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山田玲司のヤングサンデー 第163号 2017/11/27

「自分」とは何か?

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何よりも「自慢」は嫌われるのに、人は自慢をしたくなる。


少し前に、松本人志がラジオで「宮迫は嫌いやねん」と、話していたのを聞いた。

宮迫の何が嫌いかと言うと、なんだかんだ言って最後は必ず「自分の自慢話」をしたがるからだと言うのだ。

関係ない話を巧妙に繋げつつ、最後には必ず「俺ってすごいんですわ」という話で終わるらしい。


彼はいつも「もっと自分を誉めてくれ」と言っているから、それがうっとうしいのだと松本は言っている。



なんともありがちな話だけど、この話。宮迫の気持ちもわからなくはない。

どこか自分に自信がなくて、不安を抱えているから「お前はすごいで」と、尊敬する先輩に言ってもらいたいのだと思う。


反対に「大先輩」が後輩に「俺ってすごいんやで」と言っているケースも多く見られる。

後輩からすると、そんな時間は苦行でしかないのだけれど、この「大先輩」もまた「自分」の社会的評価に不安を感じていたりするのだと思う。



一方で、細野晴臣さんのトークを聞いていると、そういう「自分はすごいんだ」という話はまずもって出てこない。

すごい事をして来たことすら「どうでもいい」か「忘れちゃったんだよ」みたいに言っている。

細野さんのラジオでは何回も、ゲストの人が「細野さんそれすごいことなんですよ!」なんて逆に言っている。


こういう人には本当に憧れる。


僕はどちらかと言えば、かつては「宮迫側」の人間だったと思う。

「自分」を世間に認めて欲しいし、やたらに自信はあるのだけど、その反面とにかく不安だった。

「自分はすごいんだ」と、自分で言うのはかっこ悪いので、意識して避けるようにしてきたつもりだけど、そんなもの周囲にはバレていたに決まっている。

まあどんな人にでも「自慢の要素」は会話に入っているものだし、「卑屈の要素」よりはマシだとは思うけど、問題はバランスだ。


特に自分は優位な立場なんかにいる時は危ない。

そもそも先輩が後輩に(漫画家がアシスタントや編集者に)何かを自慢して「すごいっすね」なんて言われている姿は、とにかくみっともない。

力関係で言わせているだけだから、完全に「裸の王様」だ。



後になってジワジワと「なんてみっともない自慢をしていたんだ・・」なんて気がつけばまだ良い方で、いい年していつまでも自慢ばかりしている人も多い。

先輩の自慢話にはうんざりしていたのに、自分が先輩になると同じ事をしている。



僕はそんな事に気づいてから、そんな「自慢」を制御するようにしたけれど、これがどうにも難しい。

そんなの当たり前だ。

他者からの「すごいね」は、自分の不安を減らして、気持ちを前向きにしてくれる「魔法」なのだ。

がんばって「結果」が出た時くらいは賞賛されたい。

いいことがあった時なんかも、それを共感して欲しくて周りが見えなくなりがちだ。


だからこそ「自慢される側」の気持ちを想像する事は、とにかく重要だ。

彼女ができなくて毎年寂しいクリスマスを耐えてる友人に「自分の恋人がいかに可愛いか」なんて自慢はしてはいけないのだ。


女の子の中には「同性の敵が多い人」ってのがいるけど、敵を作っている原因の多くが、この「相手の気持ちを考えないで自慢してる」行為にあると思う。

「彼がくれるプレゼントはいつもセンスがないのよ」なんて愚痴を、彼氏ができたことがない女友達にしている人がいる。

これは敵が増えても仕方ないだろう。「言葉の残酷さ」に気づいてないのだ。



どうにも面倒くさい話なんだけど、誰にだって「自慢衝動」はあると思う。

大好きだった有名人から電話がきたりした時なんかは、僕も抑えられなくなる。

仕方ないので、10年位前から僕は「ごめん、自慢させて!」と、先に謝ってから報告していた。

聞き役のアシスタントは、決まって島根出身で人あたりの良い「山田裕太」だった。

彼は些細なことで幸せを感じる才能があって、根に持たないタイプの人だ。

「くそー・・それにくらべて俺なんか・・・」みたいな回路にいかない人なのだ。

今は中国人の彼女と結婚して、その事を漫画で描いているので見て欲しい。



それはともかく、この話には続きがある。

僕は「そんな事ばっかり意識しているみっともなさ」にも気づくのだ。

慣れてくると大抵の人は、相手の自慢を聞いてあげた分だけ、自分の自慢を聞いてもらう「バランス感覚」を身につけるものなのだ。