い。
 だが、前回までゲームという現象の複数の側面について紹介してきたわけだが、ゲームという現象のたらえがたさは、このゲーム観だけだとどうにもならないようなことがしばしば発生する。
この側面を考えるため、今回は『ノミック』と名付けられたアナログの対話型ゲームの検討から話をはじめたい。
 このゲームは、ルールのないゲームである。
 正確にいえば、ルールというものがきちんと固定されていないゲームである。
 このゲームは、最初にルールを作るためのルールが設定されている。特に、ノミックの簡易版として作られた『ミニマム・ノミック』[2]などは初期ルールが、これだけしかない。
 
一〇一 競技者は時計回りに手番が回ってくる。
一〇二 手番の中で行うことは、規則変更を一つ提案し、それを投票にかける。
一〇三 規則変更は投票が有権者の間で満票であった場合にのみ採択される。
一〇四 採択された規則変更は、その採択を行った投票の直後、直ちに発効する。新しく制定された規則は二〇一番から順次付けられる。一度破棄された規則の番号は永久欠番とする。
一〇五 競技者は常に一票の投票権を持つ。
一〇六 二つ以上の規則が矛盾するとき、最も若い番号の規則が優先する。
一〇七 競技者間で、手の合法性、規則の解釈・適用に関して意見の不一致があった場合、現在手番になっている競技者の右隣の競技者が判事となり、判決を下す。(このような手続きを裁判と呼ぶ)。判事の判決は、次の手番の直前に行う投票で、当該判事以外の全員一致を見ない限り、くつがえされない。判決がくつがえされた場合、その判事のさらに右隣の競技者が新たな判事となり、再度裁判を行う。以下同様。
 
 これだけ読んでも何のことかはわかりにくいかもしれない。
 ノミックは「ルールの変え方」が記述されている。ノミックを遊ぶとき、ルールは次々と変更されていく。
 あるときは、少数派のプレイヤーが多数派の専制によってどんどんと不利なルールを押し付けられていく。あるときは、ルールの変更をめぐる裁判論争が延々と長引き、もっとも声の大きかったプレイヤーが勝利を手にする。あるときは、国会の運営のように、参加者同士が党派をつくってルール変更をお互いに牽制しあう。
 このゲームでは何気ないルールの変更によって、ゲームでの有利不利がガラッと変動する。ゲームがすすみ、ルールの数が増えれば増えるほどに、ルールの全体構造は複雑性を増し、意外な一手が、ゲーム全体の構造を変化させる。そのダイナミックな構造変化を楽しむことがこのゲームの醍醐味だと言えるだろう。
 
 典型的なノミックのゲームの推移はおおむね次のようになる。
 たとえば、最初の段階では、何をしたら勝利なのか。得点はどうすれば発生するのか。といった基本的なことが決められていない。
 ノミックを遊ぶとき多くの場合は、まず「勝利」の方法の提案か、「得点」をする方式の提案から、ゲームがはじまる。「点数が一〇〇点で勝利とする」「一五時になった瞬間に得点が最も少なかったものを敗者とする」などといった具合だ。
 これが決まると、次は、得点の取得方法として「提案が可決されると一回につき一〇点」「全員最初の持ち点が一〇点で、提案が可決されるごとに、点数が倍になる」などといったルール提案が続き、それが決まると、採択ルールの変更が提案される。この採択ルールは基本的には多数決になりがちで、採択が満票なのか過半数でよいのか、といった形で複数の人間が自分に有利なようにルールの提案を行おうとしはじめる。
 特に、この採択ルールがクセモノになりやすい。たとえば、プレイヤーが六人いたときに、四人がメガネをかけているとすると、
 「メガネの人は全員五〇点を得る」
 という提案が出てきて、採択ルールが緩ければ、この提案はかなり可決されやすい。
 「提案が否決されるごとにマイナス一〇点」
 「採択は三人以上の賛成で成立する」
 「ルールの間に衝突があった場合、斉藤さんの判断で全てが決着する」
 など新しくルールが追加されるごとに、それまでのプレイヤーの有利・不利は大きく逆転する。二分前までもっとも有利だったプレイヤーが、一瞬にして、もっとも不利なプレイヤーになることが予想外の方向から起こってくる。
 誰かが、勝利かと思われたその瞬間にも一悶着が起こることが多い。
 「勝利とは、ゲームの終了を意味しないのではないか。その人がもっとも優勢である、ということを意味するだけではないのか。よって、まだゲームは終わってない」
 「いや、勝利とはゲームの終了を意味するはずだ!」
 と議論がおこると、ここで一〇七番のルール「裁判」が活きてくる。これで、勝利がゲームの終了とイコールである、と認められないとゲームは終わらない。その瞬間をみこして、一〇七番のルールに予め修正を加えておく知恵の回るプレイヤーもいる。
 この議論を経た後に、結局ゲームの「終了条件」をゲームの「勝利条件」とは別にして追加ルールが書き加え、ようやくゲームが終了へと向かうといったようなことも起こる。
 
 このゲームを開始した当初は、アイデアマンが有利になるようなゲームだというような雰囲気を一瞬おもわせる。
 しかし、「過半数採決」のルールが可決された途端に、ゲームの構造はいかにマジョリティを味方に付け、引きこむかというゲームに変わる。
 そして、後半ではどういった、要素がゲームにとって鍵を握るかは、わからない。修正されたルールのすべてをきちんと覚えておけるプレイヤーが有利であることもあれば、議論をふっかける能力の高さが重要になることもある。あるいは、それまでのゲームプレイで高い好感度を勝ち得ているプレイヤーが有利になることもある。または、全く捻りなく、多くの提案を通した人間が勝利する場合もある。
 

 このゲームはそもそも、法哲学者のPeter Suberによって作られ、その後、様々なバージョンにカスタマイズされたものが作られた[3]。本稿で紹介したのは、畠山昌則によって作られたバージョンである。
 前回、ゲームという現象は、どうも捉えがたい複雑さを持っているというように述べたが、ノミックはゲームのもつこうした複雑さを表す代表的な事例の一つと言える。
 さきに、「プレイヤー間で明確に共有され、固定されルール」をゲームの素朴な構成要素の一つとして挙げたが、言うまでもなく、この『ノミック』は「明確で固定されたルール」という要素を、必要としていない。必要とされているのは、現在どのようなルールであるかということが明確に合意されているという状況だけである。このルールに関する知識共有が前提として成り立つのであれば、ノミックは機能する。
 つまり、最初の
A-1 「プレイヤー間で明確に共有され、固定されたルール」
という構成要素はもしかすると、ゲームという現象が成立するための必要最小要件としては不適当であり、
A-2 「プレイヤー間で明確に共有された個別具体的ルール」
 という記述で、最小要素としては十分なのということが言えるのではないか、と。

 
<事例:ルーウィのルール>
 
 しかし、ここでさらに厄介な事例が出てくる。リンダ・ヒュージ(Linda Hughes)という民俗学研究者が報告している「ルーウィ・ルール」と呼ばれるケース[4]だ。このケースでは、「ルールの明確化」を促せば促すほど、ゲームが機能しなくなってしまう、という状態が示されている[5]。


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