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山田玲司のヤングサンデー 第165号 2017/12/11

「聖なるもの」は、どこにいる?

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今更言うのも野暮だけど、いよいよ「地上波の番組」をみるのが困難になってきた。


メインパーソナリティーがマツコ・デラックスだったりすると、ギリギリその「テレビの虚構」やら「傲慢さ」や「思考停止」なんかを、マツコ本人が許そうとしないので、まだ見られるものの、情報バラエティとかはさすがにキツい。



特に「もう無理」だと思う部分は、人の紹介の時の「お約束」だ。

地上波で誰かを紹介する時には、決まってその人事を「学歴」や「受賞歴」や「売り上げ」なんかとセットで紹介する「アレ」。


学歴も特に普通な場合は紹介されず、東大やらハーバードだと絶対にその「学歴」は紹介される。

わかりやすく、その人の「価値」を紹介するのが目的なのだろうけど、人間の価値はそんなもので表せられるものじゃない。


そこで頭に浮かぶのは「あそこの家の長男は〇〇高校なんですって、すごいわよねえ」みたいに、他人の子供を競走馬みたいにランク付けしていた近所のおばさんたちだ。


僕の高校は地元でも有名な「バカ高校」だったので、その差別的な目線にはうんざりしていた。

僕がどんなに「宇宙や芸術や哲学のこと」を考えていても、行っている学校だけで「バカ」だと言われていたのだ。

親も含めてみんなが「そのノリ」で子供を評価するので、もはや地元社会に居場所なんかない。


様々なコンテンツで、「人の価値は学歴や売り上げなんかではない」とか、さんざん言われてきたのに、地上波ではあいかわらず「コレ」をやっている。


1番キツいのは「暗記が得意な天才少年」とか「ショパンコンクールで優勝した天才少女」とかの話。


彼らを讃えている空気は、意味なく「競争の場」に狩り出されて、努力のあげく敗北を味わう「多くの子供」を生んでいるのだ。


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魔法少女まどか☆マギカは、まさに「この種の悲劇」を描いたアニメだった。



興味深いのはこのアニメの脚本をしている人が「エロゲ」の出身だということだ。

まどマギの解説を始めてから、何人もの人が、その「エロゲ」の話を僕にしてくれた。


どうも今回の放送で、僕がエロゲに否定的だと感じさせてしまった部分があったみたいだけど、知らないだけで否定なんかしてないし、ましてや「メジャーなアニメ業界」よりも下に見ている意識なんかはまったくない。


なぜなら僕自身が「水着の女の子」が表紙の「エロが売りの青年漫画誌」を活動の場にしてきた人間なのだ。

エロが多めの「青年誌ラブコメ」は、「PCのエロゲ」とそんなに変わらないと思う。

なので「エロゲ出身」というキャリアには、無言の「仲間意識」を感じてしまうのだ。



こういう、看板に「エロ」の入るメディアは昔から「自由」があったりもする。

有名なのは6,70年代の日活ロマンポルノやATGだ。

そこでは「エロ」さえ欠かさなければ、自分の表現を許される空気があり、そこから多くの映像作家が排出されていった。


そして、僕のいた「ヤングサンデー」もまた「エロ」が多く、世間の風当たりが特に激しい媒体だった。

もちろん「売れるためのエロ」でしかない漫画もあったけど、中には「エロ」をまとった「純度の高い表現」を挑んでいた漫画も多かった。


僕はそのヤングサンデーという雑誌に拾われて、望まれた「パンチラ」を描きつつ「本当に伝えたいこと」を描かせてもらっていたのだ。

これはまさに「エロゲ」を表現の場に選んだクリエイター達と同じだと思う。

「聖なるもの」は、こういう「世間に侮蔑されるような世界」にもあるのだ。