マシな失敗
めんどくさい。
朝から夜までめんどくさい。
何か始めたい気もするけど、とにかく「めんどくさい」
なんならずっと布団の中でウダウダしていたい。
僕にもそんな日がある。
今も沢山の事が「めんどくさい」ために、先送りになってる。
そのくせ新芽の出てきた観葉植物の鉢を「もっといい感じの陶器に変えたい」とか「SNSで誰かが褒めてたヘッドホンを試したい」みたいなことはすぐやろうとするのだ。
発作的にサイドデスクを青く塗り出した事もある。
突然部屋を「南仏」にしたくなったのだ。
どう考えてもこれはかなり「めんどくさいこと」なのに、僕は止まらない。
そんなアホみたいな行動は、基本的に「娯楽」でリスクもそんなにない。
事務処理みたいなことは後回しで、娯楽を先にするのは、まあ簡単な事だ。
問題はこの先。
「本当はすごくやりたいけど、ちょっとなあ」という気分だ。
これもまた、雑に「めんどくさい」の中に入れてしまいがちだ。
何が「ちょっとなあ」なのだ。本当はやりたいくせに。
そして、その「ちょっとなあ」の「ちょっと」には「失敗したらどうしよう」と「人に何か言われたらどうしよう」とか、定番のヤツが混ざってる。
そんな感情は意味がないのは、死ぬほどわかってる。
「人の目を気にして生きるなんてくだらないことさ」
なんて、清志郎も歌ってた。
失敗も恥も避けては通れない。
でもね。
やっぱり恥はかきたくないし、失敗なんかしたくない。
笑い者になるくらいなら、このまま何もしない方がいい。
てな感じになって、「めんどくさい」となる。
そんな「めんどくさい病」を抱えた僕だけど、最近きづいた。
僕には「面白いことは、なんとしてもやりたい病」という、もう一つの病がある。
それがこの「めんどくさい病」を何度もぶっ倒してきたのだ。
その最たるものが「ネットの生放送」だった。
やりたいけど、僕は漫画が専門で、トークスキルもないし、ビジュアルで許されるルックスでもない。
おそらく何度も失敗するだろうし、大恥かくだろう。
そんな覚悟は出来ない。
でも僕の「面白いことはやる病」は止められない。
そんなこんなで、予想通り放送は何度も失敗した。