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山田玲司のヤングサンデー 第32号 2015/5/11

仕事がつまらなくなるのはなぜか?

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確か僕がまだ大学生の頃だ。友人の男が言った。
「仕事は楽ならそれでいい」
仕事ってのは、嫌な事ばかりなので、少しでも負担の少ない仕事をして、仕事以外の時間を楽しめればいいという話だ。

わかってはいたけど僕はイラついた。
まるでせっかく生まれた自分の命に対する冒涜に感じたからだ。


・仕事とは何か?

仕事とは何か?という問題には大きく2つの答えがある。
「生活や娯楽に必要なお金を稼ぐこと」と「社会(他者)に貢献してその対価をもらう」
の2種類。
バカっぽく言い換えると自分のために金儲け誰かのためにがんばるという2つだ。

どうもこの国では、この2つの人種が、互いをバカにして、いがみ合っているように見える。
「現実を知っている賢い者VSユトリ頭の偽善者」とか「金に汚い下品な貧乏人VS理想を失わない心の貴族」とかなんとか。よくあるヤツだ。

僕は「誰かを幸せにするのが仕事だ」と思ってはいるけれど、ビジネスというゲームを完全に否定しているわけではない。
何もない所に価値を作ってそれをお金にするのは面白いし、何もしないで空からご馳走が降ってくるのを待っているより「これで一発、儲けてやろうぜ」というノリのほうが好きだ。

今回、仕掛けている舞台のプロジェクトも、才能豊かな友人たちが集まって「このメンバーで何か面白い事を仕掛けてやろうぜ」というやつだ。


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・「毒りんご」を売って大金持ちになる大人

一方で、「世の中は騙し合いで、ろくな人間がいない」というのにも共感する。
「社会には守るべき価値なんかないし、真面目に働くのはバカだ」と言うのもわかる。
「金で手に入らないものなんかない」……とまでは言わないが、「少ない報酬でいくら好きな事をしても限界がくる」というのもわかる。

そんなこんなで”現実派”の「お金儲けは悪ではない」という主張に、ある程度の共感はするものの、ここへ来て本当に思うのは「それでもお金のために仕事をしたくない」ということだ。

わかりやすく言うと、美味しいけど、食べたら病気になる食べ物を売って大金を貰っても、幸せにはなれないからだ。

僕の生まれた時代は、こういう種類の「仕事という名の罪」を犯し続けている。
仕事っていう「なんだかよくわからないもの」に対して、考えなければいけないのは、この問題だ。


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・「誰かを不幸にしたら幸せにはなれない」というシンプルな事実

間抜けなヤツを騙して奪ったリンゴを旨そうに食べているヤツを見ると、「賢くてかっこいいヤツ」に見えてしまうかもしれない。

でも「リンゴを奪われた人」の中には、その男に復讐をしようとする人もいるだろう。彼の息子が代わりに復讐にくるかもしれない。
そしてそれは「リンゴを食べた遥か先の未来に訪れる」かもしれない。
つまり誰かを不幸にしていたら安心して眠れないのだ。

逆に儲からない仕事でも「ありがとう」と言われれば”心”は救われる。
たとえ1個のパンでも、それでその人が幸せな気持ちになれば、その仕事は対価以上の「幸福」をくれる。
パン1個売っても数円の売り上げにしかならないとバカにする投資家みたいな人もいるけれど、そういう人間にはわからない幸福だ。
報酬が多くても仕事がつまらないのは「ありがとう」が足りないからだろう。

売り上げの為に”次も買いたくなる毒”が入ってるパンを売る人がいる。
そういうことを止めなくては仕事は人を不幸にしかしないのだ。

僕の住む国の人がやたらと不幸そうなのは「この問題」のせいにも思える。


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