前回

【連載】ホワイトアンドピーチができるまで~起業まで・前編~
http://ch.nicovideo.jp/article/ar12260

の続きです。
前回はつらくなって中途半端なところでやめてしまいました。

****
私は今でもたびたび、「私は生きていて良かったのだろうか」と思うことがあります。

23歳のとき、仕事ができなくなり、無職になり、ネットとギャンブルに依存する毎日でした。
毎日が不安で苦しく、消えてしまいたいと思っていました。

ある日、本気で死のうって思いました。

それまでも自殺騒動を数回起こしていましたが、その日は本気で死にたいって思いました。

****

私は気を失ったまま救急車で搬送されました。

病院で順番待ちをしているときに、一瞬目が覚めました。
ひどく苦しくて、その場で
「苦しいからどうにかしろ!!!」
と叫びました。

ほんの数分目覚めただけなのですが、そのときの苦しさが、心の苦しみとは比べ物にならないほどつらいものだったので、それ以来、死にたくても死ぬ行為を実行することがなくなりました。

退院後、なぜか気分がスッキリし、そのままハローワークへ行きました。

仕事はトントン拍子で決まりました。
でも、いざ出勤してみると、しばらく人と関わりを持っていなかったせいなのか、数十人いるフロアでの仕事が落ち着かず、昼休みは話しかけられても言葉が出てこない日が続きました。

結局、その会社も2週間でやめてしまいました。
そのとき、やっと自分の病気が意外と重いということに気づきました。

****
私は就職活動をやめ、無期限の休養に入りました。

ギャンブルからは少しずつ離れ、少しでも稼ぐために自分のものをヤフーオークションで定期的に売っていました。
そして、お金のかからないゲームをやったり、テレビをみたり、ビデオをみたり、自分を追い込まないように心がけました。

そんなとき、ある求人広告に出ていたアマゾンマーケットプレイス(ネット上での中古本の販売)のアルバイトを見つけました。

正社員は精神的な負担が大きいことがわかっていたので、アルバイトから社会復帰を目指しました。
当時、ヤフーオークション検定ができたばかりでとりあえずその資格を取得していたのですが、履歴書に書いてみたところ、ネット販売経験者として即決でアルバイトが決まりました。

仕事は単調で、社会復帰にはぴったりの仕事でした。
ひたすらアマゾンに商品を出品し、交代で発送業務。

相変わらず、欠勤は多かったのですが、特に休んでも支障のない仕事だったので、引け目に感じることなく1年間その仕事を続けました。

その頃、ネットサービスの発達で、簡単に誰でもネットショップが作れるようになっていました。

私は迷うことなく、アルバイト代10万のうちの5万を仕入れにあて、副業でネットショップをオープンさせました。

私はフルタイムの仕事をはじめても、仕事が嫌いではないのに、どう頑張っても週3,4回通うのが精一杯でした。
当時、在宅勤務はまだメジャーではなかったので、独立はやむを得ない選択肢でした。

なぜ、肉球グッズにしたかはまた次回~

8bc5961379c1e61c895e4bce95bc7af649204dd3