━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
山田玲司のヤングサンデー 第157号 2017/10/16

「とんねるず」という弱者

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

その頃、暴れていたのは彼らだけじゃなく、高田純次や、鶴太郎や、鶴瓶なんかも暴れてはいたのだけど、とんねるずの暴れ方は1つ違っていた。


彼らは巨大なテレビカメラを引き倒し、破壊した。

定かではないが、それは数千万もするカメラだとか言われていた。



その時代、みんなが「とんねるずの番組」を観ていた。

僕もまた、そんな彼らが「退屈で保守的なお笑いの世界」で革命的な悪ふざけしているのを「新鮮な驚き」をもって観ていた。



とんねるずは、よく制作スタッフの個人名を口にした。

芸能事務所や、テレビ局内部の力関係をギリギリのラインまで暴露しているように見えた。


そして、彼らは無名の事務所から出てきた「その辺にいる元高校生」だった。


「祖師ケ谷大蔵」とか「成増」とか、東京の地元民にしか分からない事を平気でぶつけてくる感じも「地元の先輩」な感じだった。


そんな「どこにでもいる元体育会系の高卒ヤンキー」が、とんねるずだった。


逆に言えば、たいした肩書もなく、部活で大きな結果も出せなかった「社会的弱者」でもあったのだ。


そんな彼らが、テレビ局の東大卒を罵り、伝説の歌手「美空ひばり」と親交を深め、NHKの紅白に出て暴れているのは、当時の若者にとって「痛快」でしかなかったわけだ。


その部分は、良かったのだと思う。




「とんねるず」は、強者ではなく「強くなりたい者たち」だったのだと思う。

だからこそ、彼らは自分を卑下せず、社会的弱者を平気で叩いていたのだ。