「エヴァンゲリオン」ではいられない理由
「自分を救ってくれた曲」ってのもあるけど、「自分を救ってくれたドラマ」ってのもある。
今週話題にしていたアメリカの大ヒットドラマ「フレンズ」は、僕にとってそんな「自分を救ってくれたドラマ」の1つです。
とはいえ、何しろ94年のドラマなものだから、今更そのドラマについて語るのは引けると思っていたけど、今回、我らが東村アキコが入院して居た時にこのドラマにハマっていたと聞いて、これは語れるチャンスだと思い、思いっきり「フレンズの回」がやれて幸せでした。
1994年と言えば「エヴァンゲリオン」登場の前の年です。
日本ではバブルが本格的に弾け、経済的大混乱の中、翌95年には「阪神大震災」と「オウム無差別テロ事件」が起こります。
それまでの「なんとかなるんじゃない?」みたいな雰囲気は消し飛び、「何か」を忘れようとせんばかりに「巨大ディスコ」で半裸の女達が派手な扇子を振りながら踊り狂っていた時代です。
表面的には浮かれている様に見えて、その実「大人も子供も」先の見えない時代に怯えていたのがこの時代です。
そんな頃に発表された「エヴァンゲリオン」には、80年代の「華やかで楽観的な空気」は無く「得体の知れない不安と焦燥」と「行き場のないリビドー」が画面を支配していました。
「エヴァンゲリオン」は、その時代の空気を見事に捉えたわけです。
エヴァンゲリオンを一言で言えば「孤立した人間達の孤独の叫び」でしょう。
大きなテーマは「親の問題」です。
若いキャラクター達は皆、「不完全な親」に、怒りと憎しみを抱えながら「愛を渇望」しています。
そして彼らは、そんな苦しみを誰とも共有することが出来ずに「1人で苦しむ」しかないのです。
当時も今も日本人の多くがこういう状況にいるので、この作品が大ヒットしたのも頷けます。
「ダメ親ばかりの悲しい国」とも言えますけど、言い方を変えれば、この国はまだ「親に対しての期待が残っている」とも言えるのです。
同時期のドラマ「フレンズ」でも、「どうしようもない親」は沢山出てくるし、娘を兄と比較して、否定しかしないモニカの母親は、今だと典型的な「毒親」と言われる母親でしょう。
育児放棄や自殺した親など、エヴァンゲリオン同等のキツい親を持ったキャラクターも出てきます。
しかし、エヴァンゲリオンと決定的に違うのは、フレンズのキャラクターは「孤立」していないのです。