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山田玲司のヤングサンデー 第250号 2019/8/12

なんとなくAKIRA

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今回のヤンサンは「AKIRA特集」でした。


前回は「恐竜と何億年か前の話」で、今回は37年前の話。


AKIRA登場の頃(80年代初期)は、好景気の波に庶民も恩恵をうけて、今では信じられないくらい日本中がウキウキした気分に満ちあふれていた。


当時アイドル界の頂点にいた田原俊彦のほとんどの曲は異常に明るく、どうかしるほどの「躁状態」だった。


暗くて貧しくて政治的だった「フォークソング」は、ユーミンと共に「明るくてリッチで個人主義的」な「ニューミュージック」に変わっていった。


メジャーでもマイナーでも「真面目に考える事」はかっこ悪い事とされ、みんなが「バカ」になった。


「金八先生」や「積木くずし」と言った、深刻なドラマもあったけど、それらはあくまで個人的な問題が中心のドラマで政治色は薄かった。(腐ったみかんの話が最後だろう)


当時高校生だった僕は、この変化にどうしようもない違和感を感じていた。


それまでの漫画やアニメや社会的論説で、戦争、環境問題、教育問題、企業と政府の腐敗、などの大人の問題をさんざん見せつけられて育った僕には、それらの問題が終わったようには思えなかったからだ。



おいおい、なんだこの脳天気な雰囲気は。


「キャシャーン」とか「仮面ライダー」とか「009」とかで描かれてた「ヤバイ問題」はもう解決したのか?


動物ドキュメンタリーの「野生の王国」とかの最後は必ず「こうしている今も多くの野生動物が人間のせいで絶滅していくのです」と言ってたじゃんか。


それはもう解決したの?どうして誰もその話をしなくなったんだ?



そんな「怒れる若者 山田玲司」を無視したまま、日本は「おしゃれバカ」だらけになっていった。


しかし、そんな僕も、初めてできた彼女の買ってきた「セブンティーン」や、部室に転がっている浮かれたアニメだらけの「アニメージュ」や「ふぁんろーど」も眺めてた。

ペパーミントグリーンのカセットケースを並べて「YMO」も「一風堂」も聴いた。


秋葉原にラジカセやバイクを買いに行って、女の子と原宿にも行った。(当然クレープも食べた)


おいおい、そのすべてが80年代マナーじゃないか。


僕はいつもこうだ。

「なにやってんだ俺は!」と言いながら、時代の空気に流されて結局それに付き合ってしまう。


「怒れる若者」とか言いつつ僕は「時代に流される猿」でもあったのだ。


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【心に空いた空洞】

AKIRAに出てくる2019年の「ネオ東京」。

そこには1988年に落とされた核爆弾が作った巨大な穴(クレーター)が空いている。


放送でも言っていた通り、あの穴が象徴しているものは「社会変革に挫折した若者の心に開いた穴」に見える。


「何をやっても無駄だった」という経験が生み出した「心の空洞」だ。



ではその後、若者たちはを何で「その穴」を埋めたのか?


最初は「旅(深夜特急)」と「フォークソング」で、やがて「バイクなどのガジェット」と「女の子」がそれを埋めたのだと思う。


AKIRAの時代を考察すると、それだけじゃないのがわかる。


穴を埋めたのは「大量の情報」と「選民意識」だろう。




「自分が知っている情報の量と正確さ」でマウントを取り合う「オタク第1世代」が登場するのもこの頃だ。


このノリの背後には団塊世代の「思想の敗北」と「議論で相手を負かすマナーの名残り」があると思う。


そして経済発展を続ける日本の空気に、自分は選ばれた「特別な存在」である、という、その後何十年にもわたって日本人を支配する「根拠なき特権意識」も蔓延していく。


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【なんとなくクリスタル】

そんな時代を思い出しつつ「AKIRA」の事を調べていたら、思い出したのが、田中康夫の「なんとなくクリスタル」だった。