楽して楽になる方法(落合陽一と神田松之丞の流れに)
【つながり?】
いよいよ2010年代も終わりが見えてきた。
今思えば、10年代のキーワードは「つながる」っていう言葉だったように思う。
2011年に震災と原発事故で社会が分断され、やたらと「絆」という言葉が飛び交った。
その言葉には何かしらの「同調圧力」と「うさん臭さ」があって、僕はこの「絆」って言葉に強い拒否反応を感じていた。
そんな0年代的な「マイルドヤンキー的同調圧力」を殴ったのが「ポプテピピック」で、あの作品が持つ雰囲気は実に「10年代感」があったと思う。
「みんな仲間だ」と言いつつ、実際は容赦なく弱者を排除してきたのが「0年代」だった。
そんな「嘘」にうんざりしていたのが10年代で、逆にそういう「みんなが仲間」を理想的かつ風刺的に描いたのが「けものフレンズ」だったのだと思う。
同時にスピリチュアルの方面でもよく「つながる」という言葉を聞いた。
こっちは「大いなる何か」に繋がる、という話で、僕はこっちは好きだったし、今もそういう事を意識している。
ところがこっちもまた「スピリチュアル懐疑派」の声が大きくなって、その本質を脇に置いたままスピリチュアルブームが分断し、いつもの「好きな人達だけの村」になった。
それも10年代だった。
【落合陽一と神田松之丞】
10年代後期に現れた若きスターが「落合陽一」だった。
無頼派の有名人を父親に持つ新進気鋭の科学者だ。
「AI」「AR」「VR」などの技術が世界的躍進を迎えて、多くの人がその意味と不安を感じていたタイミングで彼は登場した。
彼が受け入れられた要因は沢山あるのだけれど、ここで1つ言うなら「楽観的」な彼の資質が最大の理由だと思う。
多くの最新科学技術には、同時に多くの「不透明なリスク」があって、それを不安に思うのは当然だ。
しかも我々日本人は「核エネルギー」という科学技術の制御に失敗した国に住んでいる。
おまけにAIに関して、ホーキング博士は「AIはやがて人類を支配、滅亡させるかもしれない」と言っていた。
そんな空気の中現れた落合陽一は、最新テクノロジーの詰まった最新ガジェットを使って、何もない空中に妖精を浮かび上がらせた。
しかもそれは「触れる妖精」で、彼は最新科学技術で「魔法のようなアート」を見せたのだ。
彼は科学のマイナス面より「夢のある可能性」を前面に提示した。
そんな彼の登場に歓喜したのは、「科学万能主義」を信じてた昭和の人達だった。
田原総一朗を始め、多くの「かつての科学大好き少年」が彼を支援している。
この世代の多くは「社会の問題は科学の発展で解決できる」と信じて生きてきた人達なのだ。
彼らは来たるべき「5Gの時代」を夢のように語る。
そんな中で「5Gの健康的リスク」など言える雰囲気ではなく、ここでもまた分断が激しい。
落合陽一は「科学はまだまだ大丈夫」という旗を持たされて神輿に乗せられたようにも見える。
これは落合陽一本人の問題ではなく、歴史的経緯が生んでいるので、ちょっと気の毒にも感じる。
そんな流れが定着した頃、世間では「神田松之丞」という、若手講談師が話題になってきた。
新しい事に無関心な、友人「さとひゅ」(絶望に効くクスリの相棒)も、彼には夢中になっている。
何しろ「講談」だ。
映像も音楽も派手な演出も(基本的には)ない世界で「語り」だけで物語を伝える芸だ。
数年前までは絶滅を危惧されていたこの業界に突如現れたニュースターが、この男だった。
放送でも言ったけど、この人は「毒舌」の芸風なのだけど、独特のリズムがある。
そして江戸時代から続くテクニックで語られる講談のストーリーは、人間の暗黒面を描いている。落語のような「笑い」はない。
そのすべてが「新鮮」に感じる。
そんな彼は一気に真打ちに上り詰め、彼のチケットは、今一番取れないプラチナチケットになっているらしい。
この2つの流れが面白い。
落合陽一が「明るい科学技術」につながっているのに対して、神田松之丞は「過去の情念」とつながっている。
「繋がりの選択肢」は「人」や「神」ではなく「科学か過去」になってるのが面白い。
【空を見るという回答】