イチロー嫌い
僕はイチローが嫌いだった。
いくら尊敬する河合隼雄先生が「イチロー」を誉めていても、なんかもうあの「雰囲気」が気にいらなかったのだ。
「振り子打法」なる巧妙な打ち方も、失敗を避けるための姑息な作戦に見えた。
「そんな無難な戦法までして打率を上げたいか?」
なんてね。
今考えればそれはもう明らかに「嫉妬」だった。
何しろイチローが活躍している長い長い期間は、僕にとって「長い長い不遇の時」と重なるからだ。
僕だって、可能な限りストイックに漫画を描いてきたし、恥をしのんでやりたくない仕事だってしてきたのに、どういうわけか結果が出ない。
直接言われたりはしないのに「 山田玲司はもう終わりだwww」なんて言われているんじゃないかと思うようになる。
そんな毎日の中で目に入ってくるのが「イチローの大活躍」だった。
こうなるともう、彼のストイックな生き方も、ナルシスティック(に見える)話し方も、もう何もかも気に入らない。
しかしです。
そんなイチローでも打率は3割くらいだったわけです。
絶好調の時でも「打率5割」とかではなく(そもそもそんな人はいない)要するに打席に入ったら半分以上は、三振だのセカンドゴロだので、大半の打席は「みんなの期待」を裏切ってみっともなく凡退していたわけです。
なにしろ「物事が上手く行ってない時の人間」てのは、ろくにものが「見えてないもの」なのです。
そんなわけで、最近の僕は午前中の時間を色々な事を思索したり、描いたり、ゴロゴロしたりしながらメジャーリーグの試合をなんとなく見ています。
イチローはほとんど「代打屋」になっていて、水島新司の「あぶさん」みたいに頑張ってる。
記録更新に沸き立つ時期に全然打てない。
それでも淡々と次に備えている。
なんだかどんどんイチローが好きになってくる。
日本にいた時は、あの野村克也に「神の子」と言われていた「まーくん」こと田中将大も出てくる。
彼はなんとニューヨークヤンキースというレジェンド球団の先発投手になってる。
そしてこれがまた「ボッコボコ」に打たれてたりする。
僕の大好きなダルビッシュも打たれまくってる。広島のスーパースターだった前田も打たれまくっている。
「ああ・・もうこれで登板の機会はないのかな」なんて思っていると、しばらくして彼らはまた試合に出てくる。
そして、この前とは別人のような素晴らしい投球で、バカでかいメジャーリーガーをガンガン打ち取っていくのだ。
僕は気づいた。
「野球を観る」とは「勝っている人を観る」のではなく「懲りない人を観る」という事なのかもしれない。
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