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山田玲司のヤングサンデー 第166号 2017/12/18

評論家を評論すると見えてくるものとは?

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「映画を観に行く楽しみ」とは何だろう。

改めて考えてみると、わざわざ映画館まで行って、1800円も出して、一次停止も私語も許されない空間にわざわざ約2時間もいるのは、やはり「特別な何か」を体験できるからだろう。


1人で行く映画も気楽でいいけれど、やはり映画鑑賞の醍醐味は「誰か」と一緒に行くことだと思う。

観た後に膨れ上がった「どうしたらいいかわからない気持ち」をお互いにぶつけ合って盛り上がるのはやっぱり楽しい。


それが期待を裏切った「最低の映画」でも「あれはひでえな」と言って一緒に笑えば、そこそこ「モト」は取れるし、自分の気が付かなかった部分を指摘されて「実は案外いい映画かも」なんてことになるのもいい。



好きな人と一緒の映画鑑賞もいいけど、映画に詳しい人との映画鑑賞もまた格別だ。

同じ映画を見ても、その背景や演出の工夫、関連作品の話などだけでも「得した気分」になれる。


やっぱり「詳しい人」がいると同じ体験でも、より深く味わえるもので、そこに「映画評論家」のニーズがあるわけだ。


最近特に「映画評論家」なるものがもてはやされている裏には、人々の好みが細分化して「みんなで観る映画」が少なくなったのと、ネット環境の変化により「過去の映画」が気楽に観ることができる時代になったからかもしれない。


「その時代」に乗り遅れても、後からは観られる。

そうなると、同時に「解説や分析」も欲しくなる。


外食先で美味しい料理に出会った時に、そのメニューのレシピを知りたいと思う人がいるように、映画も「この映画はいったいどんな人がどうやって作ったのだろう?」なんて思うタイプの人が一定数いるのだと思う。

「そんなもん、ただ観て感じるだけでいいんだよ」と言う人もいるけど、それじゃ面白くないのだ。


「恋した相手のことを徹底的に知りたい」みたいな気分にも似ているのかもしれない。


映画評論家になってしまうような人は、溢れる恋心を抑えきれずに、自分でその情報集めや分析をしてしまうタイプの人だろう。


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そんなわけで、今週ほ公式放送のネタが暗めなので、何か面白い企画はできないか、と思って考えたのが「映画評論家を評論してみよう」という企画だった。


普段誰かの作った作品を評価している人を、逆に評価してやる、という企画なので、これは面白くなるに決まってる。


ところがである。

この企画、考えてみるほどに難しい企画であることがわかった。

僕は各評論家の「メソッド」を分析するつもりだったのだけれど、それを伝えるためには、どうしても「その人が抱えているモノの歴史」を語らなければ伝わらないのだ。



そしてわかったのが、それぞれの評論家の人が「越えてきたもの」の大きさと「複雑さ」だった。